第2話 コング

 店の名は『マッスルあん』という。

按摩あんまする」とかけてある揉みほぐし屋だ。

 店長は通称アンマさんと呼ばれている。

 ネーミングからもわかるとおり店長はお調子者だ。

 従業員は登録制で働ける日時を申告してもらい適当に割り振っている。

 ベテランから新米までレギュラーが10人ほど。名前だけでほとんど顔を出さない面子が20人以上いる。


 雨後の竹の子のように増えた格安マッサージ店との競合は大変だが古くからの常連に支えられそれなりに繁盛している。

 この『マッスル庵』歴史をさかのぼればその原点は江戸時代の按摩にまで達する。


 店長は代々江戸時代から続いた按摩の家系出身で祖父は盲目の按摩師あんましだった。

 何日もかけ泊りがけで治療に来る患者がいるほどその腕は確かだった。

 おおむね二三回の施術で根治してしまったというから話半分としても医者も真っ青な技量だったのだろう。


 アンマが脱サラしてこの仕事を選んだときには他界していて残念ながら技術の伝承は途絶えてしまったのだが、習い覚えた技術と門前の小僧なんとやらで記憶に残る祖父の姿を頼りに今日もお客様に掴まらさせていただいている。

 父母は普通のサラリーマン家庭で一子相伝とはいかなかったが隔世遺伝なのかアンマにはマッサージの才能があった。

 なんとか祖父の域に近づきたい。それがアンマのささやかな野望であった。



「掃除終わりました」

 あかりが報告にきた。

 柳腰というのかスラリとした紫色がパーソナルカラーの美人だ。

 もう三十過ぎだが健康志向が強く食生活などに気を使っていてまだ二十そこそこに見える。

 エステサロン出身でオイルを使用した手足の施術が得意だ。


「今日一番の予約だけどコング石川だ」

 アンマが厳しい顔で告げる。

「おいらが代わろうか?」

「店長は指名が入ってるでしょ。ぜひ私にやらせてください」

 あかりはAカップの胸を張った。

 コング石川はもちろんあだ名だが強揉み希望の巨大漢だ。

 プロレスラーほどの体格にヤクザも逃げ出す強面こわもての持ち主である。


 半年前あかりが担当した時に、

「もういい」

 と90分の予約を15分で切り上げてしまったといういきさつががある。


「リベンジしないとおさまりがつきません」

 たおやかな雰囲気とはうらはらにかなりの負けず嫌いのようだった。


「無理しないでいざとなったらヘルプ呼んでよ」

 アンマが心配そうに言う。

「指を壊したら元も子もないから」

 アンマが心配しているのはあかりの体というより売り上げだ。

 あかりはその容姿と技術からファンも多く指名ランクは常にベスト3以内だった。

「秘策がありますので」

 あかりは唇の端に笑みを浮かべた。


 そしてコング石川はやってきた。

 魔王のように怒りをこらえた目つきで店内を睥睨へいげいした。

「いらっしゃいませ」

 あかりが出迎えたのが気に入らないようだ。

「先日は物足りない思いをさせて申し訳ありませんでした。もう一度チャンスをいただけませんか?」

 コングが口を開くより先にあかりが手荷物を奪いベッドに案内した。

 いかつい容貌には似つかわしくない可愛いキャラクター物の手提げ袋だった。

 コングの出で立ちはジャージの上下で着替える必要はなく、財布やスマホ、自動車のキーなど小物類もすでに手提げ袋の中だった。

 マッサージを受ける意気込みのようなものが感じられた。

 すぐさまうつ伏せに寝かせるとタオルケットを被せた。

 完全にあかりのペースだ。

「今日は下半身から始めさせていただきますね」

 そう宣言するとおもむろに日本手拭いを尻ポケットから取り出した。

 普段は店の備品である薄手のタオルを使用している。

 さらにいえば背中から下半身は被せたタオルケットごしに施術するはずだった。

 手拭いを使うにしても首や肩まわりが主である。


 指名客を揉みながら様子をうかがっていた店長のアンマはあかりの策を理解した。

 下半身は脂肪の盾や肉の鎧に覆われた上半身に比べてツボに届きやすいのだ。

 しかも昔ながらの手拭いはダイレクトに力が伝わる。

 おそらくタオルケットを捲ってふくらはぎあたりに手技を集中させるのだろう。


 だが予想は外れた。あかりはコングの足元にまわると長身すぎてはみ出している足先に手拭いを被せた。

 そして人差し指の第二関節を足の裏にグイッと押し当てた。

「ぬぐ!」

 コングがくぐもった呻きを漏らした。

 あかりが押したのは湧泉と呼ばれる代表的な足ツボだった。

「力は足りていますか?」

 いけしゃあしゃあとたずねる。

「ごりごりしてますねぇ、腎臓が弱ってるかもしれませんよ」

 優しい物言いとは裏腹に腰の入った手技は体重を乗せた人差一本拳だった。

 ねじ込んだ第二関節をそのまま土踏まずまで容赦なく削りだすかのごとくこすりあげる。


 たまらずコング石川がタップした。

「もう少し弱めにたのむ」

「かしこまりました」


 あかりがニンマリとほくそ笑みアンマと目を合わせた。

(き、きたねえ)

 よりによって足ツボとは、いかにも不摂生なコング石川には厳しかったろう。

 もっとも強揉みより弱揉みのほうが揉みほぐし効果は高いのだ。

 明日になればいつもより爽快な体調になっているはずだ。

 しかし問題は今日だ。

 このまま上半身に移っていけばやはり物足りなくなるに違いない。


 だがあかりはどこ吹く風と入念に下半身をほぐしていく。

 エステで鍛えた技術を駆使してふくらはぎから太ももへとツボを押し、リンパを流し、固くなっていた筋肉をゆるめていく。

 やがて重低音のいびきが店内に響きはじめた。

 再びあかりは勝利の笑みを浮かべアンマと視線をかわした。


 こうしてあかりはコング石川が寝落ちしている間に上半身をクリアし90分をつとめ上げたのだった。

 仕上げの叩打こうだが小気味よい軽やかな音を鳴らす。

「本日はありがとうございました」

 両肩に手を添えてあかりが終わりを告げた。

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