第17話 羽衣

 伊勢が、青龍寺せいりゅうじ剃髪ていはつしてから、すでに数日が過ぎている。



「姫様……どうか……何か召し上がってください。この真っ赤ないちごも……美味しそうですよ」


 ふくが、やさしく伊勢に声をかける。


 

 伊勢は、まるで蝋人形ろうにんぎょうのように、まばたきもせず、外を眺めている。





 あの日以来・・伊勢は何も食べることができなくなっていた。



 柿崎 影家かげいえは、弟の直胤なおたねの命と交換に、剃髪ていはつして出家するようにと迫り、伊勢を奈落ならくの底に突き落とした。



 伊勢は武家の娘らしく覚悟を決めると……柿崎 影家かげいえの目の前で、りんとして自らの短剣で髪を剃髪、出家した。


 ふくは、おろおろと泣いている。







 あれから……


 伊勢姫様は、一言も言葉を発しなくなり、体もひどく弱ってきている。

……ふくにはわかっていた。



「姫様……お父上やお母上のもとに帰りましょう。姫様はすでに剃髪し、出家した身。越後えちごに残る理由などありますまい」


 ふくは、伊勢の帰郷ききょう願いを憎きかたき、謙信がいくさに出ている間、春日山城を取り仕切っている影家に申し入れする。


忌々いまいましいことだが……このままでは謙信殿が帰って来られる前に姫は死んでしまう。何としても、姫のお命を護らなければ……」






ー数日後ー


「……姫様。……姫様……帰郷のお許しをもらいましたよ。……帰郷されたら、きっとご気分もよくなりますよ」




「……ふく。ありがとう」


弱々しい声でふくに礼を言う。久しぶりに伊勢の声を聞いたふく。



「さぁ、姫様……駕籠かごの用意はできております。すぐにでも参りましょう」


「……ふく。謙信様と天室光育和尚てんしつこういくおしょう様に文(手紙)を書きます。少しだけ待ってておくれ」


 伊勢は急いでふたりへ手紙を書く。





 ……謙信様に、このような無様ぶさまな姿を見せることなど出来無い。


 でも……何も言わずに去ることは……どんなに謙信様を傷つけるだろう。


せめて……手紙を残そう。




今……伊勢に許された、謙信への愛はこの手紙だけだった。







 ふくは、書き終えた伊勢の手を取り、駕籠かごに乗せる。




 駕籠かごに乗り……しばらく進むと……


 ふくは、大きなしだれ桜の木の横に、遅咲きのめずらしい黄色い桜(御衣黄桜)が咲いているのを目にする。


「……姫様……あそこに黄色い桜が咲いていますよ。こんな時期に、めずらしいものですね」




「ふく。……駕籠かごを止めてはくれませんか?」


 そこは謙信と伊勢が、仲睦なかむつまじく一緒に花見をした場所だった。


 ふくは駕籠かごの人足に休憩を与える事にした。人足たちは、そばの小川で涼んでいる。



 伊勢は駕籠かごから降り・・桜の木を見ている。


「あの時見た、なでしこピンクの桜の花は散ったというのに、まだ……黄色い桜は咲いているのね。……ふく。……以前……ここで謙信様と一緒にお花見をしたのよ。それは、それは見事な桜で、花が満開に咲いていたわ。風が吹いて花びらが私の髪にひらひらと落ちてきた時、謙信様は笑いながら……やさしくひろいあげてくれたの。二人で桜を見ているだけで幸せだった……。そうだ……その時……蝶もたくさん舞っていたのよ……」


「姫様……そんなことがあったんですね」



「ねぇ……ふく。……あれは……夢だったのかしら・・」



「……姫様」


ふくは、伊勢の肩を抱き寄せ、すすり泣く。





「……ふく。謙信様との思い出のあの桜。どうしても、枝を一つだけ持ち帰りたいのだけど……」


「……わかりました。姫様……小さな枝を持ち帰りましょう」




伊勢が桜の木の枝に手を伸ばす。

ふくは、涙ぐみながら横で見ている。





ザザーッ・・・一瞬・・ひときわ大きな風が桜の木を揺らした・・・





 二人が後ろを振り向くと……黒装束に身を包んだ男たちが数人……伊勢とふくの後ろに立っている。


「……何者じゃ」


ふくの声が響き渡る。





男たちは、一瞬にして二人を捕らえ……口上を述べる。





「伊勢姫殿……あなた様のお命……頂戴いたします」





「……何を申すのだ。我らは許可を得て……これから帰郷するのじゃ」

ふくが 叫ぶ。



「伊勢姫殿に罪はございません。しかし……我らは命をうけております」


「誰のさしがねじゃ? ……影家かげいえ仕業しわざなのか」


ふくが怒鳴る。



黒装束の男は、静かな声で・・


「伊勢姫殿……あなたが生きていると……殿はどんな手段を使ってでも、あなたと一緒に生きることを望むでしょう。その為に無駄ないくさをし、越後えちごが戦火に巻き込まれるかもしれません。それでは……困るのです。あなたに恨みはございませんが、そのお命。殿の為にお捧げください」



「……わたくしの髪だけでは足り無いと言うのですね」





…… そう……伊勢が言い終える間も無く……


伊勢は、黒装束の男たちに襲われる。




「……なんということ……。あぁ ……謙信様!!」




想い出の……桜の木の下……伊勢とふく……


ふたりの命のともしびが……静かに消えていった。




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