十六

誘拐事件の翌日、私はいつもの様に早起きして台所に立った。

本当はまだ恐怖が消えてなかった。あのまま連れ去られていたらと思うと、今でも震えが襲ってくる。

でも、部屋で1人で居れば余計な事を考えてしまい、昨夜も眠れなかった。

無理矢理にでも身体を動かせば、ネガティブな思考回路にも支配されないし、皆にも心配をかけたくなかった。

今日の賄い当番の3人が、それぞれに気遣ってくれる。


「…ミズキさん…休んでなくて大丈夫ですか?」

「そうですよ。今日1日位休んでも…」

「ありがとう。でも大丈夫!今日も元気に働くよ!」


私はいつも以上に気合を入れて、隊の雑務をこなして行った。

昼下がり、私は1つの隊員部屋を訪れた。

隊員達は10人前後の大部屋で生活していて、私が足を踏み入れる事は滅多にない。

私が入った部屋は傷病隊員の救護室だ。

部屋には3人の若者が寝ていた。

1人はキツタで1番初めに足に怪我を負ったラアム。

同じくキツタで背中を斬り付けられたナダと、もう1人は風邪をこじらせたマキユだ。

毎日彼等の様子を伺うのも私の日課だった。

本格的な医療の知識はないが、婆様が居なくなってから私の責任も重くなっていた。が、それを辛いと思ったことはない。

日に日に元気になって行く彼等を診ていると自分も嬉しくなる。

日本に居たら看護師として働く事も出来たかもしれない等と考えて、戻る手段も解らない現状に溜息が溢れる日もあったが、此処で必要とされている事に喜びも確かに感じるのだった。

私が姿を現すなり、3人は心配げに口を開いた。


「ミズキさん大丈夫ですか?…昨日の件、聞きました。怪我がなくて何よりです」

「本当ですよ。話を聞いた時は気が気じゃなかったですが、元気そうで良かった」

「ありがとう。俺は元気だよ、君達よりもね」


私は笑顔を向けて包帯を変える準備を始めると、ラアムは得意げな声をあげる。


「ミズキさん!見てください!膝が少し曲がるようになったんですよ!」

「良かった!傷口も塞がったし、そろそろ"リハビリ"を始めてもいいかも!」

「?…りは、びり?って何ですか?」

「え?あ、そうか…え〜と…少しずつ動かして、前みたいに動けるようにする鍛錬だよ」

「…異国語ですか?そう言えばミズキさんが居た国とは何処ですか?」

「え?…えっと…東の方?…ニホンっていうんだけど…」

「…ニホン…聞いた事が無いですね…」

「…小さな島国だから…」


しどろもどろに答えていると、今度はナダが質問してきた。


「長く病を患ってたと聞きましたが、どんな病だったのですか?あ、否…今はとてもお元気なので…気になって…」

(う…どうしよう…)

「…全身の骨が…バキバキに痛くて…吐き気があって、咳も止まらなくて…頭もお腹も痛くて…」


思いつく限りの症状をあげつらうと、3人は絶句した。


「…恐ろしい病ですね…」

「大変でしたね、ミズキさん」

(…信じてる…)


やはり、この世界の人達は純粋だと思う。

情勢が危ういせいもあるのだろうか。いつ命が終わりを迎えるかも解らない。

そんな世の中で、その日を夢に向かって必死に生きている彼等。

私の世界の多くの人達がいつの間にか忘れてしまった、懸命さと純真な気持ち。

ただ1日を漫然と過ごしていた私も、彼等と接して刺激を受けた。

だから、今出来ることを精一杯やろうと思えたんだ。

何だか近頃その事を忘れていた様な気がする。

3人の看病をしながら、自分を振り返ったりしていた。

その後、私はトキの部屋を訪ねた。


「トキ…今いい?」

「構わない。入れ」


私はお茶とお茶菓子を持って部屋に入って行った。

いつもの様にその滑らかな毛並みの腕を撫でさせて貰いながらも、沈黙が続く。


「何か…悩みがあるのではないのか?」

「…あったんだけど…もう、いいやって思って」

「?」

「…俺は導きだとか言われてるけど、結局何も出来ないちっぽけな1人の人間なんだ…」


トキは何も言わずに静かに聞いてくれた。


「でも…それでいいのかも知れない。…何かをやらなきゃとかすべきだじゃなくて、何をしたいのか、が1番大切なんじゃないかなって…。婆様が言ってた…変に使命とか責任を負うのは止めて、思うままに生きれば良いって…。俺、忘れてたよ…」

「…お前は何がしたいんだ?」


優しく問うトキに、もう少し甘えたかった。


「…う〜ん…取り敢えず今は歌いたい」

「唄?」

「うん。俺、昔"ミュージシャン"を目指してたんだ」

「…みゅ?…じしゃ?」

「あぁ、…えっと…唄を仕事にしてる人。旅芸人みたいな?……トキ、聴いてくれるかな?…久しぶりだから、ちゃんと歌えないかもしれないけど」

「…聴かせてくれるか。お前の唄を」


私は大きく深呼吸してから口を開いた。


〈日本語〉

『まるで ちり際の桜のように 粉雪が舞っている

 その中で躍るように振り向いた貴方

 冷えた風が吹き付けると 消えてしまいそうに儚い

 不安がる私に 大丈夫と頭を撫でた

 夢でありますように 夢でありませんように


 止まった時の中で 貴方に恋をした 動き出した針でどうなる

 万華鏡を回すよ

 背伸びして貴方に届いた手を 月にかざすよ

 今は届かない貴方

 独り呟いて 貴方を捜す

 その体温を伝えて 口付けで伝えて』


1節を歌い終えた私を、久しぶりの充実感と変な倦怠感が襲う。

ふとトキを見ると、口を半開きにしたまま固まっていた。

やっぱりこの世界の人には変に聴こえただろうか…。


「…凄いな…」

「え?」

「…否…何というか…。…心身共に癒やされるような感覚だ…」

「そ、そうかな…へへっ、ありがとう、トキ」


その時、廊下をバタバタと走る音が聞こえた。


「ミズキさ〜ん!何処に居ますか?!」


焦ったように私を探す声に、トキの部屋から顔を出して大きく返事をした。

走って来たのはクタニの班員達だ。


「ど、どうしたの?慌てて」

「それが…ラアムが…ラアムが!!」


心臓がドクンと脈打った。一気に青ざめた顔で私とトキが救護室へ駆け込むと。


「ミズキさん!!見てください!!急に…急に立てるように!!」


そこにはラアムが立っていた。

先程診た時は、そろそろ立つ練習をと言っていたばかりだと言うのに。

少し引き摺っていたが、歩く事も出来るようだった。

万が一を予想していた私は、思わずその場にへたり込んでしまう。

そんな私にラアムが涙目で訴えてきた。


「…さっき、急に痛みが引いたので立ってみたんです。そしたら…そしたら、立てたどころか歩けてしまって!」

「ミズキさん!俺もさっきから痛みがあまり感じません」


と言ったのは、背中に大きな傷を負ったナダだ。

今朝まで熱があったマキユは布団の上で元気そうに身体を動かしている。


「…どういう事?さっき急に…元気に?え?」


暫く呆然としていると、トキが場を鎮めた。


「…お前等、取り敢えず無理せずにそこに居ろ。ミズキ、タケヤさんに報告に行くぞ」

「え?タケヤ?」


まだ動けずにいる私を小脇に抱えると、トキはズンズンと歩き出した。その横顔には焦りが見える。


「タケヤさん、居るか?!」


中からの応答で、トキは私を抱えたまま入室した。

其処にはキリトとケイキも居た。


「2人も居たか、丁度いい。…ミズキが力を発動させた」


私は訳が解らずにトキを見上げる。今はもう小脇から解放されてトキの横に座っていた。

タケヤがゆっくりと口を開く。


「ミズキが…何だって?」

「さっきミズキが唄を歌った」

「…唄?」

「あぁ。…途端に救護室の3人が癒えた」

「!!」

「否、完全ではないが…明らかに癒えるスピードが早くなった」

「え?…トキ…どういう事?私の唄?」


私は更に混乱してトキに問うた。


「あぁ、お前が歌った事で、あの3人を癒やしたんだよ!」


興奮気味のトキにまさかと思った。


「でなければ、急に立てるようになる筈も無い。アイツ等はさっき、急に痛みが引いたと言った。そんな事が3人同時に起こる筈が無い。普段と違っていた事と言えば…ミズキ、お前だ。お前が歌ってた!」


確かに妙な充実感と脱力感はあったが、唄で傷が癒えるなんて事があり得るのだろうか…。

ケイキが静かに話し出す。


「…導きには、病や傷を癒やすといった伝承もあったな…」


キリトが口を挟む。


「…確かなのか?トキ」

「十中八九…間違いないと思う」

「…まだ完全に癒えてないと言ったな?…ならば、もう一度歌ったら…」


4人が目を合わせて頷き合う。

私はまた引き摺られるようにトキに手を引かれ、今度はタケヤ達と救護室を訪れた。

喜んでいた3人は、突然のタケヤ達の訪問に緊張を見せた。


「あぁ、そのままでいいから、少し傷を見せてくれ」


タケヤの一言で、ラアムが得意気に膝の傷を晒す。確かに先程診た時より傷口が小さくなっている様にも思えたが、私はまだ信じられずにいた。

傷を検分したタケヤが振り返って私を見る。


「ミズキ、歌ってくれるか?」

「え?」


戸惑う私にトキが背後から肩をポンと叩いて頷いた。

逡巡した後私も頷いて、もう一度歌う事にした。

今度は、ストリートミュージシャン時代に良くコピーした、大好きなミュージシャンの唄を選択した。


〈日本語〉

『言葉にすればほんの 一片の言の葉

 独り呟いて 頬染める

 庭先の紅葉の色に

 ふいに気配を感じて

 振り向けば 其処に佇む貴方

 聞いたのですか? 思わず

 恥ずかしさに逃げる私を追って

 抱きしめた 愛おしき貴方よ

 愛しています

 抑えてたのに 溢れ出した言葉は

 命の相聞歌こいうた

 祈るが如く 強く囁く

 誠の戀こいをした

 きっと一生一度

 命をかけて』


そして、また私を襲う充実感と倦怠感。たった1節しか歌ってないのに、私は肩で息をしてその場に崩れ落ちる。

トキが後ろで支えてくれた。

タケヤは信じられない物を見るように呻いた。


「…これは…ほぼ傷が…消えた?」


それはこの部屋に居る全ての人間が目にした事実だった。

キリトが震える声で問うた。


「…ラアム…足は動くか…?」

「…え?…あ…」


ラアムも呆けているのに気づいて、慌てて足を動かした。


「…動きます…さっきまで引き摺っていたのに…え?…何で?傷が…え?」


ナダもその半身を晒して背中を見せた。


「あの…俺の傷も?…痛みが全く無いんですが…」


その背中には右肩から左腰までの大きな傷があったはずなのに、今はそれが線の様に薄くなっている。

ケイキも唸った。


「…こんな事が、出来るのか…」


そこへトキが口を挟む。


「しかしミズキの負担が大きいようだ。…力の代償というのか…」


私はその場から動く事も、状況を理解する事すら出来ずに、そのまま意識を手放してしまった。

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