第三章 赤の絆
手巻き寿司、食べましょう
異世界トリップから、一か月が経過した。
私は、ほぼ、平穏な日常を送っている。
柳田瞬が言ったとおり、普通の生活ではなくなったような気もするが、道を歩いていて絡んでくるような小物の妖魔であれば、自力解決できるようになった……それはそれで、正当派背景キャラではないとは思うけど。(そもそも、正当な背景って変な言い回しだ)
第二話の『血の芸術』の事件が、あまりにも原作と違うため、私は原作知識にこだわることに危険を感じ始めている。私が、原作にこだわらず、ムーンライトホテルに行かなければ、月島薫はまだ、生きていたかもしれない。そう思うと、心が重い。
もちろん、彼女が常軌を逸し始めていたのは、私と邂逅する前だから、私と会わなくても、今後、どうなっていたかはわからない。わからないが……考え出すときりがない。
――過去を振り返ってもどうしようないな。
私は首を振り、スーパーのカートを手にした。
土曜日の午後、一人暮らしの女がするべきことと言えば、食料の買い出しである。
一週間分の献立を思い描きながら、お買い得品を買い物かごに放り込む。
――あれ?
スーパーの女性客たちの様子がおかしい。
遠巻きに、ある人物に視線を送りながら、そっと自分の服装をなおしたり、妙にすました顔で歩いたりしている。
「あ」
スラリとした長身。夏物の半そでのTシャツに、ジーンズ姿の男性が、カートを引いている。
――めちゃくちゃカジュアル! 初めて見たかも。
私は、他の女性客と同じように、ぼーっと如月悟を見つめた。
主人公さまは、何を着てもカッコイイらしい。
とにかく目立つ。だが、本人には、あまり自覚はないのだろう。もしくは、私と違って、注目を浴びることに、慣れきっているのに違いない。
――普通に、鮮魚売り場で、立っているだけなのに、絵になるって凄すぎ。
私は、ため息をつき、如月から視線を外した。この状況で、彼にご近所さんの社交辞令挨拶に行く勇気はない。
私は自分のわきにある、おつまみ売り場に入り込む。もともと、つまみ用のサキイカを買う予定だから、隠れたわけではない、と自分に言い訳する。
私は、サキイカとチーズたらを籠に入れると、そっと鮮魚売り場に視線を送る。
如月の姿は既にない。
今日は、手巻き寿司の予定である。ひとりなら、ちらし寿司が一番楽だけど、私は、海苔巻というのが、大好きで、手巻き寿司という形式が無性に好きなのだ。
私は、ホッとしてカートを引きながら鮮魚売り場へ向かう。
「サーモン、うーん、でもしめ鯖好きだけど、うーん、正当はマグロだし」
ブツブツ呟きながら、魚を吟味する。
「やあ」
どわっ
私は、背後から降ってきた見知ったテノールの声にびくりとした。
「こ、こんにちは。如月さん」
思わず強張りながら、私は振り返った。
「買い物?」
如月はにこやかで眩しい笑顔を私に向けている。彼の笑顔に、周囲のどよめきが聞こえたような気がした。
「は、はい。如月さんも、お買い物ですか?」
周りの視線におびえながらも、私は彼の引いているカートに視線を送る。なんだか、レトルトのパッケージばかりだ。
「お忙しいのですか? レトルトばかり食べていると身体に悪いですよ」
如月が料理をするかどうかはよくわからないが、桔梗は料理が出来る。もっと、新鮮なものを買ってもいいのに、と思う。
「最近、忙しくて外食が多くてね」
如月が苦笑する。なるほど。家に食材置いても、腐ったら勿体ないものね。
「レトルトや外食ばかりでは身体に悪いですよ。たまには、うちでいっしょにお食べになりますか?」
冗談めかしてそう言うと、如月は「ぜひ」と眩しい笑顔で応えた。
――あれ? これって。
私は、今のやり取りを頭の中で反復する。
――これは、第三話 赤の絆の冒頭だ。
前回は、フラグをどうしようかと悩んだが、今回は完全に無意識に再現してしまった。
――でも、まあ、第三話の田中のシーン、これで終わりだし、しかも今回なんのキーワードもないシーンだから問題ないか。
「……それで、今晩は、何の予定?」
「へ?」
なぜか、ニコニコ顔の如月に問われて、私は我に返る。
「えっと。手巻き寿司を食べようかと」
「いいね」
ご機嫌な如月の端正な顔を眺め、私は、一瞬、頭がフリーズした。
――あれ? これって、今晩、私がうちでご馳走する流れになっている?
「俺は、ひかりものとか好きだけど、マイさんは?」
「す、好きですね」
嬉しそうに魚を選ぶ如月を、私は呆然とみる。
――小説では、完全な社交辞令だったと思うのだけどなあ。
これでは、完全にスーパーでデートしているカップルみたいだ。
そうでない、と言えるのは、如月もカートを引いているところくらいか。
なんだか、自分が勘違い女ルートに入ってしまいそうな気がして怖い。
――如月は、私を女と思っていないみたい……。
私が、胃袋を捕まえようとしたたかに企んでいるとか、色仕掛けで誘惑しようとする危険とか、考えていないのかな、と考えて。首を振った。
考える必要もない。そうしようと思ったところで、私にはスキルがなさすぎる。
たとえば捨て身になって、服を脱ぎ、如月にすがったとしても、軽くいなされて終わってしまう気がして……落ち込んだ。
「如月さんは、女性に勘違いされて困ったことはないのですか?」
「勘違い?」
私の問いに、不思議そうに如月は首を傾げる。
「なんでもありません」
私は、質問を引っ込めた。如月は恋愛偏差値も高い。きっと、勘違い女も、余裕で避ける技能を持っているに違いない。
モテない私が如月を心配することはない。私が心配しなくてはいけないのは、私の気持ちの方だ。
「酒は俺が買うよ」
戸惑う私の気も知らず、ご機嫌に如月がそう言った。
「この卵焼き、美味いね」
如月はそう言って、卵焼きを頬張る。
「あ、マイちゃん、その納豆、とって」
桔梗が優雅なしぐさで、海苔にご飯をのせて、マキマキしている。
――いつも思うけど、式神って、食べたものをどうやって消化しているのだろう。
そもそも、睡眠もいらないし、生物でもないのに、なぜ、桔梗は食べるのか。
謎である。謎であるが、追及はしない。桔梗は桔梗だから、それでいいと思う。
「マイちゃんって、料理上手だよね」
桔梗が私を持ち上げる。お世辞まで言える、優秀な式神さんだ。
「ありがとう。でも、手巻き寿司で、料理上手って言えるかどうか、微妙だけど」
私は首をすくめた。褒めてもらえるポイントとしたらすし飯と、卵焼きくらいかなーと思う。
「ね、そう言えば、マイちゃんの読んだ小説では、次はどうなるの?」
桔梗は、面白そうにそう言った。
「うーん。第三話は、赤の絆ってタイトルでね。事件そのものはたいしたことがない、珍しく平和なお話だったわ」
「ふうん。平和なお話って?」
私は桔梗の顔を見た。
「如月さんがお見合いする話よ」
ぶっ、と如月がお茶をむせる。
あ。しまった。恋愛系の話は、伏せておこうと思ったのに、つい言ってしまった。
くすくすと、桔梗が笑う。
「えっと。あの、如月さんがご実家に帰省なさるお話だったの」
私はあわてて、言い直したが、じとり、と如月が私を睨むように見る。
「へえ。マイちゃんは?」
当たり前のように、桔梗が質問する。何度説明しても、彼女は私がただの『隣人』という設定が理解できないらしい。
「私は、出番ないよ? だって、如月さんのご実家のお話だもの」
私は鉄火巻きを作って頬張った。
「悟さまは、誰とお見合いするの?」
興味津々、という感じで、桔梗が聞いてくる。
「で、でも。この前は私が読んだ内容と事件、全然一致しなかったから」
慌てて、言い訳をして、はぐらかそうと試みる。
第三話のヒロインは、清楚可憐な
とはいえ。第三話は、基本、
「俺、見合いなんてする気はないから」
怒ったように如月はそう言って、私を見る。
なんだか、とても怒っているようで怖い。
「あ、うん。もう、私の話なんて、気にしないほうが良いと思うの。だって、全然違うじゃない? 変な先入観があったら、お仕事の妨げにもなるし。それに、恋愛も興ざめになっちゃうよね。余計なこと言って、ごめんなさい」
私はそう言って、空いたお皿を下げるために、台所に立とうとした。すると、如月に腕を引かれた。
「え?」
突然、引き寄せられた身体は、如月の膝に座り込むような形で倒れ込み、後ろからすっぽり抱きすくめられる形になった。
「マイさんは……不用心だ」
そのまま、ぎゅっと抱きしめられる。
「え?」
事態が把握できない。耳元に如月の暖かな息づかいを感じる。
どうしよう、と、桔梗を捜すも、優秀な式神さんは、いつの間にか姿がない。
「俺が、見合いをしない理由は、わかってくれている?」
甘いとろけそうなテノールの声が、耳元で囁く。
心臓の鼓動がうるさい。如月の腕はさらに力がこもって。
息が苦しい。如月の体に触れているせいか、身体が熱を帯びてくる。
ドンドンドン
不意に、外の扉を叩く音がした。
「うちじゃ、ない」
私が呟く。振り返ると、不思議そうな顔の如月と目が合った。
こほん。
小さく咳払いをしながら、ふわりと桔梗が現れて。
「悟さま、せっかくのところを残念だけど、お兄様がお見えです」
苦々しく、彼女はそう言った。
なぜ、如月悟の兄である、
彼は、当たり前のように、我が家に上がり込み、今、マグロを食っている。
如月悟より、三つ年上の徹は、兄弟だけあって、とても良く似た端正な顔立ちの男だった。弟より、ちょっとキツイ目をしているが、渋みがあると思えばマイナス点ではなく、どちらが好きかは、好みの問題であろう。
体格は、やや、徹のほうがゴツイ。
如月の実家は、古くは土御門家につながる、由緒正しき陰陽師の家柄なのだが、現在、表向きは接骨院をやっているらしい。
この辺りは、小説と変わりはない。
徹は、接骨院を営みながら、フリーランスの化け物退治屋であり、武道の達人という、まるで漫画の主人公を地で行くようなひとなのだ。
「何の用?」
如月悟にとっても、突然の訪問だったらしい。
「見合いの話があって」
兄の言葉に、如月悟の眉がぐっと寄せられる。
「俺は、そんなものはしないと、この前、言っただろう?」
えっと。……と、いうことは、お見合い話はあったのか。そうだよね、如月も二十七。男性は、女性より年齢で婚期を気にしないとはいえ、そういうお話があっても、おかしくない年齢なのだ。
納得しながら。ちょっと胸の奥がチクンとした。
「違う。お前じゃない。オレだ」
あれ? 私は、耳を疑う。原作の徹氏は、確か許嫁がいたような気がするが……もう、原作は気にしないことにしよう。
「断れない相手から紹介された。助けてくれ」
すがりつくような目で、如月徹は、如月悟に哀願する。
「お見合い相手は、そんなに嫌な方なのですか?」
私は、お茶を差し出しながら聞く。
「いや、会ったことはない」
憮然とした表情で、如月徹は答えた。
「では、他に意中の方がいらっしゃるとか?」
「いや、そう言う訳でもないのだが……」
言いながら、彼は私の顔を見て、私の手を急につかんで握りしめた。
「そうだ! 君――」
「観念して、見合いしろっ!」
如月徹は最後まで言葉を言いきらずに、如月悟に叩き倒されたのだった。
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