【56滴】悩みのタネ

 優也はベッドの上で目を覚ました。いつもの朝。いつもの目覚め。いつもと何も変わらない。それがあの出来事をまるで夢のよう思わせる。

 だが体を起こそうとしたその時――お腹へ走る鋭い痛み。優也は思わず声にならない声を上げ、同時にやはりあれが現実だったんだと悟った。

 そして一瞬動きを止めるが掛け布団を少しだけ捲り、服の丈を上げる。今も鼓動と共に痛覚を刺激するそこには、赤く血が染みたガーゼが貼ってあった。

 それを確認して服を戻そうとした時、再び痛みが走る。不意の痛みに顔を歪めていると「ん~」という唸り声が聞こえてきた。

 何だろう、とその声に左側へ視線を向ける優也。

 そこにあったのは、椅子に座りながらベッド突っ伏して眠るノアの姿。(そんな敏感ではないはずだが)視線を感じたのか、丁度目を覚ましては寝惚け眼で優也を見る。


「おー、起きたのかー。調子どうだ?」


 小さなその声はだらり眠そう。


「悪くないよ。そっちは?」


 優也の返事を聞きながらノアの上半身は眠気に誘導され再びベッドに向かって倒れる。


「もうひと眠りしたらいい感じ……」


 顔はベッドに埋もれてしまい後半は聞き取りずらかった。


「ごゆっくり」

「んー」


 そしてノアは二度寝を始め、もう少しだけ休むことにした優也も瞼を閉じる。

 一方、マーリンは仕事部屋のデスクで頭を抱えていた。ソファには組んだ足をテーブルに乗せ片手を誰かの肩を抱くように背凭れへ回しているレイ。

 するとノックが響きアモが入室。持ってきた紅茶を配り始めた。


「何か甘いものもお持ちしましょうか?」

「俺は食べたいな」

「アタシももらおうかしら」

「では、すぐにお持ちいたします」


 紅茶を配り終え二人の返事を聞くとアモは一礼をして部屋を出た。


「あぁ~もう。酒呑童子を探さないといけないし敵について調べないといけない、まだ終わってない研究の続きもしたいのに今度はモーグ・グローリが我が家にやってきた? アタシを過労死させたいの?」

「分身する魔術なんてないのか?」


 紅茶を片手にレイは皮肉でも言うようにそう尋ねた。


「そんなのあるわけないでしょ」

「――でもよく考えたらマリねぇが二人になったらおちょくりも二倍になりそうだから出来るようになっても止めてくれ」

「それも楽しそうね。それより、足下ろしなさい」


 指を差されたレイはそっと足を下す。

 そんなことを話していると再びドアの開く音がし、アモが戻ってきた。


「今日はパンケーキをご用意いたしました」


 そう言いながら生クリームにフルーツが乗ったパンケーキを配る。マーリンとレイはフォークを手に取っては早速、パンケーキを切り始めた。


「マーリン様、フォークが逆です」

「クリームが付く前に言ってほしかったわ」


 付いたクリームを口で回収するとフォークを逆にしてパンケーキを食べるマーリン。

 するとレイはフォークを咥えながら傍にあったチェス盤から黒のキングを手に取り眺め始めた。


「それにしても敵さんのキングが何しにきたのかは気になるところだよな」


 そう呟くとキングをアモに投げる。


「優也様を狙ったのでしょうか? それともたまたまですかね? それならどうして襲ったのに生かしておいたのでしょう?」


 アモはキングをバトンリレーのようにマーリンのデスクへ置いた。食べる手を止めキングを手に取るマーリン。


「気まぐれで来たのなら相当性格悪いわね。それとあの壁に書かれた数字の意味は?」


 そしてマーリンはキングをスタート地点であるレイに投げる。キングを受け取ったレイはそれを盤の上へと戻した。


「分からないことだらけ、か」

「頭痛くなりそうだけど、ひとつひとつ解決していくしかなさそうね」

「なら酒呑童子のアニキを探すのは俺がやる」

「思い当たる所でも?」

「いや、知ってそうなやつがいるぐらいだ。期待は出来ないけどな」

「何か分かったら教えてちょうだいね」


 そう言うとマーリンは引き出しから連絡用のスマホを取り出しレイに投げた。レイはそれをパンケーキの刺さったフォークを口に運びながら片手でキャッチ。


「りょーかい」


 そして再びパンケーキを食べようとしたマーリンだったが持っていたフォークを止めアモに向けた。


「そういえば、あんた少年の傷が気になるって言ってなかった?」

「はい」


 軽く頷きながら返事をしたアモはその理由を説明し始めた。


「まず傷というのは通常、四つの段階を経て治ります」


 言葉と共に指を四本立てて見せるアモ。


「出血擬固期、炎症期、増殖期、再構築期というものです。吸血鬼の再生力が優れているのは凝固が早く細胞の働きが我々とは比べ物にならないほど活発で、この四つ段階が瞬時に行われるからです。細かく言うのであれば、これらの治癒に関わる細胞等を活性化させる細胞が存在するんですがこれ以上の説明は控えます。そして問題の優也様の傷ですが、塞がるどころか血が凝固すらしていませんでした。部屋の中を見ても再生力が低下する程出血はしていなかったと思います」

「つまり……どういうことだ?」


 レイはさっぱりといった様子だった。


「つまり、傷を負った時に何等かの影響で細胞の働きが著しく低下し、その所為で傷の治りが遅くなったのだと思われます」

「それって、グローリの能力が相手の能力を妨害してるって線はないのか?」

「吸血鬼の再生力は能力ではなく特性と言った方がいいでしょう。ですが確か――陰陽師の術に似たようなのがありました。対象の能力を無効化もしくは弱める、という術です」

「えぇ。忘れもしないわあの忌々しい術」


 その言葉にマーリンは嫌悪感で顔を歪めた。


「待てよ。なんだ? モーグ・グローリは陰陽師だって言いたのか?」

「いいえ。あくまで、酷似しているというだけです」

「今は考えても憶測しか出てこないわ。兎に角、もっと情報を集めましょう」

「そうだな」


 そう言ってレイは止めていた手を動かしパンケーキを口へと運んだ。


 それから数時間後、ノアを起こさないようにベッドへ移した優也はマーリンの仕事部屋の前に来ていた。ノックをして中に入り、ソファへ腰掛ける。


「傷の具合はどう?」

「まだ少し痛みますが、大丈夫ですよ」

「ひとつの傷に何日も痛めつけられるのは久々じゃない?」

「この体になってからはそういうのには縁が無かったですからね」

「まだ治りきってないところ申し訳ないけどあの夜のこと聞かせてくれる?」

「はい」


 そして優也は思い出しながらあの夜のことを話した。


「なるほどね。ありがとう」

「あの、マーリンさんひとつ訊きたいことがあるんですけどいいですか?」

「いいわよ」


 その質問を言葉にする前に優也は右手を心臓に触れさせた。


「この心臓の持ち主を教えてください」


 だがマーリンはすぐには答えず、訊いてはいけない事を訊いてしまったかのような沈黙が数秒流れた。


「ごめんなさい。私にも分からないの」


 その沈黙を経て、マーリンは微かに首を振りどこか申し訳なさそうに返事をした。


「そうですか。――あのそれじゃあ、書庫借りていいですか? 何かヒントがあるかもしれないので」

「いいわよ。だけど、あまり散らかさないでね」

「はい」


 そう言うと優也は書庫に向かう為、部屋を後にした。


「ここに箱なかったか?」


 ドアが閉まった直後、何の前触れ無くマーリンの後ろから当たり前のように声が聞こえた。椅子を回転させ振り返るとそこには窓縁にしゃがんで座るレイの姿が。


「さぁ? そこら辺にあるんじゃないの? それよりとうとうドアと窓の区別も付かなくなったわけ?」

「屋上に居たからこっちの方が近かったんだよ」


 レイはそう言って中に入るとテーブル辺りを探し始めた。

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