第37話 退行

「お待たせいたしました」


 緑のドレスは、伊勢に届けられた時、派手さだけが目立っていたが、袖を通すと今までの伊勢とは違うイメージとなり、大人の色気さえ漂って来る。


「お嬢様、お気をつけて、いってらっしゃいませ」


「伊勢……さぁ行こう」


 手を差し出した政宗もいつもの様子とは違い、紳士的に伊勢をエスコートする。







 二人が鹿鳴館に入ると、紅華が怒った顔で走り寄って来る。


「伊勢……これはどういう事なの?! 」


「紅華、心配しないで。お父様と政宗様の約束で今回一度だけのお誘いだから」


「本当なのね」


「うん」


「じゃ……ダンスの時、私が政宗様と踊るわよ」


 小さな声で耳打ちしていると……



「伊勢、そばを離れるな」


 政宗が、伊勢の肩を優しく抱き寄せ、微笑む。






 絶とふえも着飾って来ていた。

「ふえさん、あそこに謙信様がいるわ」


 謙信の姿を見て走り寄って来た二人。


「見て……伊勢が政宗様と一緒よ」


「まっ……あの子ったらなんて子なんでしょう」


「謙信様……伊勢は政宗様のことが好きなようですわね」



 返事もせずに無表情のまま、見守ることしかできない謙信。


 自分の過去世が蒔いた種とはいえ、伊勢が命を奪われた時、伊勢の家族にはきちんと事情を説明すべきだった。悲しさのあまり自暴自棄になり、何も考えなかった。……この状況は、因果応報としか思えない。






「政宗様……御機嫌よう。今日もダンス、ご一緒願いたいわ」


 いつものように政宗の元には女性たちが集まってくる。



「あっ……政宗様、どうぞ私のことは気にせずに皆さんと踊って来てください」


「いいや。今日はお前としか踊らないと決めている。ワルツが始まった。さぁ、行くぞ」


 寄って来た女たちを無視して伊勢の手を取る政宗。




 ワルツの音楽は、政宗と伊勢を踊りの輪の中に誘い出す。


「今日は、足を踏まないでくれよ」


「まっ……」


「今だけは、何も考えずに俺と楽しんでくれないか」


「政宗様、あの時はごめんなさい。でも……」


 政宗の人差し指がスッと、伊勢の口元に差し出される。


「シーッ。伊勢……それ以上は言うな。さぁ、踊ろう。今日のお前は俺との時間を楽しむだけでいい」



 ワルツは、伊勢の気持ちなど知らずに楽しい音色で弾むようなリズムを流している。






「信玄様〜。今日も素敵ですわ」


「君たちも綺麗だよ」


 へぇー。政宗が彼女をエスコートしてるとはな。今日は、政宗が他の女に振り向きもしないので、俺の元に言い寄って来る女の数が多いって訳か……。今日のあの子のドレスは政宗の好みだな。なかなか色っぽくていい感じじゃないか。政宗を褒めてやろう。それにしても、謙信のあのふてくされた顔。見ていて飽きないな。二人が揉めて言い争いになれば、あの子は辛くなる。まっ……その時が俺の出番だな。






 政宗の踊りは、性格を表すかのように、少し強引だ。政宗に必死に合わせる伊勢。ちょっと困った顔で一生懸命に踊っている。


 政宗と伊勢。


 二人で踊る姿は、コケティシュなのに、何故か伊勢の可愛らしさがにじみ出ている。皆が遠慮がちに踊る輪の中で、二人のワルツが爽快に見えるのは、政宗がそんな健気な伊勢に優しく微笑みながら踊っているからだ。




「伊勢。ワルツは楽しく踊るものだぞ」


「政宗様。わたし……あまり慣れていないので……ごめんなさい」


「そうか。なかなか筋はいいぞ」




 ワルツの音楽が何曲か続いた後、スローなメロディーが流れ出す。


「あっ……私……少しお休みしますね」


 チラッとあたりを見渡すと、熱い視線を絡ませながら踊っているカップルばかりで、目のやり場に困ってしまう。



「……伊勢」


「えっ」


 目線が政宗に向いた時、不意に政宗の手が頬を取らえ、伊勢の動きを止める。


「可愛い子だ」


 潤んだ瞳の魅力に取り憑かれたように……政宗の唇が伊勢の唇を優しく包み込み、舌が唇の内側をなぞる。




 驚きで一瞬だけ時間が止まったかのようだったが……


「バシッ」

「……やめて」




 言葉よりも手の方が早かった。

 突然、こんなことをするなんて……目の前が涙で見えなくなりながら、駆け出すしか悔しさと恥ずかしさを紛らわす手段が見つからなかった。


「……待て。伊勢」




 追いかけようとした時、体ごとぶつかるように押さえつけたのは紅華だった。


「……政宗様。伊勢のことなら心配いりませんわ。伊勢は私と政宗様が踊るために場を外したのですから」


 紅華は政宗に抱きつきながら引き止める。


「悪いが、離してくれ」


「いいえ、伊勢は政宗様を好いてはいません。だから、絶対に離しません。どうか私を見てください」


 しがみつく紅華を倒して行く事はさすがに出来そうにない。紅華に抱きつかれながら伊勢の背中を悲しく見送る政宗の心には虚しさだけが残っている。

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