【34滴】Bar Cherry Queen
次の日の朝、目覚めた優也は昨日行ったレイとの訓練の後半部分が思い出せずにいた。その事についてレイへ質問してみると『気絶して倒れた』とだけ返され、更に『ノアちゃんとは俺が手合わせするから今日は休んでいいぜ』と付け加えられた。
その所為で突然、今日一日やることが無くなった優也。最初は街へ行こうかとも思ったが、外で沢山の雨粒が我先にと地面へ落ちて行く様を目にしそっと諦めた。仕方なく部屋でゆっくりとすることにした優也は適当に動画を見ることにした。
だがしばらく動画を見ていた優也だったが、まだ疲労が抜け切っていなかったのかいつの間にか夢の世界へ。
そんな彼を心地好い夢の旅から現実へと連れ戻したのはドアのノック音。まだ眠気の海に浸かっていた優也が消えそうな声で返事をすると、開いたドアからマーリンが顔を出した。
「今からちょっと付き合ってくれない?」
「いいですよ」
「それじゃあ、アモが持ってくる服に着替えたらアタシの部屋まできてね」
「分かりました」
「じゃまたあとで」
ドアが閉まった後、窓の外へ目を向けてみると既に太陽は仕事を終えて帰宅し雨はすっかり止んでいた。そんな外の様子で自分が随分と寝てしまったことを知りながら欠伸をひとつ。
それから少しの間、外を眺めていると部屋にアモがスーツを持ってきた。会社員時代に毎日着てきたシャツ・ベスト・ジャケットを手慣れた手つきで着た後は、アモに言われ髪をセットしてもらった。
「いかがでしょうか?」
「おぉ~」
鏡に映ったいつもと違う自分に感情を言葉へ変換する余裕はなく、ただ声を零すしかなかった。
そして準備を済ませた優也はアモにお礼を言いマーリンの部屋へと向かう。ドアをノックすると中から返事が返ってきたのを確認し、ドアノブを回す。
中ではいつもと違いアップでまとめられた髪形、エレガントでセクシーなドレスとハイヒールを履いたマーリンが丁度ネックレスを付けようと鏡の前で首に手を回しているところだった。
ドアが開くとその音に手はそのままで振り返る。
「あら、いい感じじゃない」
いつもと違うメイクをしていつもと違うドレスを着たマーリンは『大人の女性』という言葉がピッタリだった。そんな彼女に思わず見惚れてしまい優也は返事をするのを忘れてしまう。
「何?」
何も言われず見つめられていたマーリンはそう首を傾げた。
「あっ、いえ」
「そう。じゃあ、そこのテーブルから好きなの選んで付けてちょうだい」
マーリンが指差したのは近くにあるミニテーブル。その上にはデジタル腕時計、アナログ腕時計、懐中時計の三種類の時計が置かれていた。優也はその中から革バンドのシンプルなアナログ腕時計を手に取り左腕に付ける。その間に最後のチェックを終えたマーリンは腕時計を付け終えた優也の方を振り返った。
「準備はいい?」
「はい」
返事を聞くとマーリンは優也にコートを渡して自分の分も取るとポーチを手に取った。
それから部屋を出て屋敷を出ると、外ではアモと黒色のリムジンが二人を待っていた。後部座席の前にいたアモは二人が出てくるのを見るとドアへ手を。
「どうぞ」
そこから先にマーリンが乗りその後に優也が乗り込んだ。そしてドアを閉めたアモは運転席へと行きシートベルトを締めるとアクセルを沈めリムジンを発進させた。
ゆっくりと動き出した車内では優也が子どものような目で中を見回していた。
「まさかリムジンに乗れる日がくるなんて」
「良かったわね、夢が叶って」
そう言いながらマーリンはシャンパンクーラーからラベルに『SORAN』と書かれたシャンパンを取り出して開けていた。
「少年も呑む?」
「せっかくなので少しだけ」
シャンパングラスに注がれたSORANが爽快な音と共に生み出した幾つもの小さな気泡は、黄金色のシャンパンを泳ぎ最後は空中に弾けて消えていった。
そして半分ほどシャンパンを注いだマーリンはそのグラスを優也に差し出す。
「ありがとうございます」
その後に自分の分も注ぐとボトルをシャンパンクーラーに戻し手に持ったシャンパングラスを優也に向けて少し傾ける。優也がそのグラスに自分のグラスを軽く当てると車内には心地よい音が響き渡った。
それからシャンパングラスの中身が三分の二程に減った辺りでリムジンは停車。アモがドアを開き先に降りた優也は続いて降りようとするマーリンに手を差し出した。
「あら、ありがと」
その手を取ったマーリンが降りるとアモはゆっくりとドアを閉めた。
「いってらっしゃいませ」
二人が降りた場所は路地を進んだ人気の少ない場所だった。
そこで優也はリムジンとアモを背に正面に建つお店の看板を見上げる。そこには照明で照らさた『Bar Cherry Queen』の文字。
「行くわよ」
その声に視線を看板から少し先まで歩いていたマーリンに戻した優也はすぐにその後を追う。店の入り口にはサングラスをかけスーツを着た体格のいいガードマンの男が立っており二人はその男の前で足を止めた。
だがマーリンも男も何も言わず二人の間には異様にも感じる沈黙が漂い始める。それを一歩後ろから見ていた優也は真顔の男から(強面な見た目も相俟ってか)威圧感を感じていた。
そして沈黙は破られぬまま男の手がゆっくりとマーリンへと伸びていく。
「オーナー! 久しぶりですね!」
思ったよりも陽気な声の男はそう言いながらマーリンの手を握った。
「ご苦労様。久しぶりねジャック」
「いやぁ~。色々と話したいことあるんですがね、外は寒いので中へとりあえずへどうぞ」
そう言うとジャックは片手で店のドアを開けた。
「ありがと。あなたも体を壊さないようにね」
「自分は体が頑丈なことだけが取り得なので安心してください」
ジャックはドアを押さえている手とは別の手で逞しく胸を叩いて見せた。
「それなら安心ね」
そう返事をしながらもポーチを探り始めたマーリンは中から取り出したカイロをジャックに手渡した。
「こんな物しかないけどいいかしら」
「どうも」
カイロを手渡すとマーリンは頑張ってという意も込められているのだろうジャックの肩を軽く叩き店の中へと入って行った。そんな彼女に続いて優也も中へ足を進め始める。その途中、ジャックの前を通り過ぎる際に目が合うとまだ解け切らない緊張のまま軽く頭を下げた。
すると、
「いらっしゃい」
ジャックは優也の緊張が和らぐような優しい笑みを返した。
店内に入るとまずスポットライトに照らされた舞台が視線を奪う。その舞台上ではジャズバンドが生演奏を披露していた。その舞台の前にはソファや椅子・テーブルなどが置かれた広々とした薄暗い観客席があり、それより少し後ろ側にはバーカウンターが設置されていた。
二人はジャズバンドによる心地よい演奏の中、バーカウンターへ向かいコートを脱いでから席へと腰掛けた。
「いつもの」
舞台を背にカウンター席に座ったマーリンはあまり良い眼つきとは言えない切れ長の目で少し長めの髪が片目を覆ったクールな雰囲気のバーテンダーに注文をした。注文の声にバーテンダーはグラスを磨く手を止め顔を上げる。
「いらっしゃ……。――随分と久々に顔を出しましたね。マリさん」
ゆっくりと静かな声がカウンター越しから聞こえた。
「久しぶりねシュウ。お店はどう?」
「悪くないです。お連れ様は何にいたしましょうか?」
「僕も同じのでお願いします」
「かしこまりました」
どうやらこのシュウという青年は感情を表に出さないタイプなのか終始表情があまり変わらない。そして注文を受けた彼はカウンターの向こう側でカクテルを作り始めた。
「アタシ、ここではマリって名前だからよろしくね」
するとマーリンは誰にも聞こえないようにそう耳打ちした。
「分かりました。それよりオーナーってどういうことですか?」
その質問には顔を離してから答えた。
「このお店アタシが始めたのよ」
「どうぞマティーニです」
優也の反応より少し早くそれぞれの目の前には逆円錐のグラスに注がれたマティーニが差し出された。
「本当ですか!?」
「本当よ。ねっ」
同意を求めるようにマーリンはシュウの方を向いた。
「開業したのは確かですけどそれ以外は……」
今にも溜息を零しそうにシュウは首をゆっくり横に振る。
「なによ。最初はやってたじゃない」
その言葉にマーリンはシユウの方へ顔を向け噛みつくよう言い返す。
「ということは、今は誰がやってるんですか?」
優也の素朴な疑問にもう一度視線を戻したマーリン。
「それは彼よ」
そう答えながら彼女の指はシュウを指していた。
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