4升 ポーションと熱燗

11杯目 ポーションと徳利

「リンさん、リンさん、着きましたよ」

「んん……国王様…………俺が3階級昇進なんてそんな……うへへ……」


 馬車の座席、仰向けになって寝ているリンのお腹をふにふに押しながら起こすと、リンは都合の良い夢を見てニヤニヤと口元を緩めていた。


「リンさん、起きてください。バークレンですよ」

「んん……くああ……。んだよ、夢かよ……。イコイ、俺が幸運な夢見てんだから無理やり起こすんじゃねえよ」

「そう言っても、着いてしまいましたから」


 ぶつくさと文句を言いながら、リンは馭者にお金を払って馬車を降りる。


 バークレンの入口に建てられた正門はきちんと手入れされており、昼過ぎにちょうどいい金管と弦楽器の軽快な音楽が聞こえてくる。

 貼り紙によると中央の広場で大きな野菜市をやっているらしく、町全体が賑わっていた。


「やっぱり、まるまる半日かかりましたね」

「途中の雨でスピード落ちたからな。まあ止んで何よりってもんだ」



 マスミンの町を出たのは今日の明け方。昼前には途中にある道具屋のない小さな町、カラビンに着いた。


 とはいえポーションがないので立ち寄ることはなく、門の前で小休止して、そのままバークレンへ出発。通り雨に邪魔されながら、ようやく到着した。


「あっ、リンさん見てください。酒場が3軒も続いてますよ。洋服屋さんも多いですし、活気に溢れた町ですね」

「シャーリの生産が多いからな。財政も割と豊かな方だ」

「じゃあポーションもたくさんありますね!」

「いや、主食の方のシャーリもあるからよ……」


 期待を浮力に変え、濃いオレンジのロングスカートで跳びながら歩く憩。

 リンはその後ろを、「あの猫可愛い!」という子どもの声にキッと睨みを返しながら付いていった。





「よし、泊まる場所さえ確保できれば安心だ」


 宿屋で今日の宿泊を手配し、2人とも荷物を部屋に置かせてもらう。

 憩が受付に戻ると、リンは待合用の椅子に腰かけ、小さいテーブルに積まれた宣伝用のチラシを熟読しながら捲っていた。


「ふふっ、猫が読んでるの、ちょっと面白いです」

「んだとお! 中身が人間なんだから、読んでもいいだろうが!」

「もちろんですよ、ふふっ」

 笑ってんじゃねえか、と尻尾を椅子の背もたれにパンパンと打ち付ける。


「リンさん、お腹空きません?」

「んあ? 確かに朝食も早かったしな。つっても、もう時間的に昼営業の店はほとんどやってないかもしれねえぞ」

「そうですよね……あ、ここの食堂行ってみましょうよ。さっきやってるって言ってたじゃないですか」


 宿屋の廊下の奥を指す憩。個室が連なるその先に、渡り廊下で繋がっている別館の食堂がある。


「大した料理はねえかもしれねえけど、ボリュームはありそうだからな。腹いっぱい食おうぜ」

 リンは憩を追い抜かし、足早に渡り廊下を歩いた。



「いらっしゃい。猫用のご飯は置いてないけどいいかい?」

「俺は人間だ! フォークも使えんぞ!」


 そうかい、とケタケタ笑いながら席を案内してくれる、エプロンをしたおばちゃん。


 4人掛け・2人掛けのテーブルが並び、30人ほどは座れそうな食堂であったが、今は昼のピークを過ぎてしまったためか、窓からの景色とコーヒーのマリアージュをのんびり楽しんでる老紳士以外は見当たらない。


 リンは子ども用の少し座高の高い椅子を借り、憩と同じ高さになった。


「おお、さすがシャーリの産地。メニューいっぱいあるな」



 魔法のおかげで文字がばっちり読める憩も、冊子上のメニューを見ながら何を食べるか悩む。


 酒用のシャーリが米の味そのままだったから、食用のシャーリはまさに「ご飯」なのだろう。であればやはり、肉の炒め物? いや、この魚介と豆のスパイシースープというのも気になる……。


 と、1箇所、赤枠で囲ってある部分が目に留まった。それを見た憩の目は、おもちゃをもらった子どものように大きく開き、口は弓もかくや、楽しげにクッと曲がる。



「俺は決まったぞ」

「私もです。あ、すみません、注文お願いします」


 エプロンのポケットからペンを取り出しながら小走りで駆け寄ってくる店員のおばさん。


「んっと、この塩漬け肉の炙りとシャーリの定食くれ」

「私、塩漬け肉の炙り単品とポーションで」

「は?」

 固まるリンをよそに、店員は「あいよ!」とすぐさま厨房へ消えていく。


「さすがシャーリの産地ですね。ポーションも置いてありました!」

「見てなかったぜ……。ったく、昼から飲むのかよ」

「朝は霧、昼は陽光、夜は月を肴に飲めますからね」

「もう酒の神様みたいだな……」


 彼女に呆れた視線を送りつつ、リンは木筒に立てられたフォークとナイフを取って、待ちきれない様子で手元に並べた。


「にしても、ちっと肌寒いな」

「海が近いから、風も強いですしね」

「早く熱い肉が食いたいぜ」


 体毛があっても寒いのか、リンは尻尾で器用に足をこすった。

 憩が聞いた話だと、ヒーレ王国の気候は四季のような激しさはないが、地域によって寒暖が激しいところもあるらしい。



「お待たせ、お先にポーションだよ」

「あ、ありがとうございます」


 おばさんが持ってきたお酒はしかし、いつもの色とりどりの瓶ではない。

 陶器で出来ている、口のすぼまった、小さな花瓶のような入れ物。その瓶を彼女は、厚手の布で包んで持ってきた。


 憩はそれに目を疑い、すぐさま上昇気流に乗ったかのように心が舞う。


「……ん? おい、これポーションか?」


 首を前に出してその瓶をジロジロ見るリン。おばさんは「そう! うちはこれが普通なんだけどさ、結構これ目当てに来るお客もいんのよ!」と自慢げに話し、「これで飲みなね」と小さな陶器のグラスを置いていった。



「おい、イコイ。瓶も違うし偽物かもしれないから、気を付けた方が――」


 触ろうとするリンを「あっ」と止めようとするが、間に合わない。


「熱っつ! 熱っちいなこの野郎!」


 手をぶんぶん振ってから肉球に大きく息を吹く。


「なんだこれ! 熱してやがる! どこがポーションだこれの!」

「いいんですよ、リンさん。これはわざと熱くしてるんです」

「……あ?」


 布で押さえながら、彼女は瓶の中身を注ぐ。



 その陶器の瓶は正に、彼女が日本で「徳利」と呼んでいたもの。その陶器の小さなグラスは正に、「お猪口」と呼んでいたもの。



「熱くすると、クセのある香りもまろやかになります。味も、甘味がより強く出るようになるんですよ」



 そう言って、熱さがやんわり広がったグラスを持ち、クッと煽る。

 青りんごのような華やかな香りに、押しの強い甘み、そして体に沁みる温かさ。



「……燗酒かんざけ、美味しいです!」



 幸せいっぱいの息を、ほわっと吐いた。

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