【33滴】赤紫

 今後の会議が終わった後、ノアと優也は書庫から続く訓練部屋にいた。中央付近でノアは伸びや準備運動をしており優也は壁際にタオルなどを置いていた。


「ん~! ――よし! 手加減はいらねーからな」

「手加減する余裕はないと思うんだけど」

「なんだ自信ねーなぁ。まっ、やってみれば分かることだ」


 ノアはそう言うと立てた人差し指を『来いよ』と言わんばかりに何度か前後に振った。それを見た優也は短く息を吐き気合を入れ直してから走り出す。

 そしてノアのリハビリを兼ねた特訓が始まった。しばらくの間、ノアは体の調子を図るためか優也の攻撃を防ぎ躱し続け防戦一方。全てが見事なまでに捌かれていたが当然、優也は全て当てるつもりだった。一撃一撃、レイとの訓練を思い出しながら本気で。だが良い辺りは無し。

 それは左拳を受け止めたノアが直後、間髪入れずに飛んできた右拳も悠々と受け止めた時だった。両手を掴まれた状態で二人の動きが止まった。


「次は俺の番だ」


 やはり余裕を含んだ言葉の後、ノアは両手を掴んだまま顔を引くと頭突きを喰らわせた。額を押さえ後ろへよろめく優也。そんな優也のへ透かさず彼女のスラッとした右脚が頭に狙いを定め飛んでくるが、これはギリギリのところで頭を下げて躱した。

 だがそれからもノアによる猛攻は続く。さっきとは打って変わり防戦一方となった優也は数回、体や顔に痛みが走るが何とか耐え続けた。しかし彼もやられっぱなしではない。優也は負けじと隙をみつけては果敢に攻めに転じた。

 そしていつしかどちらも一歩も引かない攻防を繰り広げていると部屋にレイがやってきた。


「おーやってるな」


 その声に二人は同時に動きを止めた。


「アモとの勝負は終わったのか?」

「今回もボロ負けだよ」


 はぁー、と溜息をついたレイは持ってきたスクイズボトルをそれぞれに投げた。


「俺には面白さが分かんねーけどな」

「何の勝負してたの?」

「チェスってやつだよ。知ってるか?」


 レイはエアで駒を動かして見せた。


「知ってるけど……。レイがチェスを出来ることが意外だよ」

「また勝手なイメージか?」

「うん。そういう戦略的なことより即興で戦うのが得意そう」

「まぁ確かに、そうだけどよ。じっくり考えて戦略を立てるのも悪くないぞ。アモさんには片手間で相手してもらってるんだが全然だ」


 負けを思い出したのかまた溜息をつくレイ。

 そしてそのまま持ってきた自分の分のペットボトルの蓋を開け一口飲むと顔をノアの方へと向けた。


「それで? 調子の方はどうなんだ? ノアちゃんよ」

「反応、力、速さどれも思ったほど悪くはないな。ただ、問題があるとすれば……」


 ノアは立てた人差し指を優也へ向けた。


「お前だ!」

「えっ? 僕?」

「ん-。何かが足りないんだよなぁ」


 そして目を瞑ると右手を顎に添えて頭を左右に振りながら思考を巡らせ始める。


「俺の考えが正しければまだ完全に融合できてない所為で吸血鬼の力が不完全なままなんじゃないか」

「なるほどなー。そういやお前、アレちゃんと使えんのか?」


 だがノアの視線と質問に対して優也は首を傾げる。


「アレって?」


 するとノアの方を見ていた優也は肩を誰かに叩かれた。それに反応し後ろを振り返るがそこには誰もいない。

 だが背後の地面には奇妙にも手だけが生えていた。それは朱殷のような色の皮膚で尖鋭な爪が生えており手首には途中で千切れている鎖が付いた手錠がはめてある鬼の手――鬼手きしゅ

 そんな強靭そうな鬼手は手を振っていたが、少しすると溶けて消えてしまった。


「こういう手の形じゃなくて中には武器を出すやつもいたな」

「へぇ~」


 初めて知った吸血鬼の能力に感心しながらも優也はノアへ質問を一つ。


「これってどうやるの?」

「どうって……こう……」


 だが上手く表現出来ないもどかしさがノアの手を頻りに動かした。


「説明できないってことは感覚だな」


 レイがその様子を見て的確に言い表す。


「出そうと思えば出来んだよ! まずは、やってみろ」

「やってみろって言われてもなぁ」


 そう愚痴るように呟きながらもとりあえず試してみる優也。

 だが色々と試してみるが、うんともすんとも言わなかった。


「ダメだ」


 ダメ元でやってみたがもしかしたらという気持ちがなかったわけでもなくその分の落胆してしまい優也は少し肩を落とした。


「まぁそのうちできるようになるかもしんねーな」

「そうだな。出来ないなら仕方ない。まずは、今出来ることをやるしかないな」


 そういうとレイは立ち上がり部屋の中央へ歩き出した。


「そうだね」


 彼の言う今出来ることが何を指しているのかすぐに分かった優也は早足でその後を追い、横に並んだ。


「そろそろ負かしてくれるよな?」

「できるかなぁ」

「まずはその弱気を何とかしないとな」


 そう言うとレイは優也の背中を強めに叩いた。その勢いでこけそうになりながらも数歩前へ進み、中央まで歩いた二人は向き合い構える。

 そして今度はレイを相手にした実戦型の特訓が始まった。それをノアは端で胡坐をかきしばらくぼーっとしながら眺めていた。彼女の視線を受けながらも徐々にヒートアップしているからか戦いはどんどん激しさを増しより実践的になっていく。

 そんな中、ノアは優也に対して僅かだが違和感を感じ始めていた。それは実体のない幽霊のようにハッキリとしない感覚的なもの。


「(反応が上がったのか? それだけじゃねーな。実際に受けてるわけじゃねーけど、打撃の威力も増してる気がする。いや、全体的に底上げされてるってーのが正しいか。集中力が上がってきているってことか?)」


 だが違和感は僅かだったため特に気に留めることも無かった。

 それから更に時間が経ちノアは感じていた違和感が確信へ変わると思わずその場で立ち上がる。

 しかしその時、彼女の視線の先では目を青く光らせた優也の鋭く尖った爪先がレイの隙を突き喉元に迫っていた。


「っ!」


 爪先が喉の皮膚を一枚貫き血が一滴溢れ出す。

 だが、それ以上食い込むのを横から飛んできた鬼手が阻んだ。鬼手に攫われた優也はそのまま反対側の壁へと叩きつけられる。優也はその衝撃により壁と鬼手の間で気を失いぐったりとしていた。


「助かったよ」


 隣に並んだノアに対しレイはそう一言お礼を口にした。


「微かに違和感は感じてたんだけどな……すまねー」

「いや、俺も同じだ」


 そう言いながらレイは首を流れる血を手で拭い取った。


「それにしてもさっきのはだ?」


 無意識だろうかレイは『何者』という単語を使っていた。

 だがノアが答える前に優也は鬼手によってゆっくり地面に降ろされていく。そんな優也へ二人の視線が向けられた。


「あの感じは優也じゃなかったぞ?」

「確かにな。だが何だか懐かしい感じがしたな」

「どういうことだ?」

「同じ吸血鬼に会ったような」

「普段の優也からはそれを感じないってことか?」


 その言葉にノアは顔を横に振った。


「そういうんじゃねーけどよ。ユウは何かが少し足りねーんだ」

「まぁすぐには解決しなさそうだな。とりあえず今日は終りにしするしかないか」

「そうだな」


 ノアは返事を返すと優也を抱え上げた。


「ユウを部屋まで運んでくる」

「俺は一応マリねぇの耳に入れておく」


 そして二人は部屋を出て行った。

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