霊的魅力が高くなったそうです。

 朝。

 休日とはいえ、時計を見れば九時を過ぎていた。

「あれ? マイちゃん、起きたの?」

 ずるずるとベッドから起き上がり、洗面台に行って顔を洗っていると、壁から桔梗が現れた。

「どわっ」

 寝起きに『壁抜け美少女』は、心臓に悪い。いくら、昨日一晩お世話になった恩があるにしても、平常心で対応できるほど私の精神は図太くはない。

「もっと寝ていても良かったのに?」

 桔梗は驚愕した私を気にした様子もなく、ニッコリ笑った。

「昨日はずっとついていてくれてありがとう」

 私は素直に頭を下げた。

「いいのよ。私、人間じゃないから、別に睡眠とか要らないし」

「……この前、ベッドで寝ていなかった?」

「要らないけど、寝転ぶと休憩している気分になるのよね」

 桔梗は、そう言って笑った。

「如月さんはもう起きていらっしゃるの? 昨日、今日の午前中にご相談に乗っていただけるって話だったけど」

「ん? じゃあ、起こしてくるわ。なんか夜中まで起きていたみたいだから、放置しておくと、午前がなくなりそうだし」

 桔梗は、まるで世話焼きな女房のようなセリフを吐く。式神にしては、人間臭すぎる。

「さて。朝ごはん作るかな」

大きく伸びをしたところで、桔梗と目があった。なにか目が訴えているように見えた。

「ん? ホットケーキしかないけど、桔梗も食べたい?」

「マイちゃん!」

 桔梗が私に抱き付いてきた。

「え?」

 ゆっくり、私から身を離すと、桔梗は本当に嬉しそうな顔をして笑った。

「料理を作ることはあっても、作ってもらえるなんて、夢みたい!」

 夢って。式神は夢を見るのだろうか。 まあ、アンドロイドさんでも電気羊さんの夢を見るかもしれませんので、式神さんだって、見るのかもね。

「いや、でも、ホントに、ホットケーキしかないよ?」

「ん? マイちゃんが作ってくれるなら、なんでもいいわ」

 にっこりと笑う桔梗。すごくかわいい。もう、うちを控室にしてくれてもいいや、って気分になってきた。

「あ、よかったら、ついでに悟さまにも作ってもらえるかな?」

「べ、別にいいけど、ホットケーキしかないよ?」

 私の言葉を聞いているのか聞いていないのか、「じゃあ、行ってくる」と、桔梗が壁を抜けていった。

 なかなかにシュールな光景である。しかし、だんだんと慣れていく自分が怖い。

「うーん。如月悟に食べてもらえるような料理では、ないと思うけどなあ」

 和風でも洋風でも構わないけど、小説に出てくるゲストヒロインたちなら、素晴らしく美味しそうな朝食を作るに違いない。

 手早く身支度を整えると、ホットケーキミックスを棚から引っ張り出す。

 冷蔵庫には、牛乳と卵。だけ、である。

 背景キャラが、珍しくも主人公さまに手料理を振る舞うという、ほぼ奇跡に近い瞬間なのに、オシャレ朝食を作る材料はどこにもなかった。さすが、私! と、つい思ってしまう。ようするに、身の程をわきまえた冷蔵庫なのだ。主人公の胃袋をゲットするような料理の腕(もともとそんなものはないけれど)を発揮するための、材料もないらしい。

「人間、高望みをしてはいけないってことよね」

 間違っても背景キャラの職分を越えてはいけないと、自分を戒めながら、私はホットケーキを焼くことに集中した。




 ピンポーン

「はーい」

 呼び鈴の音がしたので、私はパタパタと玄関のドアを開ける。

 てっきり如月だと思ったら、とてもきれいな女性が立っていた。

――誰だっけ?

 見覚えはあるような、ないような。ふんわりとウェーブのかかったセミロングの髪。少しきつめの目元。

 柔らかそうな唇。

「あの、私、702の雪野と申します。明日、引っ越すことになりましたのでご挨拶にあがりました」

「あ、はい。ご丁寧にありがとうございます」

 反射的に、頭を下げながら、私は混乱する。

――雪野って、雪野さやか? ゲストヒロイン様? 引っ越しってどういうこと?

「今までお世話になりました。明日はお騒がせしてご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします」

 丁寧なあいさつとともに、差し出された菓子折りを私は受け取る。

「あ、いえ。こちらこそお世話になりました。あの。どちらへお引越しですか?」

 社交辞令で返しながら、私は動揺する自分を必死で抑える。

「隣の県へ行くことになりました……その、嫁ぐことになりまして」

「お、おめでとうございます!」

 もはや、何が何だかわからない。ひょっとして、雪野といっても別人さん?

「それでは」

 幸せオーラを醸し出しながら、女性は、頭を下げた。

 彼女が立ち去ろうとした時、ちょうど、隣りの部屋から出てきた如月が、やってきて。

 私の家の玄関前の通路で、二人は軽く会釈をしあった。

 私は思わず、息をのんで見守るが、雪野はそのまま階段方面へと歩いていき、如月は目で追うこともなく、私の顔を見て微笑した。

「おはようございます。朝食をいただけるって聞いて」

「え、ええ。何もありませんが、どうぞ」

 雪野さんのことがすっきりしないまま、私は如月を部屋に迎え入れた。

――如月と会ってもスルーしているようにみえたし、やっぱり、雪野さんは雪野さやかさんじゃなかったのかな?

 そもそも、このタイミングで隣県に嫁ぐって時点で、小説の雪野さやかではない。

「あ、そちらの部屋に座って下さい」

 食卓テーブルでは三人が座るには小さいので、折りたたみテーブルを出して、座布団に座ってもらう。

――座布団に座って、ホットケーキってどうよ?

 つっこみどころ満載だなあと、自分で呆れる。

「マイちゃん、お邪魔しますねー」

 如月は玄関から入ってきたが、桔梗はまた壁から部屋に入ってきた。

「飲み物は何にします?」

「悟さまはコーヒーよね? 私は番茶が良いな」

 リクエストに応えて、コーヒーと番茶を用意し、テーブルに並べる。

 いろいろ和洋混在で、意味不明状態である。

「メープルシロップとジャムを各種、それからバターを用意したので、好きなものをかけてください」

「これ、輸入品?」

 如月がメープルシロップを手に、そう言った。成分表に日本語表示がないからだろう。

「あ、それ、会社の人にカナダ土産にもらったものです」

「へえ、本場のやつだね」

 嬉しそうに、如月がホットケーキにメープルシロップを回しかける。

「このりんごジャム、美味しい!」

「あ、それ、長野土産にもらったの。美味しいよね」

 私がそう言うと、桔梗が苦笑した。

「マイちゃん、お土産は消えもの派?」

「別に私がリクエストしたわけじゃないけど、会社だと定番でしょ」

 会社の人間同士の土産の定番は消えものである。残るものは、相手の好みがわからないと難しいからだと思う。

「ああ、これ、本当に美味しい」

 如月がメープルシロップをドバドバにかけたホットケーキを幸せそうに噛みしめる。

 相当な甘党である。

 私は、茫然とトロリと滴るシロップを見つめる。

 別段、甘党だろうが、辛党だろうが、如月の端正な顔に変化があるわけでもない。しかも味覚の好みは人それぞれ自由だ。

 しかし。今や同年齢とはいえ、私(鈴木)にとって、如月は十七のころから、見上げるように憧れていた『大人』の男性だ。

 如月が無邪気な様子でホットケーキを食べる姿は、想像もつかない姿であった。

「そんなにお気に召したのなら、それ、差し上げましょうか?」

 私がそう言うと、如月は目を丸くした。

「いいの? でも、お土産だよね?」

「半分は使っていますし……如月さんには助けていただきましたから」

 他人からもらったメープルシロップ(しかも開封済み)を、命を救ってもらったお礼に渡すなんて、いろんな意味で問題ありな気もしなくもないけれど。

「昨日のことなら気にしなくていいよ。俺の仕事だから」

 如月はニコリと笑った。

「ああいった異形の者を倒す、秘密機関の人間だから」

「……秘密機関って、そんなに簡単にバラしちゃダメでは?」

 つい、突っ込んでしまった。すると、如月は「平気さ」と微笑みながら

「田中さんは異形に好かれやすいから、これからもお付き合いありそうだし」

 不吉なことを確信ありげに断言する。

「昨日も仰っていたけど、それ、どういう意味ですか?」

 私は嫌な予感満載状態で、如月の顔を見た。

「田中さんは、もともと『霊的魅力が高い』ひとだ。さらに異界の酷似した魂と同化したことによって、さらに魅力が跳ね上がった」

 なんだ、その霊的魅力って。

「わかりやすく言うとね、マイちゃんは今、妖怪や幽霊から見たら『伝説クラスの美女』なの」

 桔梗が、横からそう説明してくれた。

 って。

 妖怪や幽霊限定って。そんな美しさ、欲しくないし、嬉しくもない。

 私は頭を振った。

「あの。私、どうやったら帰れますか?」

「君の場合、そもそも、魂の分離が難しそうだ」

 如月は私をじっと見ながらそう言った。

「普通は、二つの魂が重なった場合、どちらか一方が吸収してしまう。そうでない場合は、一方が身体から弾かれる」

 すっと、如月の手が私の額に伸びた。

 硬く暖かい手が、額に触れた。

「これほどまでに、双方の意識が同調しあう例は初めて見たよ。だからこそ、霊的魅力も霊力も跳ね上がった」

 如月は、ポンと軽く指で私の額を叩くようにして、手を離した。

「昨日より更に霊力が高まっている――同化が進行すればするほど力が跳ね上がっていくみたいだ」

 ふうっと、如月は息をついた。

「普通の人間が、異界を渡る方法は、異界渡りとともに超えるか、界弾きに巻き込まれるという方法しか、俺は知らない……どちらも、命の保証はできない」

 界弾き。

その言葉は、小説で読んで知っている。この世界と並行する他の世界をつないで吹き荒れる嵐のことだ。

 人の魂や、妖魔の類を、異界へ弾いたり、とりこんだりする。異界渡りの死霊の塊であるという説もあるが、原因も、いつおこるかも不明である。界弾きがおこると、ちまたでは原因不明の災害が起こりやすい。

『闇の慟哭』第五話では、大規模な界弾きがおこり、凶悪な妖魔が異界からやってくるのだ。(残念ながら、解決編で最終話である第六話は未読である)

「どちらもあまりうれしくないですね」

 私は首を振った。なんか、諦めたほうが良いような気もしてきた。待っている家族もいないし、恋人がいる訳でもないし。諦めて、こっちで背景キャラ、頑張ろうかな。帰るためになにか行動すると、あっさり死にそうな気がする。

「それにしても、異界から来た子? すごくこの世界、詳しいよね?」

 桔梗が私の方を見て、首を傾げた。

「私のこと、式神だってすぐにわかったし」

「えっと」

 小説のことって、話していいものだろうかと、ちょっと迷う。

 ただ、私の知っている世界と酷似しているだけで、実際は違うことも多そうだし、被害とかが小さくなるなら、そのほうが良いだろうと思い、違う可能性も示唆しながら、大まかに内容を説明した。

 ただし、人の名前と場所の名前は伏せた。変な先入観を植え付けてもよくない。

 あと、如月とゲストヒロインたちの恋愛の話も黙っておくことにした。色恋は自然の成り行きで本人たちの気持ちでなければ、うまくいかないだろう。もちろんファンとしてはガッツリ見守る(覗く?)つもりだ。

「それで、だいたいはわかったけど、その小説でマイちゃんは、どういう役なの?」

 桔梗が不思議そうに首を傾げる。説明に私の名が一切でてこなかったからだろう。

「私はただの隣人」

 正直に答えたのに、桔梗は不服そうに口をとがらす。

「こんなに霊的魅力あふれるマイちゃんが、隣人って、その作者、おかしいわ」

「いや、私、隣人で十分だけど」

 だいたい、妖魔にモテ女って役割、嬉しくない。

「私が作者なら、悟さまとマイちゃんがコンビを組んで、妖魔退治する話にするけどなあ」

「……誰も、そんな話、喜びません」

 ふーっと私はため息をつき、コーヒーを飲みほす。

「田中さんは、俺とコンビを組むのは嫌なの?」

 くすり、と如月が笑う。

「グ?!」

思わず、口にしたものを吹くかと思った。心臓がマンガみたいに跳ね上がりそうだ。

「そういう問題じゃないです! 私のような凡庸な人間をからかわないでください」

「マイちゃんは、凡庸じゃないって」

 桔梗が口をとがらす。そりゃあ、桔梗も「人外」だから。私が伝説級の人物に見えるのかもしれないけど。

「凡庸な人間は、咄嗟に九字を切ったりしない」

 ポツリ、と如月がそう言った。

「え? えーと。あれはできるとは思っていなかったのですけども……」

 『闇の慟哭』の読者なら九字の切り方なんて常識です!  嘘です。ごめんなさい。ファンなんて生易しいものでなくて、私、マニアでしたから。

「とりあえず、田中さんは俺の業界でいう『一般人』ではない」

 如月はそう断言して、自分の携帯を取り出した。

「連絡先を教えておくから、何かあったら報告して」

 連絡、じゃなく、報告。なんとなく、自分の立ち位置が気になる言葉のチョイスだ。

「マイちゃん、今日はこの後どうするの?」

「美容院に行って、髪の毛切って、スーパーに買出し」

「遅くならないようにしないとダメだよ?」

 心配そうに桔梗がそう言う。

「そうだな……たぶん、異界渡りに目をつけられているだろうし」

 如月の言葉に、ドキリとする。

 いや、でも、だって、これ以上私がメインストーリーに登場するのは、どう考えてもオーバーワーク。

 荷が重すぎです。

「異界渡りさんだって、もっと美人を襲いたくなるかも?」

「だから、マイちゃんは(妖魔にとっては)絶世の美女なの!」

「その注釈つきの美人、全然、嬉しくない」

 私は大きくため息をついた。

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