【16滴】カンガルーと十字架

 ノアの血を点滴で輸血することにより吸血鬼の再生力を得た優也の体は一日と数時間という短い時間で全ての傷を完治させた。それは傷跡も痛みも残っておらずあの拷問が悪夢だったのではないかと思わせるほどだった。

 そして二度目の眠りから目を覚ました優也は自分を責め続けていたノアから申し訳なさそうな表情で謝罪を受けが、そんな彼女を優しい笑みを浮かべ、大丈夫だと慰めた。

 しかし、傷も完治し体から吸血鬼の血が抜けてもコンダクターの依頼人とその目的に関して優也が何かを知ることは無かった。いや、あの女性が裏の世界でコンダクターと呼ばれる拷問屋だということさえも。


 それから数日後、すっかりいつもの日常に戻った優也は休みだというのに珍しく朝早くに目を覚ます。寝室を出るとソファには寝転がりながら雑誌を読んでいるノアの姿があった。どうやら彼女もまた朝早く目が覚めたらしい。


「何読んでるの?」


 ノアは向かいに座った優也に向かって雑誌を広げて見せた。その目の前で広げられた雑誌を手に取ってから、優也はゆっくりと目を通していく。


「欲張りな彼女と行くデートならここで決まり、ポピーランド? 何これ?」

「水族館っていうのと動物園っていうのと遊園地っていうのが合わさった巨大テーマパークっていうとこらしいぜ」

「へー、最近大きなテーマパークが出来たって聞いたけど、これのことだったんだ」


 優也はまた一枚とページを捲っていき、数ページに渡って紹介された特集へ目を通した。そして顔を上げるとノアと目を合わせる。


「もしかして、行きたいの?」


 その言葉に何度か頷くノア。


「ノアもこーゆーとこ興味あるんだ。少し意外かも」

「人生、何でも経験した方が得なんだよ」

「じゃあ、今日行く?」

「いいのか!?」


 思いがけない言葉にテーブルへ両手を乗せ前のめりになったノアは、子供のように輝いた目を近づけた。


「仕事も休みだしいいよ」

「よっしゃぁ!」


 そうと決まればと二人は早速準備を始めた。ノアはいつもの服に、優也は黒いスキニーとダッフルコートへと。

 そして軽く朝ご飯を食べて家を出発した。ポピーランドまでの道のりノアは終始ご機嫌な様子だった。吸血鬼の彼女にとって人間の街はどれも初めて見るものばかりでその魅力的だったらしく、これもまた好奇心を刺激していたのかもしれない。

 そして若干の移動時間を有し目的の場所、ポピーランドへと二人は到着した。そこは流石巨大テーマパークといったところか平日なのにも関わらず沢山の人で賑わいをみせていた。そんな人混みに紛れ早速チケットを購入して¥、入場すると優也は入り口で貰ったマップを広げる。


「うわっ、ひっろ! どこから行こうか?」

「あそこだな!」


 だがノアはマップなど見てなくランド内の端にある水族館の入り口を指差していた。


「じゃあ、魚を見て動物見てアトラクションに行こうか」


 マップを左の水族館から順に指差す優也だったがノアは言い終えるのを待たず水族館へと歩き出していた。そのことに気が付いた優也はマップを仕舞い早歩きで彼女に追いつくと、足並みを揃えて水族館へと向かった。

 水槽を泳ぎ檻の中で過ごす、大小様々な魚たちや様々な種類の動物を見てノアは子供のように燥いでいた。優也自身も久々の水族館や動物園に胸を躍らせていたがそんな彼女ノアを見ていると、どこか子どもを連れて来た父親の気分にもなっていた。

 そして初めて見る魚や動物、餌やり体験や触れ合いなどの楽しい時間はあっという間に過ぎお腹からお昼のお知らせが届く。


「そろそろ何か食べようか」

「そーだな」


 そして近くのお店に入ると運よくテラス席に案内され、オススメだというオムライスを注文した。しばらくしてウェイターが運んできた二つのオムライスはそれぞれの前に並べられる。その赤いチキンライスに乗ったトロトロの玉子と上からかかったソースのオムライスは、視覚と嗅覚を通じて食欲を刺激し腹の虫を騒がせた。ノアはチキンライスとソースのかかったトロトロ玉子を乗せたスプーンを口へ入る。すると瞠目させた。


「なんだこれ! うまい……」


 ノアの反応を見てから優也も目の前のオムライスに手をつけた。


「本当だ! おいしい」


 あまりのおいしさ二人はあっという間に食べ終わり店を後にした。

 店を出た後、トイレに行っていた優也が戻ってくるとノアの姿が見当たらない。しかし辺りを見回してみると近くのグッズ販売のお店でキーホルダーを眺めている彼女を発見した。


「何見てるの?」

「これ、かんがるー? だっけ?」


 ノアが見ていた物を手に取るとそれはお腹の袋から子どもが顔を出しているカンガルーのキーホルダーだった。


「そうだよ。ノア、カンガルーが一番気に入ってるみたいだったもんね」

「なんか強そうだしな! 背中を任せても大丈夫な気がすんだよ」

「すごい信頼だね……」


 その着眼点に思わず苦笑いを見せる優也。


「特にあの目のとこに傷があったヤツ、アイツは中々やれるぞ」

「たしかにあれは雰囲気で出たね」


 先程見たカンガルーのジョーを思い出していた優也は「ちょっと待ってて」と言うとキーホルダーを持ってレジに向かった。そしてすぐに戻ってくると買ってきたキーホルダーを彼女に差し出す。


「はい、あげるよ」

「いいのか! さんきゅー!」


 キーホルダを受け取ったノアはその場で嬉しそうな表情を浮かべ、眺めた後に少し考える素振りを見せた。


「じゃあ……」


 そう言うと徐に左耳の十字架のピアスを外し、差し出した。


「ほら、お返しだ。俺は何も買ってやれねーからコレやるよ」

「でもこれいつも付けてるやつだよね?」

「俺にはもう一個あるしな」


 ノアは右耳のピアスを前に出して強調するように見せた。


「いらねーか? でも、これ以外に持ってるもんはこれぐらいだしな……」


 言葉の後、視線を左腕に着けているバングルへ下げるノア。その表情はこれは渡したくないと語っていた。


「ううん。ノアがいいっていうならありがたく貰おうかな」


 優也はそう答えると手を伸ばし差し出されたピアスを受け取った。彼女のお返しをしようというその気持ちは嬉しかった優也だが、彼には一つ問題があった。


「でも、僕耳に穴空いてないからなぁ」

「俺が開けてやろうか?」


 すると透かさず提案をしてきたノアが少し長めの立派な犬歯をチラリと見せる。実際にその犬歯で耳たぶに穴を開けられる事を想像してしまった優也は、未だ体験していないはずの痛みに対して顔を歪ませた。


「――痛そうだし、今は遠慮しようかな」

「もう手伝ってやるチャンスはねーからな」

「えー、その時は手伝ってよ。もちろん歯じゃなくて道具でね」


 そう言いながらピアスをポケットにしまった優也には聞こえない程の声でノアは呟くように言葉を返していた。


「もうほんとに次はねーんだよ」


 そして、そんな声には気が付かず別のポケットからマップを取り出した優也はノアにも見せるように開いた。


「よし! どのアトラクションから行く?」

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