プロローグ/美少女なお姫様をやることにしましたー1

 二年前のあの日を、アドルは忘れることがないだろう。


 少し前から雪が降り始め、窓にたたきつけるような吹雪ふぶきになっている。まだ昼過ぎだというのに外は白いやみに包まれていてうすぐらい。部屋に備えつけられただんでは、火がぱちぱちとぜていた。

 不安にれていたレイのひとみが、かくを決めたしゆんかんものる前のもうきんるいがごとくするどくなり、息つく間もなくうつくしい銀のかみがばっさりと切り落とされる。

 はらりはらりとレイの白い手のひらからじゆうたんの上に落ちるそれは、まるで流星のようにまたたいていた。

「──このけんちかって、しようがいあなたをお守りいたします。アドルバード様」

 物語のなかののように、彼女はひざまずいた。

 幼いころから共に育ったレイがアドルをあいしようで呼ばないのは、おこっているときかしんけんなときだけだと決まっていた。だから、アドルはすぐに理解した。

 女性の命ともいえる髪を切り落とし、レイが剣をささげる。

 ただ一人のために剣をるうというその誓いは、永遠の愛を誓うものと同じように神聖なものだ。


 ──ああそうか、彼女は本気なのか。


「……守られてばかりだと思うなよ」

 かかげられた剣を受け取る。

 ずっしりと重いそれは、レイの決意の重さをしようちようしているかのようだった。

「俺だって、おまえを守れるんだからな」

 今はまだ、アドルが望む通りにレイのすべてを守りきることはできないかもしれない。

 それでも。



◆◆◆



 南のスフェラ王国、その王城の一室で、アドルは鏡の前に立っていた。

 鏡に映るのは赤みがかった金の髪の、うつくしい少女である。ドレスはこの日のためにわざわざ用意したもので、れんな容姿にとてもよく似合っていた。

「あっついんだよこんちくしょおおおおお!」

 身体からだしんから焼かれるような不快な暑さにアドルのいらちは頂点に達していた。

 南国特有のようしやない気温に、さきほどからじわりじわりとあせが流れていて気持ち悪い。

 足元まであるドレスのスカートは、すずしげな見た目に反してかなり熱がこもる。歩くたびに足にまとわりつくので何度もスカートをたくし上げたくなった。

「……リノル様、はしたないですよ」

 たしなめるレイの声に、アドルのいかりは治まるはずもなく、むしろ火に油を注ぐだけだった。怒りに燃えた青い目がキッとおのれの騎士をにらみつける。

だれがリノルだ! あるじの名前も忘れたかレイ!」

 それは少女の愛らしい声とはまったくちがう。声変わりも終えたであろう、少し高めの少年の声だ。

 振り返りながらさけぶその人に、レイはあきれたように目をせた。

「忘れるはずがありませんよ、アドルバード様」

 レイは忘れていないことを証明するように、一音一音はっきりと主人の名前を告げる。

 うつくしいドレスを着た少年はまぎれもなくレイが仕える主人、先日十五歳になったばかりの王子アドルだ。

「そもそも、あなたがなつとくして始めたことでしょう?」

 文句を言わないでください、とこの暑さなど欠片かけらも感じていないような冷ややかな声に、アドルは言い返すことができずに言葉をまらせた。

 アドルより二つ年上の彼女は、まだ十七歳だとは思えないほど冷静で大人びている。

「し、仕方なくだからな!? 俺には女装しゆなんてないからな! 目覚めてもないからな!?」

 何が悲しくてこんなふりふりのドレスを着て、コルセットでめ付けられて、重たいかつらかぶらなければならない。

 髪というものは長いと重量があるのだとアドルは近頃初めて知った。

「わかっていますよ。よくお似合いです」

 似合っていてもうれしくない。全然嬉しくない……!

 アドルはギリギリと奥歯をみ締めながらうなるように問いかける。

「……レイ、俺は女に見えるか」

 鏡に映っているのは文句なしの美少女。ただかたい表情をしているせいでその愛らしさは半減している。

「どこからどう見ても立派に姫君ですよ」

 となりに立つレイは、ざんこくなほどたんたんと事実を告げた。

 どこから。どう見ても。

「ええ! かんぺきな姫君でいらっしゃいます!」

「これならきっと、本当は王子だなんて誰も思いませんよ!」

 えを手伝ってくれたじよたちは熱を込めてアドルを絶賛した。キラキラとかがやく彼女たちのまなしが痛い。

 賞賛の言葉が、えいな武器となってアドルの心にさる。

「でも……私まで男装する必要はありますか?」

 レイは自分の服装を見下ろして首をかしげていた。

 いつもレイが着ているものよりも、体形をごまかせるようなつくりの騎士服に、かつちゆうをつけている。おかげで女性らしい線の細さや胸のかすかなふくらみがわからなくなっていた。

 男性のように髪を短くしているレイは、それだけでうつくしい青年に見える。

 だんから騎士の姿なのでそれほど大きなかんがあるわけではないが、アドルの要望は男に見えるように、だった。

「必要。すっごく必要」

 アドルはこれでもかというくらいに何度もうなずいた。

 余計な虫をつけないためにも、アドルの心のへいおんのためにも、レイの男装は重要である。

(レイが口説かれたりしても、今の姿じゃうまくけんせいできないし……)

 アドルが女装に集中するためにはレイに男になってもらわなければ!

 アドルとレイのやりとりに、侍女たちはくすくすと笑っている。

「レイ様が本当に男性だったら、はなよめの座をめぐって争う女性が後を絶たなかったでしょうねぇ」

 男女問わずれてしまうような美形のレイは、今や誰の目から見ても明らかにしい男の騎士である。

 うるわしく誠実そうな姿は、あちこちのれいじようりようしていただろう……実際、女である今もたいそうな人気がある。

「ありがとうございます」

 アドルなら賛辞と受け取ってもよいのかなやみそうな言葉にも、レイは微笑ほほえんで対応するので、侍女たちはくらりとよろめいていた。

 これだからアドルも心配になるのだ。

「いいかレイ、ここはハウゼンランドじゃないんだからな? 男相手にすきを見せるなよ?」

 じとりと睨みつけながら口うるさくアドルが忠告すると、レイはこんわくするようにまゆを寄せた。

「私がいつ隙を見せたっていうんですか……そもそもこんな男みたいな女を相手にする男性はいないと思いますよ?」

 女性のというのはかなりめずらしい。まして、男性優位の社会である南国で騎士といえば男だと誰もが無意識に思い込んでいるだろう。

 だがしかし、男であろうと女であろうと、誰もが目をうばわれるほどの美形なのだとほかならぬ本人がさっぱり自覚していないのだ。

(これだから無自覚は! 困るんだよ!)

「おまえはもう少し自分の顔がきようなんだって理解したほうがいい……!」

 天をあおぎながらアドルはお説教を始めたくなるのを必死でこらえた。視界のはしで、侍女たちが同意するように頷いていたりなみだこらえていたりする。

「はぁ」

 興味なさそうなレイの返答にアドルは頭が痛くなった。レイはアドルのことになるとこれでもかとしんちようになるけれど、自分のことだとかなりとんちやくになってしまう。

 アドルがうーうーと唸っている隣で、レイは淡々と時間をかくにんする。

「そろそろですね」

 ここで長々とレイに説教している場合ではない。

 アドルは目を閉じ細く息をき出して気持ちを切りえる。ここはスフェラ王国。失敗するわけにはいかないのだ。

「それじゃあしゆつじんと行くか」

 レイや侍女からもおすみきをもらえたのだから、一目で男とバレるなんてこともないだろう。

「では参りましょうか、リノルアース様」

 差し出されたレイの手に、しゆくじよのようにそっと自分の手を重ねる。

 自分のものではない名前に内心でしようしつつ、アドルはにっこりと花のように微笑んだ。

「──ええ、行きましょうレイ」

 そう、これはアドルにとっては戦いだ。

 コンプレックスである愛らしい容姿も、とことん使わせてもらおうじゃないか。可愛かわいらしい姫君となって、一国の王を魅了しなければならないのだから。

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