【11滴】最高の快楽をきみに

 鴉天狗に襲われまだ間もないある日、夜遅くまで残業をした優也は静かな夜の中、帰路に就いていた。

 すっかり人けのない夜道を歩いていると路肩に停まった白いバンがふと目に入った。そのバンの近くには、だぼっとしたつなぎの作業着を着て黒髪を後ろで結び、デザインされた『clean』というロゴ入りのベイスボールキャップを被った女性が立っている。

 こんな時間に仕事なんだろうか? そう思いながら見ていると女性の顔が優也へ向いた。目が合うと優也は少し慌てたが、女性は目が合うや否や喜色を浮かべ早足で近づいて来た。


「あのーすみません」


 女性は帽子のツバを掴み少し上げながら申し訳なさそうな声で話しかけてきた。優也より低い身長のせいで帽子から覗いた目は上目遣い。二十代半ばぐらいで美人系というよりは可愛い系の童顔が優也を見上げていた。


「なんですか?」


 いくら残業により疲れていても笑顔で話しかけられては、愛想悪く対応できない優也。彼は笑みとはいかないものの口角を上げ柔らかい雰囲気で返事をした。


「申し訳ないんですけど、ちょっと荷物が重くて私じゃ運べないのでお願いしてもらってもいいですか?」

「いいですよ」


 いくら残業で疲れていても……とにかく頼まれたら断らない、断れない優也は快く引き受けた。といっても親しい仲が相手なら断ることもある。たまに。

 だが快く引き受けたはいいものの心のどこかではこんな時間に何をしているのかという疑問も依然とあった。


「ありがとううございます!」


 そんな疑問など知る由もない女性は嬉々としながら手を叩いた。


「ではこっちです」


 女性はバンの後ろまで歩くと荷室の扉を開ける。中にはいくつもの段ボールが山積みにされていたが真ん中辺りは通り道なのか避けるように何もなかった。


「あの一番奥の段ボールです」


 そう女性は荷室の奥を指を差してはいたが、段ボールがあり過ぎて正直分からない。

 だがとりあえず荷室に上がると一番奥まで行き、腰を曲げて前屈みになりながらほぼ勘でひとつの段ボールを指差す。


「これですか?」

「それじゃなくてあれです」


 抽象的な返答を聞き隣の段ボールを指差した。


「これですか?」

「じゃなくてそれです」


 またもや抽象的な説明。その説明と共に後ろの方では女性が荷室に上がってくる音がした。


「どれなんですか?」


 残業の疲れもあり溜息交じりの言葉を零しながら近づいて来た足音に振り向く。

 すると女性は思ったよりも近くにいてそれに少々ビックリとしてしまうが、右手に持っていたスタンガンはそれを容易に凌駕した。


「それですよ」


 女性は微笑みながらスタンガンを押し当てた。体に流れる高圧電流に成す術などあるわけもなく無抵抗のまま優也は意識を失った。女性は優也が倒れてくると手際よく床へ寝かせ手足をジップタイで拘束。

 そして荷室を下り扉を閉めると、帽子を深く被って運転席に乗り込みバンを発進させた。

 まだハッキリとしない意識の中、目を覚ました優也。光を拒んでいるのか辺りは真っ暗で何も見えない。椅子に座っていると思われるが体を動かそうとしても両腕は肘置きに、両足は脚にベルトのようなもので縛られビクともしない。全く訳の分からない状況に恐怖は後ろから抱擁し、どうにか手足の拘束を解こうと慌てながら手足を必死に動かす。だがビクともしない。

 それでもガタガタと音を立てていると突然、辺りが眩い光に包まれた。暗闇に慣れていた目にとって突如襲い掛かった光は、スタングレネードでも投げ込まれたかと思わせるほど。


「起きてたんだ。もう少しで準備が終わるから大人しく待っててね」


 聞き覚えのある声の中、徐々に目が光に慣れ始めた。天井からは舞台のような照明が吊るされ強光を降らせている。

 それに照らされあの白バンの女性が長方形の机に何かを並べているのが見えた。さっきとは違い頭の上に作られたお団子ヘア、服装はタンクトップに腰部分をベルトで締めたオーバーオール、コンフォートサンダルに変わっていた。

 まだ眩しさで眉を顰めていた優也は彼女も気になったが先に少し背を伸ばし机の上を覗いた。一体、何を並べているのかと。

 そこには山積みのタオルや様々な長さのナイフや針,メスや種類の異なるペンチ,鞭,オノや釘などといった道具が置かれていた。


「な、なにをするんですか?」


 椅子に縛られ目の前では物騒な道具が並べられているというあまりの状況に言葉は震え表情は恐怖一色。


「しー」


 すると女性は口の前で短く整えられた爪の人差し指を立て、子どもへ言うように優しく言った。

 そして彼女は立てていた指を下ろすと隣の少し短い机から道具が置かれた机へお皿を移動させる。そのお皿に乗っていたのは切られた四つのキュウリ。女性はナイフを手に取ると先端にキュウリを刺し口に運んだ。


「なんでこんなこと……」


 その言葉を聞きながらも答えはせず女性はもうひとつキュウリを刺すと、咀嚼しながら怯える優也の前までゆっくりと歩き近づく。目の前まで来ると立ったままただ優也の顔を見下ろしていた。


「何が目的なんですか?」


 この質問に対しても女性が答えることはなくただただ優也を見つめていた。そして口の中のキュウリを飲み込むと優也の脚を跨ぎながら肘置きの下へ足を滑り込ませ腰を下ろし始めた。丁度、太腿の上に座った女性は左手を抱き付くように後ろへ回し、ナイフを自分の口の前で立てた。


「しー」


 声の余韻の中、分かった? という意味か首を少し傾げる。首を横に振ればと言えばそのナイフで刺されるのではないかと脅えた優也はゆっくりと頷いた。それを見た彼女は無邪気な笑顔を見せナイフに刺さったキュウリを優也へ傾ける。


「食べる?」


 こんな状況で食欲などあるはずもなく相変わらずの恐怖に染まった表情のまま小さく首を横に振った。

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