蛇神
「とりあえず、これ以上の神気が流れ込まないようにしないといけない」
柳田が険しい顔でそう言った。
「桔梗、具体的にどんな感じだ?」
「うーん。まず、ボルトでねじ止めしてあったから、物理的には、工具が必要だと思う。ただ、複雑な陣が張ってあったから、まずは陣を解除しないとダメだけど……結構、失敗するとヤバイ感じのするやつなの。たぶん、素人だと思う」
「素人ね……」
悟が顔を歪めた。
この場合の素人というのは、基礎的な修行を積まず、資料と才能だけで術を行使する、いわば『マニア』な術者である。基本的に、霊力が高いのだが、基礎がなっていないので、陣の効率が悪く、しかも呪術のバランスが非常に危うい。ゆえに、解除するとなると、かなり慎重を気せねば、暴走の危険が高い。相手が玄人の場合は、単純に術者との霊力勝負なのであるが、相手が素人の場合は、霊力というより、経験や直感が必要となってくる。
「佐中さん、外で、かがり火焚いてもよろしいですか?」
「ええ。では、ご準備を」
佐中さんは、神事に使う薪をとりに出て行った。
「俺はバッテリーとライトを車からとってくる。杉野、いっしょに来い」
柳田が首にかけていた小さなLEDライトを取り出してそう言った。
「マイさん、如月から離れたらだめよ」
杉野がちらりと辺りを見まわしながらそう言い残し、本殿を出て行った。
周りには何もない。しかし、ここには大いなる何かがある。
大気はあいかわらずピリピリとして肌を刺す。
「桔梗、案内しろ。マイ、ついて来られるか?」
「はい」
私は、頷いて、本殿を出た。手持ちのLEDライトは小さいが、足元を照らすくらいの性能はある。
外に出て裏側に回り床下を見た。高床式の本殿ではあるが、一メートルもない高さだから、屈まないといけない。
「床、低いから、入るなら、着替えたほうがいいかなあ。ここから、五メートルは内側に入った位置だから。悟さま、
桔梗の身体が燐光を放っている。伸ばした指の向こうに、何かが『在る』のがわかる。
「思った以上に複雑な陣だな。しかも、ご神体そのものにかなり神気が入り込んでいる」
悟は桔梗が指をさした床下を覗きこみながらそう言った。私もいっしょになってそちらの方を覗いてみる。複雑な力がそこにあった。
チリン
大きな鈴の音がした。
ゾクッと、背筋が冷える。何かに左腕をつかまれ、グイッと床下にひっぱりこまれた。
シュワッと、瘴気が床下から噴き出してくる。息が苦しい。声が出ない。
リンリンと、鈴の音が激しくなり出した。
「マイッ!」
悟が私の身体を抱き留めた。
「ひがしやま つぼみがはらのさわらびのおもいをしらぬか わすれたか」
ぐわっ
大気が大きくわなないた。悟の唱えた蛇除けの呪言に、力が反応し、私を引く力が緩む。
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前
悟の九字が金色の光を放った。
瘴気が消え、私は大地に悟に抱きかかえられた状態で倒れ込んだ。
ふぅっと、悟が息を吐いた。
「蛇神って、マジかよ……」
悟が私の身体を抱いたまま身を起こす。
悟といえども、『カミサマ』相手では分が悪い。
「大丈夫か?」
「うん。たぶん」
私は、悟に抱き付いたまま頷いた。とりあえず、息はできるが、さきほど『何か』につかまれた左腕が、ヒリヒリと痛む。
「上のご神体としっかり切り離さないと、危なくて手が出せんな」
悟は苦い顔でそう言った。
「まいったね、そこまで力を持っていたとは」
戻ってきて私たちの話を聞いた柳田は苦い顔をした。
外はかえって危険だと、悟が言うので、私達は本殿の中に戻って今後の作戦を立てる。
座敷になっている部分に、大きくしめ縄で輪を描くように置いて、その中でさらに結界を張った。ついでに私の服には霊符がベッタリと張られ、見た目はかなり滑稽である。
「とりあえず、ご神体のまわりを結界で囲んで、これ以上の神気が流れないように遮断しないと、危険だ」
「柳田と如月でも?」
杉野が少し怯えたようにそう言った。
「相手は、一応、『神』だ。崇拝されているものは、『力』が違う」
柳田と如月は、防魔調査室のエースだ。日本でも指折りの霊能力者で、文字通り、『敵なし』に近い。
「この際、行使している奴は、問題じゃない。もちろん、そっちも早急になんとかしないと、暴走する可能性も高いが」
柳田の言葉に、私はゾクリとする。
「結界は、俺と如月と何とかする。杉野とマイちゃんは、佐中さんに古文書を出してもらってくれ。荒魂へ変容させる方法のヒントはどこかにあるはずだ」
「オーケィ」
「書庫から本を借りたら、神域を出ろ。車、使っていいから」
「出ろって、どこへ?」
杉野はそう言ってから、何かをさとったように首を振った。
「……結局、キャンプ場な訳ね」
「予約は、しておく」
柳田が、ニヤリと笑った。
「結界張ったら、俺たちもすぐ行く。今日のところは、それ以上は無理だ。桔梗を同行させるから」
悟に頷いて。私と杉野は、佐中さんと一緒に本殿を出た。
どっぷりと暗い闇の中、ライトを持った佐中さんのあとを、私と杉野が並んで歩き、その後ろを桔梗が歩いていく。
じゃりじゃりと玉砂利が音を立てるたび、 腕がヒリヒリと痛む。
とても嫌な感じだ。
「古文書は、こちらのほうに」
私たちは、本殿からほど近い、宝物殿と書かれた建物に案内された。
ギシギシと引き戸を開いて、佐中は電灯のスイッチを入れた。小さな部屋にいくつか陳列されているのは、古い神具。民族的な文化価値と、霊的な術具価値はあるものの、金銭的価値はほぼないに等しいシロモノばかりだ。
佐中は、一般公開されているその部屋の奥にある物置部屋の戸を開いた。
古い棚がいくつか置かれ、雑多なものが置いてあった。
「ああ、これです。このあたりですね」
三十年ぶりのお祭りということで、佐中もひととおりの秘伝に目を通したらしい。
「大祭の神事をまとめたもの、神社の由来、それから歴代の宮司の覚え書き、このあたりでしょうか」
佐中は棚からていねいに数十冊の書物を取り出した。時代が新しいのであろう。いわゆるノートに書かれたものもある。
「この本、佐中さんの他に読まれた方は?」
私の問いに、佐中は首を傾げた。
「そうですね、郷土史研究をなさっている方に何人かお貸ししたことがございます。ああ、あと、先ほどの梨田にも貸しましたね」
「それは、いつですか?」
「時期ですか? えっと」
佐中は、戸棚の隅っこにあるノートを持ってきた。
「私が宮司になってからの貸し出し記録です。本のタイトルごとに記録してあります」
ノートには丁寧な字で、日付と、貸し出した人の名が記されている。
「梨田は学生の時ですから……宮司になる前でしたが」
「そんなに前に?」
「はい。小説の材料を捜していると言っていましてね。書き上げるまで随分かかったようですけれど」
「なしだ功って、梨田がかなり俳優として成功してからのデビューなのよね」
杉野がそういって苦笑した。
「面白くないわけじゃないケド、作家としては、正直、ベストセラーって言えるような作品、あまりないわね」
「……あいつの話は、なんか物騒ですから」
佐中は苦笑した。
「そうですね。映画の話も、都が滅ぶとか、なんか物騒だとは思います」
私も思わず頷いてしまう。
「梨田は、詳しくは知りませんが、子供のころ、父親の再婚相手と上手くいかなかったらしくてねえ。金には苦労してなかったみたいですが、世を達観したようなところがありました」
「そうなのですか?」
「まあ、そういう生い立ちだから、末期思想的なものが根底にあるのだろうね」
佐中はそういって、出してきた書物を風呂敷に丁寧に包んだ。
「いろいろ複雑な方なのですね」
「あ、マイちゃん、それ、私が持つから」
佐中から風呂敷を受け取ろうとしたら、桔梗がひょいとそれを持ち上げた。
細腕美少女の式神さんは、実はとても力持ちなのである。
「しかし、これだけの量を、一晩で目を通すとなると……キャンプ場で徹夜になるわ。さてと。もう、八時じゃん! どこか食事を買うなり、食べるなりしていったほうがいいわね」
杉野がそういうと。
「ああ、では、民宿『みずち』さんに、弁当を頼んであげますよ。この辺はコンビニやスーパーに行こうと思うと、山越えないといけませんから」
「山越え……」
「まったく。帰ったらボーナス請求しないとだわ」
杉野がボソリと呟いた。
荷物を積み、私達は、村の商店街らしき場所に車で向かう。
現在、夜の八時。どこもかしこも、シャッターがおりている。
都会なら、この時間、スーパーが開いていたり、コンビニもファミレスも営業していたりするが、人通りどころか、車の通りもないこの村は、すでに静まり返っている。
民宿『みずち』はすぐにわかった。駐車所には、神社の駐車場にあったロケバスが停まっている。
私と杉野は、玄関に回ると遠慮がちにインターホンを押した。
「はあい」女性の声がして、引き戸が開く。ほがらかな四十代くらいの女性が顔を出した。
「あの、田中と申しますが」
「ああ、佐中さんから、お電話いただいてます。もう少しかかりますので、そちらでお待ちいただいてもよろしいですか?」
女性が、玄関から見える奥におかれたソファとテーブルを指さした。
「すみません。夜遅くにご無理言いまして」
私と杉野は頭を下げ、靴を脱いで、ソファに腰を掛ける。
「あれ? マイさん」
ひょいと、風呂上りっぽい浴衣をまとった沢渡が顔を出した。
「この宿に泊まるの?」
「いえ、お弁当をお願いしたので」
私が応えると、沢渡は、ふうんとつぶやいた。
「さっきの、すごいカッコイイひと、マイさんのカレシ?」
「ええ、まあ。そうです……」
先ほどの悟の態度を謝るべきだろうか。私は頷きながら、ふと思う。
「残念だなあ、結構、タイプなのに」
さらりと沢渡はそういって微笑んだ。
「はい?」
私は目が点になる。隣に、杉野という美女がいるのに、どんなモノ好きなのだ。
「沢渡さん、ファンへのリップサービスはほどほどにしないとですね……」
「あなた……高野山出身のボウズよね」
杉野が突然、口をはさんだ。
「日本陰陽協会の名簿を見たら、のっていたわ」
いつの間にそんなものをチェックしたのだろう。杉野のデータ把握能力、すごいかも。
「バレちゃったのか。でも、オレ、それほどスゴイ能力者ってわけじゃないから」
ひらひらと手を動かしながら、沢渡は苦笑した。
「拝み屋じゃとても食えないから、役者になったわけ。今回の役に関しては、監督がうちの寺の檀家っていう縁故採用だけど……別に、そっちの仕事で呼ばれたわけじゃないよ」
「じゃあ、鈴の音、聞こえなかったっていうのは」
「ごめん。それは、嘘。だって、あきらかに、怪現象だろ。わかるって言って、防魔調査室に目をつけられたら、面倒かなあって」
沢渡は言いながら、首をすくめた。
「今、話したら、同じことか」
「そうね」
杉野はふうっと息をついた。
「例の、菅ってコ、その後、様子は?」
「別に、全然平気。ずぶといね、あの子。霊的にも超ニブだから、怖いもの知らずってやつ」
「怪現象とかは、ありませんか?」
私の問いに、沢渡は首を傾げた。
「なんか、気の流れが、変な気はする。もともと、この村に入ってから、ピリピリしていたけど、ひどくなったかな」
ちくり。
私の腕が、急に痛みを覚えた。
ガチャリと音がして、男が一人、玄関から入ってきた。梨田廉也だ。
「あ、梨田さん、お帰りなさい」
沢渡が声をかけると、梨田は片手を上げ、奥へと歩いていく。顔色が少し悪い。
「……こんな時間に、お出かけ?」
杉野が不思議そうに梨田の後姿を目で追う。
「なんか、健康の為にウォーキングらしいけど」
沢渡が応える。
ちくり。
腕が、痛い。きりきりと痛みを覚え、私は、そでをまくった。
「うそ……」
私の左腕のはだに、赤いあとがあった。
腕に蛇が巻き付いているかのようだ。
「神の贄だ……」
沢渡が茫然と呟く。
冗談にしては笑えない、と、他人事のように私はぼんやりと、その腕を眺めていた。
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