花嫁衣装は誰が着る 上
冬季のため、キャンプ場に他の客はいなかった。冬休みに入れば、多少需要があるということで、閉鎖というわけではないそうだ。私たちは、『防魔調査室』の国家権力を振りかざし? 大きめのコテージの鍵と、簡単な調理道具を管理人から借り受けた。
こんな夜更けにごめんなさい、という感じである。
夜更けのキャンプ場は暗く、コテージの駐車場の前の棟数の表示ライトだけが小さく灯っていて、深い山の闇にぽっかりと浮かんでいた。
そんないかにも山深いコテージではあったが、中に入れば、電気照明は当たり前。台所に冷蔵庫もある。おまけに薪ストーブまであったりして、まさしく『別荘』だ。
さすがにエアコンと無線LANはなかった。なかったが、テレビはあるし、風呂もある。
「うーん。キャンプじゃあ、ないわねえ」
薪ストーブに点火するのに多少手間取ったものの、杉野は複雑な表情だ。
飯を作る手間をのぞけば、ほぼ普通の宿と言っていい。
床が板敷きなので、ラグが敷いてあったものの、底冷えはしているが。
ベッドルームはよっつもある。なんでも十名以上泊まれる仕様になっているらしい。もっと狭いコテージもあったらしいが、狭いより広い方が便利と、柳田がこちらを指定したらしい。
ストーブがあるのは中央にある部屋だ。台所も、テレビも全部ここに集められている。
机は折りたたみのテーブルで、椅子はない。たくさんの人数を想定しているからであろう。
杉野がコテージ全体に結界を念入りに張っている間、私は、台所でお湯を沸かし弁当を机の上に並べた。キリキリ腕が痛むが、動けないほどではない。
桔梗が、その見た目を裏切る怪力で、車から荷物を楽々と運び込んでいる。
私は、机の周りに座布団を並べ、桔梗が運び入れた資料を見る。難しい古文書は、理解できそうもないので、おそらく佐中の父親が書いたと思われるノートを開いた。
少しクセのある字で、祭りの進行が書かれている。
佐中の父親は、二度、祭りを行ったらしい。よく見ると、二度目は随分と簡略化されている。時代もあろう。今から三十年前といえば、「古いしきたり」は、忌み嫌われるようになった時期だ。人々の生活から神が切り離されて、祭りの準備そのものも、人を集めるのが大変になってきた時代である。
そんな中で、佐中の父親は、『神』の『欲する何か』の要点を、彼なりに研究し、外せない神事を選んでいったようだ。
一度目の祭りの記述には、いくつもの走り書きのようなメモ書きがある。
ほかの書物の名と、要、不要、神事の意味することの推論などが書きこまれていて、随分と論理的だ。
贄姫の神事について書かれた記述に、『和魂(にぎたま)』を固定という走り書きがあった。新たなるご神体に完全に神気を遷し、音曲を与えれば、神は『安らかなる力』で安定するらしい。
「あれ、注釈ある」
メモの最後に、『神事禁忌3項』なる文字を見つけ、私は付箋紙をぺたりとノートに張った。
「あ、悟さまたちが来たよ」
桔梗の声に私は顔を上げた。たぶん、タクシーだろう。車のエンジン音がした。
出迎えようと立ち上がろうとしたら、腕に激痛が走った。
鎖骨にある『赤の絆』から悟の力が私の身体を癒すように流れ出る。
「マイッ!」
悟が慌てて玄関から入ってきた。
「大丈夫。ちょっとヒリヒリするだけ。なんともない」
私は、左手をひらひらさせた。
「顔色悪いな、マイちゃん」
悟の後ろから入ってきた柳田が私の顔を見るなりそう言った。
「腕、見せろ」
悟は有無を言わせず、私の左の袖をまくりあげた。
腕の赤いあとは先ほどよりもくっきりとして、鱗のような模様まで浮かんでいる。
「払っちまいたいが、そうすると、荒魂(あらたま)を慰めるのが大変になるな」
柳田の顔が厳しい。
「荒魂を慰める?」
「もともと、荒ぶる力を慰めて和魂に転じさせて『神』とするための『祀り』だ。あの菅ってコには無理だけど、霊力も霊的魅力も兼ね備えたマイちゃんなら、可能なはず」
柳田はそう言って、私の左腕を見る。
「もっとも、このまま蛇神の意図のまま、マイちゃんが本当の贄になってしまったら、荒ぶる神の力が復活してしまう可能性もあるが――まあ、そんなことはさせないが」
「復活しちゃうとどうなるのですか?」
私の問いに、柳田が首をすくめた。
「もともとの術者が何を考えているかによるけど、街一個は軽く吹き飛ぶ力を有しているのは間違いない」
そんな力、何に使うというのか。
「とりあえず、みんな、そんなとこに立ってないで、食事したら?」
杉野の一声で、私達は食事をすることにした。
「それで、そちらのほうはうまくいったの?」
杉野が柳田に話しかける。
「ああ、とりあえず、神気を分断した。荒魂がこれ以上力を持たないようには、してきた」
「へえ。ということは今、佐中の神は二つに分けたってコトですか?」
「そうだな。もともと、神っていうのは『力』だ。方向性が異なる二方向の力を共通の『カタチ』や『名』で固定して合わせて、穏やかな方角に向けたもの、ともいえる」
「ふたつのもの?」
私は首を傾げた。
「私みたいね」
最近はもはや、自分が『どちら』なのかわからなくなってきたが、私には二つの記憶がある。鈴木麻衣も田中舞も、どちらも等しく私で、本来は別の人生を生きていた人間だ。
「マイの場合は、お互いが完全に『溶けあって』いる稀有な例だが」
「ふつうの魂は、たいてい『片方』を吸収してしまうものだよ」
柳田は言いながら、お茶を口にした。
「そう言った意味では、どちらも消えていないマイちゃんは、魂がふたつといっても、神の力に近いものがあるかもしれない」
そんな恐れ多いものではないとは、自分では思うけど。
「とりあえず、マイは、苦しくなったら『蛇除け』を唱えろ」
「蛇除けって、えっと。『ひがしやま つぼみがはらのさわらびのおもいを』 ってやつですよね?」
呪文のさわりを唱えただけで、するりと左腕のなにかが動いたのを感じた。
「いざとなったら、孔雀明王の真言で吹き飛ばせ。もっとも、マイには俺の霊力が流れ込んでいるから、その前に俺がやると思うけど」
悟はそう言って、私の肩を抱き寄せる。
コホン、と、柳田が軽く咳払いをした。
「えっと。イチャつくなら、一応、ひとのいないところでやれ」
「ふたりきりになったら、自分に歯止めが効かない自信がある」
悟がボソリと呟く。
「相手が神とはいえ、マイの身体にまとわりついていると考えると腹が立つ」
「はいはい。ご馳走様」
杉野がさらりとそう言って、食べ終わった弁当を片づけていく。
私は、恥ずかしいのと嬉しいのとで、しばらく顔が上げられなかった。
「見つけたわ」
時計の針が十二時を回った。
興奮した声で、杉野が古文書を広げた。
「マイさんが言っていた神事禁忌三項はこれね」
杉野の広げた文書には、神体を作る際の禁忌が書かれていた。
「血液や遺体などの『穢れ』を持ち込むと、荒ぶる力が強くなるみたいね。神体を作るときに、穢れを入れてつくる。そして穢れを強めるために、星鈴に何かの血液で色を塗る。あとは、贄とともに神気のそばに置けばいいのよ」
杉野はそういって、首を振った。
「もともと、正規の贄姫に力があれば、本来の星鈴のほうへ力は向かうけれど、あの菅ってコには欠片も力はないわ。それなら、儀式を施した方の引力が強くなるのは当然ね」
「なるほどな」
柳田が杉野の手元を見ながら頷いた。
「和魂に戻すなら、『本来の』贄姫の儀式で大丈夫だと思う。もちろん、マイさんがやらないとダメだけど」
「私? でも、それは……」
菅に比べて、若さも美人度も足りてない。カミサマはともかく、世間的には納得できないだろう。
「観光用の儀式は勝手に後でやらせておけばいいのよ」
杉野はふっと笑う。
「どのみち、本気で、二つに分かれた荒魂を和魂に融合させるとしたら、かなりの荒事よ。そんなの、大っぴらにやれるわけないじゃない?」
「なるほど」
もっとも、祀りの本来は、そっちの意味の方が大きいはずなんだけど、現代は複雑である。
「じゃあ、まず、祀りの前に、例の荒魂のご神体を取り外さないといかんな……マイちゃん、工具使える?」
「工具?」
柳田の言葉に、私は首を傾げた。
「最終的に、アレに触れていいのは、たぶん、マイちゃんだからね」
「……ジャージか作業着、朝になったら、買いに行かせて」
地味に床下に潜ることが決定し、私は大きくため息をついた。
翌日、山越えして、私と悟は、ホームセンターで作業服と電動工具などを買った。
ついでに、夜間作業に必要な照明なども買い足す。最後にスーパーに行って、食料も仕入れることにした。なんといっても、キャンプ場がベースである。祭りまでの滞在が決定事項となったから、しかたない。
「でも、本当にキャンプだったら楽しいのに」
スーパーを悟と歩きながら、私がそう言った。
「防魔調査室のみんなで、バーベキューとかしてもいいね」
精肉コーナーを覗きながら、私がそういうと、悟が「ああ」と頷いた。
「さすがに、今回はバーベキューなんか、やる気分じゃないが」
「じゃあ、カレーくらいつくりましょうか?」
煮込み用のブロック肉に私は手を伸ばす。
「ま、カレーやシチューなら、桔梗に作らせておくと楽だな」
ふむ、と頷く悟。相変わらず、式神さんはとても便利に使われているのである。
「本当は、マイに作ってほしいケド」
不意打ちの微笑みに、私はドキリとした。
だいぶ慣れたとはいえ、悟の甘い言葉は心臓に悪い。顔が火照るのを感じる。
「そういえば、例のあの俳優……坊主だったって?」
少しだけ不機嫌に悟はそう口にした。
「沢渡さん? ああ、そうみたいです」
私は、レトルト食品に手を伸ばしながらそう答えた。
「本人が言うには、ここに来たのは本当に『役者』としてだからだそうですよ。杉野さんの調べでも、能力者としてはたいしたことはないそうですし」
言いながら、私は悟の顔を見る。
「まさか、沢渡さんが?」
悟は即座に首を振った。
「力があるなしに関係なく、高野山の坊主だった人間が張った陣じゃない。基礎がなってないからな。それに、あの男にはそういった『昏さ』がない。気に入らないのはそこだ」
悟は、ふうっと息を吐く。
「能力者であることを捨てる……言葉で言うほど簡単じゃない」
「能力の強さにもよると思いますよ。すごい能力があったら、沢渡さんだって簡単には抜けられなかったと思いますし」
『由緒正しき』お家柄に生まれた霊能力者はしがらみが多い。もっとも能力が低ければ、実力社会であるから、そこから抜けることは難しくない。
「ひょっとして、悟さんも芸能人になりたかったのですか?」
スーパーで買い出ししているこの風景でさえ、悟の周りはドラマのようでキラキラしている。隣で立っているのが私ですみません、という感じなのだ。
「そうじゃない。俺は、ただ、マイを昏い世界に巻き込んでしまったと思うだけで」
寂しそうに笑う。
やめてよ、と思う。そんな顔、してほしくない。する必要もないのだ。
「もともと、田中舞は、如月悟がいなかったら、とうに死んでいましたよ?」
私は、言いながら、レトルトをどっさりかごに放り込んだ。
「今、こうして霊能力者として仕事するの、私、『昏い』なんて思いません。報われにくい職業ではあるけれど、悟さんと一緒ですから」
「マイ……」
私は、カラカラとカートを前にすすめた。
「デザートにプリン買っちゃいますね」
悟の腕がのびて、肩が抱き寄せられ、耳に軽く唇がかすめる。
「ありがとう」
あまりのことに固まった私の肩をポンとたたいて、「プリン、選ぼうか」と、悟がすたすたと前を歩いていく。
すらりとしたその背を見ながら、いつになったら私はこの人の行動に慣れるのだろうな、と、ドキドキする胸に手を当てる。
付き合って一年たつのに。今だ、私の経験値は悟に及ばない。たぶん、ずっとそうなのだろうな、と、思った。
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