第二章 血の芸術
フラグ、折りますか? 立てますか?
カランカランカラン
商店街のオジサンが高らかに鐘を鳴らした。
「一等、ムーンライトホテルペアお食事券、ご当選、おめでとうございます!」
福引券会場で、私は人々の注目の的となり、恥ずかしさのあまりに顔が赤くなる。
異世界トリップ四日目(日曜日)の午後のことである。
昨日、買った食料品の一部が、そのままゴミ箱行きになるという不幸な事件があったので、翌日の今日も買出しにやってきたのである。
――ムーンライトホテルペアお食事券、ね。
私は、当選したチケットを受け取りながら、脳裏にある場面を思い出す。
「おでかけですか?」
如月は同じエレベータに乗り込んだ隣人の田中に声をかけた。随分めかしこんでいる。
「はい。ムーンライトホテルのレストランの食事券が当たりまして」
にこやかに田中は微笑む。いつになく表情が柔らかだ。
「月山の辺りは、最近なにかと物騒だそうですから、気をつけてくださいね」
昨日の報告を思い出しながら、如月はそう言って微笑んだ。
――第二話 血の芸術、冒頭だよ。
私は受け取ったチケットを手に、人ごみを避けるように、喫茶店に入った。
とりあえず、頭を整理しなくては、と思う。
『闇の慟哭』第二話『血の芸術』は、月山という港湾部でおこる、連続殺人事件である。
ゲストヒロインは、ムーンライトホテルの支配人の娘『
――やばい。
運ばれてきたアイスコーヒーを口にしながら、私は震えた。
第一話の「異界渡り」は随分と話が変形していたが、それでも『異界渡り』は出現し、ヒロインではなく、なぜか私にストーキングをしたものの、如月に退治された。
と、いうことは第二話も、多少のストーリー変更はあるかもしれないが、『妄執』による事件はおこる可能性は高い。
ちなみに、第二話の田中の出番は、冒頭近くのエレベータでの如月との会話だけだ。
――どうしよう? フラグは立てたほうが良いの? 折った方が正解?
あのシーンの意味は、如月が月山地区の事件を追っていくときに『ムーンライトホテル』を意識するきっかけである。ムーンライトホテルのロビーには『亜門』の絵が飾ってあり、亜門の神女として描かれるのが、月島薫嬢なのだ。
小説的にはあのシーンがなければ、『ムーンライトホテル』に足を向けるのが遅くなるのだが、実際にはどうなのだろう?
私は、当選したチケットをもう一度確認した。
『男女ペアご招待』とある。
ペアじゃない。男女ペアだ。
――なんてこった。
フラグを立てるためには、私は誰か男を誘って、しかも、おでかけの時間にエレベータで如月と乗り合わせなくてはならない。
二重に面倒な話だ。
めかし込んで、いつになく柔らかな顔って、デートだよ! デート!
相手は誰だよ、田中? つい、突っ込みたくなる。
「相席、大丈夫?」
低く柔らかな男性の声がした。
「あ、どうぞ」
反射的に応えて、ふと、周りを見回す。昼下がりの喫茶店は、ガラガラというわけではないが、別段、空席がないわけではない。
「俺、コーヒーね」
男はウエイトレスにそういうと、面白そうに私を見た。
年は三十手前。少しニヒルな感じのする端正な顔立ち。細くて鋭い切れ長の目。
短い髪はやや焦げ茶色だが、染めたというより、地色であろう。スーツ姿が様になっている。
どう考えても、知り合いではないし、同席する理由が見当たらない。
「……私、宗教もカルチャースクールも間に合っていますので」
とりあえず、そう言って、私はレシートに手を伸ばそうとした。
「どっちも違うよ。田中舞さん」
くすくすと男は笑った。
名前を呼ばれて、私は思わずギクリとする。
「ナンパされるって発想はないらしいね。君は」
面白そうに男はそう言った。バリトンのあまりに素敵な声に、なんとなくドキっとした。
「俺は、
「はあ」
私はマヌケに返事をした。
柳田瞬は、小説にも出てきた如月の相棒である。クールで堅物な如月と対比して、少し軽薄な言動が多いが、例によって暗い影を背負っていて実は寂しがり屋の一面を持つ『女性の心をわし掴み』キャラクターだ。確か、某ホームページの人気投票では、僅差で如月より上であった。
――想像していたより、マジメそうな顔だなあ。
つい、小説のキャラのイメージと比べてしまう。
「えっと。その如月さんの同僚さんが、私に何か御用ですか?」
メインキャラとの初対面にちょっとドキリとしながらも、私は平静を装った。
「君、九字を切ったらしいね」
あっさりとした口調で、柳田はそう言って微笑んだ。
「如月は、自分がしばらく監視するって言っているけど、野放しってわけにはいかないからちょっと、面接に来た」
「は、はあ」
私が知らないところで、如月に監視される身分になっていたことに驚く。
九字を切ったといっても、小説知識からのなんちゃって九字だし、効力はそんなになかったみたいだけどなあ、と思う。
「しかし、会ってみて驚いた。マジで霊的魅力が振りきれている」
柳田は感心したように私をジロジロと眺めた。
「君……普通の生活、たぶん出来ないよ?」
不吉なことを、柳田はさらっと言った。
「それは、妖魔とかに好かれちゃうからですか?」
私はおそるおそるそう聞いた。柳田はゆっくりと頷いた。
「それに、君、霊力が高いしね。できれば、俺たちの仕事にトラバーユすべきだね」
「冗談ですよね?」
私は思わずそう言った。
「まあ、考えておいてくれよ。これ、俺の連絡先。如月経由でもいいけどな」
柳田はそう言うと、ちょうど彼のコーヒーが運ばれてきた。
私は、名刺を受け取る。『防魔調査室』とある。本物である。
ということは、小説に出てきた登場人物全員実在するのね……と、つい現実逃避。防魔調査室は美形揃いだった。そんなところにお勤めしたら、毎日が眼福なのは間違いない。間違いないケド、第一線で魔物と戦わないといけないし。そもそも、私にとっての「眼福」だけで、恋愛対象として私がみてもらえるわけではない。
観賞したい職場ではあるけれど、お勤めしたい職場では断じてない。
「ところで、君、ヒマ?」
急に口調が軽くなったのに驚いて視線を向けると、柳田がバチンとウインクをした。
こんな間近で、美形にウインクされたことはない。心臓がどきっとした。
「へ?」
「俺と一緒に、デートしようか」
バリトンボイスの誘い文句は腰にくる。自分の顔が真っ赤になるのを意識した。
柳田は楽しそうに、私の顔を見ている。どうやら、遊ばれているらしい。
「からかわないでください……」
ようやく、それだけ口にする。
「真面目だね」 そう言って、柳田は私のレシートを取り上げた。
「あ、これ、経費だから」
彼はすっと立ち上がった。行動がいちいちスマートだ。小説同様、女性にモテるに違いない。
「デートは本気だからね。またね、マイちゃん」
にっこりとさりげなく名前呼びして、柳田は帰っていった。
私は、バリトンボイスの攻撃力に心臓を傷めつけられ、しばらく椅子から動けずにいた。
久しぶりに何事もなく、家に帰ることができた。
私は、柳田からもらった名刺と、当選したチケットを食卓テーブルの上に置き、じっと眺めた。
そもそも、原作通りに演出しなくても、『ムーンライトホテル』というキーワードを如月に提供すればいいのだ。
事件の概要はこの前大まかに話したが、もう少し詳しく話したほうが良いかもしれない。連続殺人事件なんて、おきないに越したことはないのだ。
――このチケット、どうしよう。
もし、鈴木麻衣と一緒になる前の田中舞だとしたら、誘うのは誰だろう。
一番は、同期の熊田。もしくは沢木か。熊田は、食欲旺盛なので、誘えば一緒に行ってくれるかもしれない、と思ったが、昨日、彼女と二人連れでいたことを思い出した。
――そうなると、沢木? 沢木は誘うの面倒だなあ。
同じ職場の熊田と違い、沢木は工場勤務だから、接触が少ない。誘うタイミングによっては、他の女の子たちに気付かれるし、変な誤解をされたら、沢木も迷惑だろう。
『俺と一緒にデートしようか』
不意に、バリトンボイスが脳裏によみがえる。
――いや、それはない。だめだよ。隣人の職分、越えちゃっている!
おそれおおくも柳田瞬の顔を思い浮かべるなんて、一瞬でも考えた自分の図々しさが怖い。
「どうして難しい顔しているの?」
背後から突然覗きこむように、桔梗の声がした。
「どわっ」
相変わらず、心臓に悪い。
桔梗は、私の反応を全く気にせず、私の手元のチケットを見た。
「わー、ホテルのお食事券!」
声が弾んでいる。いや、桔梗と行ければ、私も嬉しいけどね。
そもそも桔梗は、人間じゃないから行けないけど。
「商店街の福引で当たったの。どうしようかなーって思ってさ」
私は首をすくめた。
「なんで? 行けばいいのに」
桔梗がキョトンと私を見返す。
「だって」
私は、桔梗にこれが小説で読んだフラグであることを説明した。
「ふうん、マイちゃんのデートに出かける日に、悟さまと偶然会うって冒頭なのね」
「そ。なかなか、タイミング、難しそうでしょ? それに、下手に出かけて、また魔物に会っても困るし」
一番の問題は、誰と行くか、だけど。
「だからさ、このホテル周辺で事件がありそうってことだけ、如月さんがわかっていれば、わざわざ小説のシーンを再現しなくてもいいんじゃないかなーって思ったり」
私がそう言うと、桔梗が小首をかしげた。
「ふうん? マイちゃん、ちょっと待っていてくれる?」
桔梗はそう言って、すっと姿を消した。
おそらく如月に報告に行ったのであろう。
私は、ふうっと息をついた。
如月が桔梗からムーンライトホテルというキーワードを手に入れたのであれば、もう、これ以上悩む必要はない。
私はよいしょ、と腰を上げ、久しぶりにゆっくりと風呂に入った。
異世界トリップ四日目にして、おだやかな日常が帰ってきた気がする。
私の中で、鈴木の部分と田中の部分は意識の上ではほとんどわからなくなり、記憶だけがふたつある。
そういえば、異界渡りにとりつかれた里浦は『覗き屋』という技能で鈴木麻衣と出会ったらしい。と、いうことは『闇の慟哭』の作者も『覗き屋』の技能を持っていて、向こうからこっちを覗いていたのかもしれない。
彼が見た時間軸と私の時間軸にズレがあるけれど、彼の見た世界と私のいる世界が同一な結果にならないのは、異界渡りの件でわかっている。
できれば、彼の見た世界ほど事件が大事にならず、しかも私は巻き込まれない形ですぎていけばありがたい。
夕食を軽く済ませ、缶チューハイを飲んでいたら、突然、玄関のチャイムがなった。
「はい」
慌てて、玄関の扉を開けると、如月が立っていた。
「桔梗に聞いた件で話があるのだけど」
彼はそう言って、私を見ると真っ赤になってさっと顔をそむけた。
はて? と思って、自分の姿をかえりみる。
タンクトップに短パン姿である。V字カットの部分に胸の谷間がくっきり出ていて、しかも……私、ノーブラじゃん!
うすい布でピッタリフィットのタンクトップの生地だから、胸のかたちがはっきり浮き出ている。
「す、すみません!」
私は、慌てて奥に引っ込んで、長そでのシャツを羽織った。
「まさか、如月さんがお見えになるなんて、思わなかったので」
真っ赤になりながら、私は言い訳し、座布団を部屋に用意した。
「どうぞ、お入りください」
私がそう言うと、如月は、玄関から上がるのを固辞した。
私の格好に、引いてしまったらしい。
「マイさんは、無防備すぎだ」
如月は怒ったような口調でそう言った。しかも、目を合わせてくれない。
「申し訳ありません。でも、この時間には、宅配便とかぐらいしかこないし……」
「宅配の配達員をそんな恰好で出迎えたら絶対にダメだ!」
如月は急にマジな顔で怒鳴った。ごめんなさい。それは、確かに女子としてダメかもしれないけど。
「……すみません」
如月としても、私の見たくもないセクシーショットを見せられて、腹が立っているのだろう。
「あの……それで?」
私は、シャツのボタンをそっとはめながら如月に話を促した。もう、穴があったら入りたい気分だ。
「ホテルのレストランは、俺が同行しよう。そこで事件が起こる可能性があるなら、君は素人と一緒に行っては絶対にダメだ」
「は?」
想像してもいなかった展開に、私はマヌケ顔で如月を見た。
「私は行かずに、チケットだけ如月さんにさし上げても構いませんが?」
つい、そう口にした。
「君が行く、というのを俺が知らないといけないのだろう?」
如月はそう言って私の頬に手を伸ばした。桔梗ってば、どんなふうに伝言したのだろう、と不安になる。
「ちょ、ちょっと違うと思いますが」
私は、頬を撫でる手の感触に戸惑う。如月の意図がわからない。
「俺と行くのは嫌か?」
「いえ、こ、光栄でございますっ!」
つい、反射で、私は叫んでしまった。
「うん。じゃあ、いつ行こうか?」
如月は眩しい笑顔でそう言った。
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