深絵心中
雪ノ瀬いちか
01.
君は絵を愛しすぎている。その指を、その手を、その腕を。身体全てを埋め尽くす青。
初めて彼女を知ったのは中学生の頃、夏の終わり。廊下の壁で一際目立つ大賞の文字と海の絵。大賞だけあって上手な絵だというのが感想だった。恥ずかしそうに始業式の日に表彰されていた彼女の長い黒髪の後ろ姿を眺めてはぼうっとしながら、周りに合わせて拍手をしていた。
そこから毎年夏が終わるたび、毎回違う海がその壁にあった。
「絵、上手いね」
初めて声をかけたのは卒業式の日だった。結局三年間で一度もクラスが同じになることはなくて、放課後にたまたまのぞいた教室で一人ぽつんと座っている所を見かけて話しかけた。
「海好きなの?」
声は出さずに首を縦に振って肯定する。そこから話が続かずに、なんとか話題を振ろうにも彼女の名前すら知らないことに気がつく。そういえば絵にばかり目がいって横に貼ってあった名前を見たことが無かったと後悔する。
「侑海」
「え?」
「
突然自分の名前を呼ばれた。まさか彼女が自分の名前を知っているなんて思っていなかった。更に彼女の名前を知らない自分が嫌になる。
「いたいたー!
「あ、ごめんね。ありがとう」
彼女は御調さん、というらしい。
御調さんはじゃあまたね、というと手を振って長い綺麗な黒髪をなびかせると急いだ様子で教室を出て行った。またねとは返したものの、この後彼女に会うことはなかった。高校が偶然一緒なんて漫画みたいなことは残念ながらなくて。中学校の卒業アルバムから彼女の名前が
そしてそれから八年が経った今。俺たちは同じ部屋で暮らしている。
「蘭子、そろそろ行こう」
「…待って。最後まで描きたい」
「…わかった」
絵に詳しくない俺には何なのかわからないが、独特な絵の具の匂いが部屋に充満している。俺はこの匂いが好きだ。
「くそ、見えない」
蘭子が目を細めながらキャンバスを見つめていた。彼女は筆を止める。もう殆ど見えていないその目で俺を見る。
「
「ん」
彼女は俺に筆を持たせると目を閉じた。
「真ん中から十センチ下、三番」
「それの上に五番を重ねて」
「筆はこうして寝かせて、そう」
自分のために用意された一から十五までの番号が振られたパレット。もう何度目か分からない彼女の手となって俺はその海を描き上げる。見えていなくても、彼女の閉じられた瞳の奥にはきっとこの海があるんだろう。一通り描き終えて納得したのか俺の手から筆を取って絵を眺める。
「うん…
直すところないや、と小さく呟いて筆を片付け始める。
「上手いのは俺じゃないよ」
「この絵は蘭子の絵だよ」
片付けを手伝いながら少し離れて絵を眺める。
深海。深い黒に近い青の前に立つ君のその長い白髪は良く映えた。キャンバスの海を背景に沈む彼女はこちらを向いて悲しく笑った。
「ねえ、
「何?」
「私と一緒に死んでくれる?」
声は出さずに首を縦に振って肯定した。君と君が愛した海と心中出来るなら本望だと思った。例えそれが
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