マーメイド・ギャラリー

 高速船に乗ってきたのは、真田と柳田、それから杉野、あとは救急隊であった。

 幸い、怪我人はおらず、船長たちを含めて、一通りの手荷物検査と聞き取り調査、それから身元の確認作業、健康チェックが行われた。ちなみに、『巨大魚の群れに囲まれて船がエンジントラブルにあった』ということになっているらしい。

 乗客たちは、健康チェックという名のもとに、暗示を与えられて帰されることになった。幸い、人魚を見たと確信をもって言えるような乗客はいなかったようだ。

 私達は、観光船の乗船券売り場の建物の一角を借り、本部にしている。

「人魚の群れとは、厄介な」

 如月の説明を聞いた真田が顔をしかめた。

「この船か、それとも海域か。それとも乗客狙いか……難しいな」

 なんでも人魚はいわゆる妖魔の類の中でも『知的』な存在なのだそうだ。そして、人前に顔を出すというのは、必ず何らかの理由があるらしい。

「この船は土日祝日に必ず出航しているし、海域は船の行き交う港湾部だ。乗客の線が一番強いだろうな」

 柳田はそう言って、私たちを見た。

「で? ふたりは何か気が付いたか?」

「ごめんなさい。その、自分のことに夢中で……」

「休日の俺に、多くを求めるな」

 如月は首をすくめた。

「ただ、執拗に人魚たちは船に登ろうとしていたから、何か、もしくは誰かを狙っていたのに違いない」

「なるほどね」

 それは俺の推測と変わらんなあと、柳田が呟く。

「デート中に災難だったわねえ」

 書類の束を抱えて、杉野がやってきた。乗客たちの聞き取りを終えて帰ってきたのだ。

「どうだ、何か収穫は?」

「そうねえ、気になることがあることはあったわ」

 杉野は、写真を一枚取り出した。ネックレスの写真だ。青いガラス玉のような透明な石をワイヤーで巻きつけたペンダントトップに銀の鎖が付いているだけのシンプルなものだ。

「この石、不思議な気を放っていて、気になったわ。持ち主は、矢崎里香やざきりか。どうやら手芸作家らしいわ。これも自分で作ったらしいけど」

「へえ、器用ですね」

 私は写真をまじまじと見る。

「この石は、藍月浜あいげつはまで拾ったらしいの。随分気に入っているみたいで触らせてももらえなかったわ。譲ってほしいと言ってみたけど、当然、断られたし」

 杉野は苦笑した。

「藍月浜ね……人魚ケにんぎょがざきに近いな」

 真田が渋い顔をした。

「えっと、八百比丘尼の伝説があるところでしたっけ?」

 人魚の肉を食べて不老となった美女の話が有名である。ついでに、人魚のミイラがあるという寺もその辺りにあった気がする。

「おっ、マイちゃん、優秀だね」

 真田がにこやかに笑う。

「いえ、ただの趣味です」

 私は首をすくめた。知識を集めようとして読んだわけではないから、褒めてもらうのは気が引ける。

「彼女、藍月浜で、お店を出しているらしいの。漂着物から、インテリアやアクセサリーを作っているって言っていたわ。」

「へえー」

 柳田が写真を眺めながらそう言った。

「あと、彼女、嫉妬深い感じなの。彼女の彼氏である一条健司いちじょうけんじに質問している間、ずっと睨まれたわ。別にモーションかけたわけじゃないのに、酷いったらありゃしない」

「杉野さん、美人だから仕方ないですよ」

 私がそう言うと、そこにいた全員が首を傾げた。

「え? 杉野さんクラスの美人と話せば、たいていの男の人はクラリとして当然ですよ。自分の彼氏が杉野さんと楽しそうに話しているように見えたら、嫉妬もします」

 私がそう言うと真田が苦笑した。

「そういえば、杉野は美人の部類だな」

「……課長、そういえばっていうのは、どーゆー意味でしょうか?」

 不満げに杉野が口をとがらす。その表情もとてもかわいい。

「お前、顔と言動のギャップが大きすぎるンだよ」

 柳田がそう言って苦笑し、杉野はむぅっと呻いた。

「一条さんというのは、どんな方ですか?」

 私がそう聞くと、杉野は資料をめくった。

「藍月浜でレストランを経営しているやり手のオーナーシェフらしいわ。そこそこの二枚目で客商売しているだけあって愛想は良かったわね」

「杉野さんが愛想よく感じたのなら……嫉妬されても仕方ないのでは? 美人税ですよ」

 私がそう言うと、杉野は苦笑した。

「私をそんな風に言うの、マイさんだけよ。でも……なんだろう、そこまで嫉妬する割に、溺愛って感じじゃないの。その辺りに違和感があったわ」

 杉野がそう言うと、真田が首を振った。

「とりあえず、その女性は追跡調査が必要だな。あとは、藍月浜および、人魚ヶ崎周辺の調査と、もういちど、観光船および海域調査をしよう」

「課長、俺、休暇中ですが」

 指示を続けようとする真田に、如月が不満げにそう言った。そう。如月は今日、明日と二日間は休暇の予定だったのだ。

 如月の態度は社会人としては無責任というひともいるかもしれないが、彼は、ここ二か月、働き詰めだった。ここで不満を言わない人間は、かなり仕事中毒だと思う。

 真田は、ふうっと溜息をついた。

「如月はマイちゃんとふたりで藍月浜と人魚ヶ崎周辺を調査だな」

「……マイは、まだ、入社しておりませんが」

 如月が苦笑した。

「日当は出す。休暇は諦めて、別の日に申請しろ。ま、今晩のところは勘弁してやるから、マイちゃん送って帰るといい」

 真田は、そう言うとニヤリと口角をあげた。

「ただし、今日はキスだけにしておけ。藍月浜は遠いからな。励むと朝に響くぞ」

「……余計なお世話です」

 男二人のやり取りの意味を理解して、私は思わずうつむく。

 暗い海は、静けさを取り戻し、さざ波の音だけを囁いていた。



 青い空に青い海。そして白い砂浜。季節が季節なら、ここは海水浴客がたくさん訪れる場所だ。その証拠にこの季節には使われない更衣室やシャワー室、そして海の店の建物が広い海岸に扉を閉めてひっそりと建っている。

 堤防道路の向こうには、たくさんのお土産屋や、宿屋が軒を連ねている。寒い季節でも、夕日が綺麗である、白い砂浜からのぞめる人魚ヶ崎の海岸の荒々しい岩肌の風景も人気ということで、この季節でも観光客は多いらしい。

「綺麗なところですね」

 私は流れてくる潮の香りを楽しみながら、地図を確かめている如月を見上げた。

 矢崎の店は、ネットにも店を出していたので、場所はすぐにわかった。

 ホームページにはいくつも作品が写真で紹介されていたので、念のため、それを記憶しておく。

 今日の如月は、銀縁の眼鏡をしている。もちろん、伊達眼鏡だ。いつもはサラッとしたナチュラルなヘアスタイルを七、三に分けて固めている。インテリなサラリーマン風である。

 ちなみに私もウイッグをつけ、ロングヘアにしたうえに、普段は着ないような胸元が開いたブラウスに、ミニスカートをはいている。

 なぜそんなことをしているかというと、矢崎里香の店に行くのに、念のため変装をしたほうが良い、と杉野に言われたからだ。ちなみに、洋服は、桔梗が用意してくれたものだ。なぜ、そのようなものがあったのか、謎ではある。

「如月さん、変装しても目立ちますね」

 私はうっとりと如月の顔を見つめる。オフィスドラマの主役として、そのまま出てきそうである。

「おかしくないか?」

 如月は、普段、髪を固めることがないから、どうやら、髪型が気になって仕方がないらしい。

「おかしくはないです。ただ、いつもと雰囲気が違って、別の人といるみたいです」

 観光船に乗っていたことを矢崎に悟られないように、念のために変装したのだ。違って見えなくては困るのだけれど。

「マイはいつもより目立つ」

 ブスッと、如月は不機嫌そうに口をとがらせた。

「その服、露出しすぎだ」

 私は、如月の視線を感じて、顔が赤らむのを意識した。

「あなたの優秀な式神さんが、用意してくれたンですけど」

「あのバカ……また、勝手に通販で買ったな……」

 ブツブツと如月はそう言って頭を抱えた。

「これ、桔梗が買ったんですか?」

「俺に女装の趣味はない。ついでにいうと、他の女の服でもないから」

 なんだかよくわからないけれど、最近の式神さんは、ネットショッピングまでするらしい。食材や生活用品をお手軽に買えるのでネットスーパーでの買い物を許可したのが、きっかけだそうだ。

「とりあえず、矢崎の店に行くぞ」

 私は如月に手を引かれ、土産物屋の一角にある、小さな可愛らしいアクセサリー屋へとやってきた。

『マーメイド・ギャラリー』という貝殻で書かれた看板が、扉に掲げられていた。

 カランと、扉の音を立てながら、私たちは、ゆっくりと店内に入った。

 小さな店内には、可愛らしいアクセサリーが所せましと並べられていた。

「いらっしゃいませ」

 にこやかにカウンターの中で笑みを浮かべたのは、店主の矢崎里香だ。

 とても綺麗な女性である。ただ、似合ってはいるが、かなり個性的なカントリードレスを着ている。胸元には杉野が見せてくれた写真のネックレスが輝いていた。

 私は店内を見ながら、彼女をゆっくりと観察する。店内に入ってから、彼女の目は如月に釘付けだ。  もっとも、それは如月の変装に気が付いたというわけではなさそうだ。

「このネックレスの石はガラスですか?」

 如月は彼女の視線を居心地悪そうに受け止めながら、少し半透明な水色の石を指さした。

「はい。シーグラスと言って、海岸に漂着したものですよ」

 彼女はそう言いながら、カウンターから出てきて、如月の横に立つ。一瞬、彼女のネックレスがキラリと光った。

 なんともいえない、嫌な気が肌を刺した。

 私は周りを見回す。妖魔がいるような雰囲気はない。如月に目を向けると、『落ち着け』というように頷かれた。

「少し、試してもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

 彼女は艶然と如月に微笑む。如月はその微笑みを無視して、私の首へとネックレスをつけてくれた。

 私は彼女が用意してくれた鏡にネックレスを映す。デザインは石をワイヤーを絡めて固定し、銀の鎖を通したシンプルなものだ。

「可愛いですね」

「お似合いですよ」

 私の言葉に、彼女は笑いもせずにそう言った。なんであんたがプレゼントされるのよ、と言いたげだ。

 如月と一緒にいると女性にぞんざいに扱われることはよくあることだ。嬉しくはないが、私程度の女が如月の隣にいることに対して、相手ががっかりする気持ちもよくわかるので、気にはしないことにしている。

「じゃあ、これにしようか」

 如月はそう言って、私ににっこりと微笑んだ。ここまでは打ち合わせ通りである。

「あなたのその石も、シーグラスですか?」

 私はさりげなさを装い、彼女のネックレスを指さした。

 シーグラスというには、あまりにも透明で美しい青色。しかも大きい。

「ええ、まあ、そうね」

 彼女はそう言って、石を隠すように手で握った。

「本当に、宝石みたいですね。あなたによくお似合いです」

 如月は歯の浮くセリフと笑顔を彼女にふりまく。霊力など使わなくても、女性には絶大な効果がある。

 案の定、彼女は、如月が女連れということも忘れて、顔を赤らめた。もっとも、私では、如月と恋人同士に見えないのかもしれない。

 私はネックレスをレジのカウンターに載せ、店内を見回す。ようやく、先ほど記憶した作品を一つ、見つけることが出来た。

「実は、お店のこと、ブログで見ました。私、どうしても来てみたくて」

 私は、言いながら先ほどネットで見た、シーグラスをフレームに貼り付けた写真立てを指さした。

「あ、これです。これ、欲しかったの」

 私はやっとみつけた、というようにそう言った。彼女は満足したような顔をした。

「でも、すごいですね、漂着物っていうと、そこの海岸で?」

 彼女の機嫌が良くなったようなので、私は質問を続ける。

「シーグラスは、もともと人間の捨てたガラスです。材料集めは、海岸の清掃活動も兼ねているのです」

「海にあったらゴミだけど、あなたの手が加わると、宝石みたいになるってことですか? なんだか魔法みたいですね」

 素直にそう言うと、彼女はまんざらでもないように笑った。

「材料費はたいしてかからないわ。センスとアイデアだけよ? やってみる? 一回千円にしておくわ」

「え? やりたいけど……難しくないですか?」

 意外といえば、意外な言葉に、私は思わず聞き返す。

「貼り付けるだけのものなら、意外と簡単よ。レジンで固めたり、ボンドで接着したりするのだけど……乾くのに時間がかかるから、後から取りに来られる? それとも郵送してもいいケド」

 私は如月と目をかわす。

「夕方にはできますか?」

「ええ。大丈夫よ」

「なら、夕方、取りに来ます」

 私の言葉を聞いて、彼女はカウンターの奥にあった台座を持ってきた。そして、いくつか細かいシーグラスや貝殻を仕分けしたケースを開ける。

「どれか、選んでみて」

 どうしてこんな展開になったのか不思議だったが、私は、ドキドキしながら、小さなピンクの石と白い小さな貝殻を選んだ。私は台座にそれらを配置すると、彼女が丁寧にレジン液をその台座に満たす。

「じゃあ、夕方、取りに来て。お名前は?」

「田中舞です」

 私はそう言って、お金を支払った。

 私と会話する間、彼女は営業スマイルを張り付けてはいるものの、如月に熱い視線を投げている。そして、彼女と如月の視線が交わるたびに、彼女のネックレスが煌めいて、嫌な感じが肌を刺す。

「その石、本当に綺麗ですね、見せてもらえませんか」

 如月がにこやかに笑う。ほんの少しだけ言葉に霊力を込める。呪言の使用は、キビシイ規定があって、この段階で使うのは微妙だ。しかも、相手が霊能力者の場合、悟られる危険がある。

「……どうぞ」

 しかし彼女は気が付いた様子もなく、掌にペンダントトップをのせて、如月の前に差し出す。如月は優しく彼女の手を握るようにして、じっとその石を見た。

 彼女は、如月に手を握られ顔を朱に染めながら、どことなく私に勝ち誇ったような笑みを向けた。

――なんか、嫌。

 霊視をするためだとわかっていても、つい、如月と彼女の距離が近くて。しかも、手を取るようなしぐさは、騎士がお姫様の手をとるようにも見えて、もやっとした。

「ありがとう。素敵な石ですね」

 如月はにこやかに矢崎に笑いかけ、私の肩をポンと叩く。

「それでは、また夕方に」

 矢崎は如月に笑みを返した。まるで、私などいないかのように、明らかに熱い視線を投げている。

 その目がとても色っぽい。唇も艶やかで、声も誘っているかのような甘さがある。

「マイ、行くぞ」

 いいながら、一人で扉へと向かう。いつもなら、すぐに手を握る如月が、彼女の視線を気にするかのように、私と距離を取っているのが感じられた。

――職場でだって、気にしないで、手をつなぐのに。

 私はもやっとする心のまま、如月の後を追った。

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