黄昏の空に陽は昇る

天村真

選びし物語

勇者の資格




 青い森の中。木の葉の隙間から差す午後の陽光は、無骨な木剣を握る手を優しく温める。

 心地よいその温もりを払うように、手の主は上段に構えた剣を振り下ろす。鈍な木の刃が、ビュッと鋭い音を立てて空を切った。

 その一閃は一流には及ばずとも、遊びで振るわれているようなものでない事は、剣に詳しくなくとも一目で分かる。さらに、その剣筋を放ったのが齢十一の少年である事を知れば、その才に誰もが賞賛を送るだろう。

 しかし、少年は「ちっ」と小さく舌を打つ。剣を振るう体の軸が僅かにぶれたのが分かったからだ。

 傍目から見れば、「その歳にしては」などと褒められるだろうが、少年はそれでは満足しない。歳で言うのならば、もっとできなくてはならない。

 自らの小さな手を見て、再度の舌打ち。

 白く柔らかな手には、似合わぬ剣タコが醜悪なできもののように張り付いていた。


「まだ足りぬか。まだ、届かぬか」


 変声期前の声には、子供らしからぬ落ち着きが含まれている。

 ざわりと風が木を踊らす。木漏れ日が少年の頭を優しく撫でる。

 クックッと少年は肩を揺らして笑う。


「よい。よい」


 そう呟いて、呻くように笑う不審者めいたその背に、声を掛ける者がいた。


「あー!またこんな所で木の棒振って!」


 声の主に心当たりのある少年は、彼女に聞こえぬ程度に溜息をつく。固まった表情筋にさっさと働けとでも言うように両手で頬を打ち、振り返る。


「どうしたんだい、ミナ。あんまり村から離れちゃいけないよ」


 静かな海の底を思わせる、澄んだ蒼い瞳が少女の姿を捉えた。

 ミナと呼ばれた少女は、ぷっくりと膨らませた頬を僅かに赤く染め、その視線を真っ直ぐに受け止める。


「自分だってこんな所まで来てるくせに……」


 その文句ありげな視線に、少年は苦笑いで返した。


「僕はいいんだよ。でも、ミナに何かあったら皆んな悲しむでしょ?僕も、そんなのは嫌だからね」


 にこりと微笑みかける少年の言葉に、ミナは俯き「分かった」と呟くように答える。

 少年はミナの頭にぽんと手を置く。


「それで、ミナはどうして僕のことを探してくれてたのかな?」


 ミナが思い出したようにハッと顔を上げると、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。


「お母さんがもうすぐご飯だからジルを呼んで来てって、でも広場にもトントおじさんの所にも居なかったから……おもちゃの剣も無くなってたし、ここかなって思ったの」


 ミナは一息にそう言い切ると、酸素を求めて大きく息を吸った。

 少年――――ジルは、期待に輝くミナの目を見て、いつものようにわしゃわしゃと頭を撫でる。

 柔らかな栗色の髪が、指の間をさらさらと流れた。


「ありがとう。でも、今度からここまで来るなら誰か大人の人と一緒に来ようね。迷子になると森人もりとに連れて行かれて仲間にされちゃうよ」


 森人とはジル達の暮らすカンパー村の伝承に出てくる怪物である。

 果てしない時間をかけて森の精気を吸った木は、神樹の力を得て動物の体に変ずる。その動物と植物の間に存在する森の守り人の事を、森人と呼ぶのだ。

 森人の話は村に住む者ならば誰でも知っていたが、誰もが伝説の中の話であると考えてる。

 ミナは森人の話が親が子を躾けるのに使う常套句である事を知っていた。


「そんなのおとぎ話だわ。木になった人なんて、サーカス団の見世物でも見たことがないわよ」


 ジルは作り話がうまい。ミナの楽しみは、夜寝る前にジルに『お話』を語ってもらう事だ。

 しかし、それだけにジルの話はどれだけ本当のようでも信じられない時がある。

 ミナの冷ややかな目は、ジルの話を見定めているようだ。


「森人は不思議な邪法を使えるんだよ。彼らの庭には伝説を信じず森に踏み込んだ人達の像が、みっしりとあるんだ」


 ジルが脅すように言うのを、ミナは首を横に振って答える。


「嘘よ。トントおじさんも、狩人のギリィもそんな話しなかったのに、どうしてジルがそんなこと知ってるの?」


 ミナは首を傾げている。その様子にジルは苦い顔をした。


「ともかく、あまりこの森には近づかないこと。いいね?」


 ミナの両肩に手を置きそう言い聞かせる。


「だって、この前アミュ様が帰ってきた時から、ジルはちっとも私と遊んでくれないし。きっとジルは森人の仲間になっちゃったのね。退屈で足が根っこにでもなったかと思ったもの」


 皮肉を込めたミナの言葉に、何か思うことがあったのか、ジルはやけに神妙な面持ちで腕を組む。

 そのあまりの変わりように、言ったミナの方が胸がずきりと痛む心地がしたが、ぱっといつもの優しい顔に戻ったジルが発した言葉が、ミナの心にかかった不安の雲を吹き飛ばした。


「それは悪い事をしたね。うん、退屈は良くない。お詫びに、今夜はお話をしてあげよう」

「あ!よくばりおじいさんのお話ね!私あれ好き!」


 張り切って返事をするミナに、ジルは困った顔を向けていた。


「そんな題名をつけてたのかい?」


 そう言うジルの顔はどこかばつが悪そうである。


「なんでジルがそんな顔するのよ?」


 ジルは問いかけるミナに手を振って、「いや、なんでもないよ」と答える。

 不思議そうな顔をしながらも、森を出ていくミナに付いて行きながら、ジルは「よくばりおじいさんか……」と一人小さく呟いた。

 その口の端には小さく笑みが浮かんでいる。その意味を知る者は、まだ誰もいない。


 ジル達の居た場所からカンパー村まではそう遠くはなかったが、子供の足では歩いて小一時間ほどかかった。村からそれだけ離れているのは、ジルが自身の鍛錬を人に見られるのを嫌がっているからだ。

 それは単なる羞恥心からくるものではなく、ジル自身の出生に端を発しているのだが、ジル自身はこの問題をすでに諦めている。その結果が人目につかぬ所での鍛錬であった。他にも一つ理由はあるがそちらは誰にも知られるわけにはいかない。それが例え妹のようなミナであってもだ。

 ジルがもう一つの理由の方がミナにばれていないか、内心で推し量っている中、当のミナは夜語られるであろう不思議な話に思いを馳せていた。


 ミナが『よくばりおじいさんのお話』と呼ぶのは、幼い頃からジルが語る、とある男の話だ。ミナがまだようやく言葉を理解したくらいの頃から続いているのだから、もう随分と前から語り続けてきた。いよいよその終わりが見えてきたのが数週間前、丁度ジルの母であるアミュ・アーガマイトが村に帰ってくる前日のことだったのだが、アミュと会って以来、ジルはあまりミナと接しなくなっていた。

 いつもなら寝付く前にするお伽話も、ここのところは随分とご無沙汰である。しかし、自分から話をねだっては、ジルからまた子供扱いされそうであり、ミナはそれが嫌であえて続きを急かすようなことはしなかった。

 それでも、やはり続きを早く聞きたいという気持ちは誤魔化しようがないくらい本物である。

 物語の始まりからは随分時間が経ったが、それでもミナはその話について、何一つ忘れることはなかった。話に出て来る様々なものが好きだったのだ。

 山よりも高くそびえる宮殿に、人を腹に入れて空を飛ぶドラゴン、触れても熱くない炎。そしてなにより、世界の何もかもを手にし、尚も『何か』を求めた一人の男。

 望むもののためなら努力を惜しまず、手段も選ばない。

 手にするまで、叶うまで行動し続ける。諦めるという言葉を知らないその男は、村から出たことがなく、外界を知らぬミナにとって憧れの対象だった。

 そんな彼の生涯を、ジルはまるで見てきたかのように語る。

 ミナは自分では思いもつかないような不思議なものを、苦もなくぽんぽんと想像するジルが誇らしかった。

 それ故、ジルから続きを語る約束を取り付けたミナは夕食の際も上機嫌で、早く寝床につくために洗い物などの手伝いもせっせとこなした。母のカルナには不審な目で見られたが、そんな事は些事である。

 まだ陽も沈みきっていないというのに、ミナは寝所に着くと、そそくさと薄い布団の中に潜り込んだ。そして、ベッドの脇に腰掛けるジルを、期待を込めた眼差しで見上げる。

 ジルは照れるように笑いながら、その視線を受け止めた。


「こんな早い時間に寝ちゃ、カルナおばさんに叱られるんじゃないかい?」

「いっつも、『子供は早く寝なさい』って言ってるんだから、今日はその言葉に従うだけよ」


 あまり似ていないカルナの声真似を披露しながら、ミナは急くように布団の端をポンポンと叩く。それまで子供じみた真似はするまいと耐えてきたミナだが、結局、目の前にお伽話という餌を吊るされ、子供らしく我慢の限界を超えたらしい。

 ジルはやれやれといった様子で首を振りながらも、その顔には柔らかな笑みが見てとれた。


「それじゃあ、とある男のお話、ミナが言うところの『欲張りおじいさんのお話』。その最後の最期。彼の人生の幕閉じまで、今日は話そう」


 そう言うと、ジルはゆったりと落ち着いた口調で語り始める。まるで記憶の繊維を手繰り寄せ、紡ぎ、織り込むように。ゆっくりと丁寧に、物語は形作られていく。



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