こぼれ落ちた幸福の話

上山 詩生

御伽噺は、



その少年は、明るく優しい子供でした。



とても物知りでおおらかな父親。

とても綺麗な声の持ち主である母親。



優しい村人たち。

陽気で明るい友人たち。



山の奥地にある、とても貧しい小さな村。

けれど豊かな実りに恵まれた、綺麗な村。

たくさんの住人に囲まれて、少年は慎ましくも幸福な毎日を送っていたのです。




―――いつまでも、この幸せが続けば良い




少年は心の底からそう願っていました。
















……ある日、少年の暮らす村に修行僧がやってきました。



そして修行僧は友人と遊ぶ少年の姿を見つけると、少年の手を引いて村を出ようとしたのです。


少年も友人も、修行僧に抵抗しました。

けれど、所詮は大人と子供。

友人は修行僧に簡単に振り払われ、少年の腕を強い力で引いて歩きます。



少年は大声で泣き、助けを求めました。


騒ぎに気付いた村の人や両親も、修行僧に必死で懇願し、少年を取り戻そうと追いかけます。





「どうか連れて行かないでおくれ」





けれども修行僧は、村の人が少年に話しかければ話しかけるほど、

追いかければ追いかけるほど、強い力で腕を引いて歩くのです。




とうとう、村人は修行僧に追いつくことができませんでした。







…そのまま修行僧は、少年を連れ山を降りました。

故郷が恋しく泣く少年に、修行僧は言います。



「あの村で過ごした日々は忘れなさい」



少年は、修行僧の言葉を理解できませんでした。



「どうして忘れなければならないの?」



少年の疑問に、修行僧は答えません。

ただ悲しげに少年を見下ろすだけです。




やがて修行僧は、山の麓にある村に辿り着きました。


村人たちは修行僧を手厚く迎え入れ、少年に優しく声をかけます。




「怖かったね」


「辛かったね」


「何もされていないかい」


「もう大丈夫だよ」




少年は、ただ泣き続けました。


村を、両親を、友人を想って泣き続けるのです。


村人はその涙を優しく拭いますが、誰一人として少年の涙の意味を理解するものはいませんでした。





「ほら、泣き止んで」


「もう怖いものはいないんだよ」


「君のお父さんとお母さんはどこにいるんだい?」





なぜなら。


少年も村人も修行僧も、誰もが知らなかったのです。





「お父さんもお母さんも、村にいるよ」


「友達だって近所のおじさんだって、あの村に住んでるよ」


「帰りたいよう、みんなに会いたいよう」





少年の住んでいた村は、彼にとっては生まれ育った大事な故郷。






「……君は幻をみせられていたんだよ」


「あそこには誰も住んではいない」


「こんな小さな子が、可哀そうに……」






けれど、村人たちと修行僧にとってあそこは『廃村』。


ヒトではない、異形の住まう、滅んだ村。







「ぼくを村にかえして。かえしてよう」









泣きじゃくる少年は、異形に連れ去られた哀れな子ではありませんでした。


異形と異形の間に生まれた、異形の血をひく人間の子どもだったのです。














―――――――――――――――



その後、少年が生まれ育った村に帰ることはありませんでした。

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こぼれ落ちた幸福の話 上山 詩生 @snowchild

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