花嫁衣装は誰が着る 下
午後になり、私と悟はつなぎの作業服と工具を持って、本殿へと向かった。佐中さんも一緒だ。
杉野と柳田は、資料を借りていった郷土研究家たちの調査をしている。
あんなことがあったというのに、本殿の前では撮影が行われていた。
「今日で、映画の撮影は終わるらしいですよ」
佐中さんは人だかりの輪から離れた場所を通りながら、そう言った。
「明日になると、うちも祭りの準備に入りますからね。そうなれば、人がたくさんやってきますし」
「……ということは、アレを外すのは、今日しかないということですね」
「そうだな」
「やあ」
狩衣を着た沢渡が撮影の輪から外れて、こちらに歩いてきた。
「今日は、ペアルックですか? 妬けるなあ」
ペアルックと言われて、私は自分の服と悟の服を見る。
ホームセンターで適当に買った作業服は、オシャレとは言い難いが、ペアルックには違いない。ただし、私が着るとやぼったいのに、悟はカッコイイ。不思議だ。
「さすがですねえ。今日は、空気が澄んでいる」
ニコリ、と沢渡が悟に笑いかけた。
「撮影隊に何か変わったことはないか?」
「そうですねー、菅さんは少し、怖がったふりをしてましたが、まあ平気でしょう」
くすくすと沢渡は振り返りながら笑った。
「若干、梨田さんの体調が悪そうですね。もともと調子が悪いみたいですけど」
真顔に戻って沢渡はそう言った。
「大きな声じゃ言えませんけどね、あのひと、すごい量の薬を服用しているんです。本人曰く、血圧の薬だそうですが」
「あれ? 昨日、喫煙していましたよね?」
「まあね。でも、止めてもやめないだろうから」
沢渡は首をすくめた。
「……梨田には、家族がないから」
佐中さんがボソリ、と呟いた。
「奥さんは、五年ほど前、事故で死んで……子供はいなかったはずです」
「事故?」
佐中さんは悲しげな顔をした。
「乗っていた車が土砂崩れに巻き込まれたのです。遺体は見つかっていません」
「土砂崩れ……」
それは、私の記憶の底の悲しみにつながる言葉だ。思わず息をのんだ私の肩に悟の手がのせられる。
「そういえば、そんな記述を見たな」
悟が思い出したようにそう言った。
「梨田は……孤独な奴なのですよ。いつも、乾いたところがある」
類まれな才能を持ち、数多くの映画や舞台に立って注目を浴びる人だから、ある意味では孤独とは言えないかもしれない。しかも、佐中のような友人もいる。
でも、そんなひとでも、孤独なのだろう。愛する人に先立たれたら、誰だって辛い。
五年の月日は、彼を癒したのだろうか。さらに孤独にしたのだろうか。それは、彼にしかわからないことだ。
「沢渡さんと言いましたね?」
悟が、何かを思いついたように沢渡の方を見た。
「梨田さんから目を離さないでください」
「了解です。連絡先は?」
私の方を向いた沢渡に、すっと悟が自分の名刺を差し出した。
「連絡は俺に」
「ガード、固いね」
ニヤリと、沢渡は私にそう言って、首をすくめて見せた。
沢渡と別れて、私は本殿の床下に悟とともに潜る。
「直下までは、神力は来ないように結界を張ってあるが」
ブルーシートに電動ドライバー。頭にLEDライト。ちょっと、霊能力者っぽくない格好だ。
「マイ、大金剛輪の印」
言われるがままに私は印を結ぶ。
「隠形印をとる。摩利支天だ」
オン マリシェイ ソワカ
真言を唱えながら、私は陣の下に入る。赤い星鈴が、ボルトと強引に床板に締め付けられていた。悟は私の身体を抱くように支え、私の身体を霊力で守ってくれている。
コードレスの電動ドライバーをボルトに合わせ、スイッチを入れた。
肌がゾワゾワし、左腕を何かが這いまわっている。私の全身を何かがくるくるとからめとる。
『我ハ、我ニ戻リタイ』
不意に、強い風を感じた。強烈な意志が頭に鳴り響き、意識が遠のく。
「マイ!」
悟の声で、私は我に返る。負けていてはダメだ。
「
私は風に向かって叫ぶ。
「穏やかなる姿こそ、貴神の姿です」
左腕が痛い。
私は、必死で、星鈴を取り外し、それを左手で抱きかかえた。
「まつりまでお待ちを。必ず、『本来の』御身の姿にしますから」
私は大きく息を吐き、ご神体にそう言い聞かせた。
祭りが明日へと迫った、夜。
夜の闇につつまれた境内に大きなかがり火を焚き、私は巫女の姿をして杉の枝を持ち、枝に日本酒を浸す。
荒魂をやどした神体と、本来の新しい神体、そして古いご神体とともに三角形に本殿の前に並べ、しめ縄で結界を張る。
私の隣には、悟が立ち、神体の両側に杉野と柳田が小さく呪を唱える。三人とも、大きな鈴のついた錫杖を手にしていた。
ざくざくと玉砂利の向こうから小さな灯りが近づいてくるのが見えた。
「どういうことだい?」
やってきたのは、梨田廉也と、沢渡浩司。沢渡は私の姿を見ると、ニコリと微笑んだ。
「沢渡さんに頼んで、ご足労願いました」
私はゆっくりと頭を下げる。
「術をやぶり、あなたにすべてを返してしまうこともできますが、その前に、なぜ、このようなことをなさったのか、教えていただきたいと思いまして」
「何を言っているのか、よくわからないのだが」
梨田は、何事かわからぬという顔でそう言った。騙されてしまいそうなくらい、とまどった表情だ。さすがに、本職の役者である。
「蛇神とともに私にまとわりつく霊力が、あなたへとつながっています。そして毎日のようにウォーキングと称して、撮影隊を抜け出しているのも確認済みです。この本殿の裏手に、呪術を毎日行っていたと思われる跡を見つけました。さらに」
私は、まっすぐに梨田を見る。
「あなたのご自宅のアトリエに、星鈴の型がありました」
ここ数日、私たちの連絡を受けて、防魔調査室の調査で明らかになった事実。
梨田の家には、術具がかなりあり、呪術関係の資料本、そして、呪術実験のあとが発見された。そして、彼が、末期のがんと宣告を受けていたこともわかった。
「荒魂を使って、何がしたかったのです?」
くわっと、梨田が力を放った。沢渡が慌てて一歩飛びのく。
私の前に迫った力を、私は杉の枝で払い落した。
「無駄です。私は『蛇神』に選ばれた贄姫。神の力は、私を守りこそすれ、害を加えることはできないの」
私は、梨田を睨みつける。
そう。今回、私が矢面に立つ理由。それは、私相手なら、神は梨田に力を貸さない。なぜなら、私を神が選んだのだから。
そして、今回大切なのは、神を和魂に戻すこと。梨田に術を返すことではない。
「なるほど、鋭いお嬢さんだね」
梨田が苦く笑った。
「意味なんてないさ。一度、全部壊してみたかっただけだよ」
梨田は吐き捨てるようにそう言った。
「この世ってのは、ろくでもない。そんな世でも、本当に神ってやつがいるかどうか、確認したかった」
梨田は言いながら、もう一度力を解き放つ。大気が歪み、震え、振動する。
しかし。
「神を見せてあげる。どうしても知りたいのであれば」
私は、右手を炎にかざした。杉の枝についた酒の雫に焚き木の焔が映る。
そして左腕の袖をめくり上げた。そして、天へと突き上げる。
「昇れ」
シャリン、と悟たちが錫杖の鈴を鳴らした。
カッと金色の光が私の腕に生まれスルスルと天に昇っていく。金色の光がのたうつ様にくるくると上空を錫杖の鈴に合わせて、舞う。ふたつの星鈴からも金色の光がするすると昇り、そして光が融合していく。
ポンポンと、本殿の方から、鼓の音が聞こえてきた。佐中氏だ。
梨田は、膝をつき、上空の光の帯を見つめている。
するすると伸びた金の光は、北天の星の光を浴び、キラキラと瞬いた。
「御身は、それに」
私は、まっすぐに、新たなる神体を指した。
大きな鈴の音がシャリンと音を立て、光は星鈴の中へと集束していった。
やがて。
光は消え、闇が戻ってきた。
「話しを、聞こうか」
呆けた梨田の肩を、ポンと柳田が叩く。
「女房を埋めた山を……壊したかった」
ぽつりと呟くと、梨田は肩を落とした。
静まり返った闇の中で、男の嗚咽が響いていた。
結婚式は神式だったけど、披露宴のエリカはウエディングドレスを着ている。
神社の巫女さんだって、今時の女性だから、やっぱりウエディングドレスが着たかったらしい。美人のエリカは、本当に綺麗だ。
披露宴の会場は、エリカさんの実家にあたる神社の敷地内の会館。神社で結婚式をあげた人たちは、ここで披露宴をするらしい。
神社の施設だけど、ほとんど洋風で、ほぼホテルのような祝宴会場だ。シャンデリアまである。
壇上に作られた新郎新婦の席に座る二人は、本当に美男美女。眼福ってやつで、うっとりする。
「えっと、それは、そのこの席では」
酒宴のさなか、柳田が、例の陰陽協会の会長さんである薮内氏に追っかけられている。
綺麗な可愛らしい女性を一緒に連れているところを見ると、どうやら『ご紹介』というやつであろう。
食事は、いわゆる和風の膳もの。とてもおいしい。
「あれー? マイさん、悟兄貴のそばにいればいいのに」
髪を少し伸ばした奈津美が、私のグラスにビールをつぎながらそう言った。
「うーん。でも、お食事美味しいし」
悟は、来賓である防魔調査室の面々に捕まっている。
「あ、奈津美さん、私、沢渡さんと写真撮りました」
私は、携帯を取り出して、渋い顔で悟が撮ってくれた沢渡とのツーショットを見せた。
「わおっ。南条と! すごい! しかも肩まで組んで――兄貴、怒ってなかった?」
「うーん。少しは」
私はくすりと笑う。
梨田が術を行使した容疑を認め、防魔調査室の預かりとなったあとで。
思い切って写真を頼んでみたのだ。悟は、メチャ不機嫌だったけど、沢渡はノリノリで撮らせてくれた。ファンサービスにしては、行き過ぎだと思ったけど。
「話、聞いたよ。マイさん、蛇神に魅入られたって」
「そんな大げさな」
「大げさじゃ、ないでしょー、マイさーん」
突然、顔を真っ赤にした杉野が私に抱き付いてきた。そしてそのまま、頬にキスされた。
「ちょ、ちょっと杉野さんっ」
焦る私にギュッと抱き付いて、さらに頬にキスをする。
「の、飲んでますねっ!」
「飲むわよーっ。だって、おめでたいもの。私のマイさんも無事だったしー」
そういえば、キス魔だと、聞いていた。普段のキリリとした杉野からは、全く想像できない。
「いつ、お前のマイになった」
ぐいっと、杉野をひきはなし、私は悟に抱き寄せられた。
「兄貴……相手は、女性だって」
奈津美の顔が引きつっている。
「あーによー。マイさんは、私の親友なのよ、如月なんか入る隙間はないんだからぁ」
親友と言われることは嬉しい。嬉しいが、杉野の目が座りすぎていて、怖い。
「柳田!」
悟は薮内氏に頭を下げまくっている、柳田を呼んだ。
柳田は、渡りに船、とばかりに、こちらにやってきた。
「こいつ、引き取れ」
「あー、杉野、お前、また飲みやがって」
ふうっと、柳田はため息をついた。
「なによー、あーたに関係ないでしょー」
「誰彼構わずにキスしまくる前に、会場、出るぞ」
「いいじゃん、別にぃ。ほっといてよぉ」
杉野は不機嫌に顔を背けるが、柳田は強引に杉野を抱えた。
「悪い、俺、先、帰る。荷物、後で取りに来るから」
柳田は言いながら、杉野を引っ張っていった。
「ふーん」
ニヤニヤと奈津美が笑う。
「不器用なのねえ、ふたりとも」
「柳田は真面目すぎるからな」
話が見えなくてキョトンとすると、悟が苦笑いを浮かべた。
「……杉野はさ、ああ見えて臆病なとこがあってな」
そういえば、杉野は、一応、悟の元カノさんでもある。
「柳田は、妙にまじめだ。相手が仕事仲間だけに、踏み出せない」
「えっと。ふたりは、ひょっとして?」
私は悟を見た。
「マイは……鈍いな」
こくんと頷きながら、悟は笑った。
そして、笑いながら、私の指に、すうっと指輪をはめた。
「この意味も、説明しないとダメ?」
「え? ええっ?」
固まった私を見ながら、奈津美が驚愕の声を上げる。指輪は少し緩いケド、キラキラとした石が輝いていて、とても綺麗だ。
「結婚しよう、俺たちも」
私は悟の顔を見る。優しい、大好きな目で、私を見ている。
「うん」
私はコクンと頷く。
祝杯ムードのざわめきの中で、悟は私にキスをした。
「うわぁっ、ちょっと、徹兄ィ大変、大変だよー」
奈津美が慌てて、新郎新婦のもとへ走る。
私は、悟に肩を抱かれながら、指輪を見つめた。光り輝く宝石に、二人の姿が映っていた。
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