随筆でも手紙でもなく(後篇)

4月14日土曜日。授業開始から20分くらいしたところで、国語室にみんなと違う制服をまとった少女が現れた。フォトグラファ美南だ。美南は海馬を見つけると駆け寄った。


「国語室は走っちゃダメって教わらなかったか」

「ヴィンヴィン、すごいんだよ! 1階の事務室でフォトグラファですって言ったら、お待ちしていました、国語室は3階ですって通してくれたんだよ!」

「ん?」

「この前みたいに忍び込まなくちゃいけないかと思ってドキドキしてたけどテンション上がった! しかもむっちゃ笑顔だった」

「もう立派なフォトグラファなんだ、美南は。4月7日土曜日――ケンたちのサッカーの写真を撮り始めてから美南の仕事が始まったんだよ。1週間もやればかなり見えてくるだろ」


たしかに――

ケンケンの試合を観にいったあの日。

あれから1週間しかしていないんだ。

ヴィンヴィンはあのとき力強く背中を押してくれた。



い ま す  ぐ


撮 っ て こ い 



あの日、ケンケンたちの試合を「いいなぁ子どもは何も考えなくて」みたいなテンションでぼんやり眺めていたわたし。誰にも話しかけられないように、遠くの土手で試合を見ていたわたし。親たちをめんどくさい存在と決めつけていたわたし。


だけど――


思い切ってサッカーの写真を撮りまくっていたら、お母さんたちに囲まれた。「高校生だけどフォトグラファです!」って名乗ったら、たくさんの仕事がもらえて。ワンちゃんを撮る仕事、結ちゃんのおじいちゃんの写真も撮った。ヴィンヴィンの作る制服のカタログの写真撮影も手伝った。あの日から――


人生が加速した。


「なんかさ、嬉しくってポラロイドで受付のうさセンパイの写真を撮ったんだ」

「宇崎さんでよかったね」

「うさセンパイ、めっちゃカワイイ! 今度遊ぶ約束しちゃった」


今、国語室にいる生徒の中で受付の事務員の名前を認識している者がいるだろうか。美南が学校に来るということで、あらかじめ話をつけておいたこの銀髪の少年の根回し力は、どこに駒を指そうとしてもすでに防御が万全な、ぬかりないプロ棋士の差し回しのようだ。


「ところでヴィンヴィン、なにそのコスプレ。お侍さん?」


銀髪の少年は本気モードの将棋の棋士か、明治か大正時代の文豪のような恰好をしている。


「そもそもオレ、土曜日の制服は持っていないんだ。これは国語室で着る用の服。芥川龍之介風の衣装だよ」

「すげー似合ってるよ。撮るからポーズとって」

「オレはいいよ。他の人たちを撮ってきな。そのために呼んだんだから。早くしないと授業終わっちゃうぞ」


物語や俳句、エッセイを創作するとなると50分という授業時間はとても短い。美術や体育の時間が他の時間よりもずっと短く感じられるのと似ている。


「ねぇヴィンヴィンは何を書いているの?」

「ナイショ」

「なになに、手紙?」


ヴィンセント海馬がいるゾーンは『随筆ゾーン』だった。


「手紙って言えば手紙になるのかもしれないけど・・・うーん、でも手紙じゃないか」

「ねぇねぇ、見せてよ」



美南が覗き込むとそれは、随筆でも手紙でもなく――



結へ


いつもありがとう。

結がそばにいてくれて幸せだった。

高校の制服とても似合ってたよ。

新しい友達もできたんだね。

まだ不安みたいだけど心配はいらない。

結はとてもいい子だから大丈夫だよ。


結が小さなころ将棋をやっているとき

いつも一生懸命考えていたね。

一生懸命考えることは結の長所だからね。

たくさん考えてるときは苦しいけれど、

それが役にたつときが必ずくる。


最後にはぜんぶ役に立つんだよ。


人は死ぬけどその思いは消えない。

思いの中に人はいる。


だから安心していつものように、

迷ったり泣いたりしながら、

最後は明るく生きて欲しい。



「これって――どういうこと?」


ヴィンセントはシンプルに、短く言った。


「遺書」



い し ょ



「ぬぉ! ヴィンヴィン、死ぬつもり?」

「オレは死なないよ。いや、もちろんいつかは死ぬけど、それはたぶん今日じゃない。ただ、代筆を頼まれた」

「だいひつ?」

「代わりに書くこと」

「そのくらい知ってるよ」

「ウソつけ」

「バレたか。でもだいたい知ってたし。誰に頼まれたの?」

「それはわかるだろ。美南も写真を撮ってたし」

「あ――」


フォトグラファ美南は思い当たった。



結 の 


お じ い ち ゃ ん



「結のおじいちゃん、死んじゃうの?」

「おじいちゃん自身はその予感を感じている」

「その予感?」

「自分がもうすぐ死ぬということ」


美南は顔を上げて、そばに聞いている人がいないか探る。


「確かゆいゆい言ってたよ、おじいちゃん倒れたけれど何でもなかったって」

「たしかに検査ではなんでもないと言われたらしい。でもおじいちゃんは自分自身で分かっている。もう終わりだって。死が目前に迫っていることを感じている」

「ねぇ、ちょっと! ひどくね?!」

「声が大きいよ。オレ、おじいちゃんに託されたんだ。自分の代わりに遺書を書いてくれって」

「なんでヴィンヴィンに託すの? ゆいゆいのパパかママに頼めばいいじゃん。ていうか、遺書って自分で書くんじゃないの」

「そんなのわからないよ。でも日曜にお見舞いに行ったとき言ってた。結のおじいちゃんは遺書を書きたがっていたし、遺影にはいい写真を使いたいって。できれば結といっしょに映った笑顔の写真を使いたいって。だからぴったりのヤツがいるからって美南にすぐに頼んだ」

「そんな大事な写真を――」



わたしが――



「いいんだよ」


ヴィンヴィンは美南の心の声を見透かしたように言った。


「自分のスキルに疑いを持つのは逃げだ。できることを全力でやればいい。疑うとできることもできなくなってしまう。ほら、早く撮ってきな」


美南はカメラを持って立ち上がる。

撮らなきゃ。

いいと思ったものをどんどん撮らなくちゃ。


そう思って席を立ったとき、フォトグラファ美南は紙の束を見つけた。


「あは! これ!」

「あっ!」

「ヴィンヴィン、何度も書き直しているんだね。かわいい」

「まぁ・・・手書きとか、本当にツライ」

「でも、おじいちゃんのリクエストなんだね」

「将棋のコマみたいな、かっこいいい字をリクエストされた。字のスキルアップはムズイ」

「人に迷うなみたいなこと言ったくせに、迷っているんだね。ヴィンヴィン」


和服に身を包んだ銀髪の少年はわずかに微笑むと、美南にだけ聞こえるくらいの小さな、しかし力強い声できっぱりと言った。


「いや、迷っていない。オレはただ——」



祈 っ て い る ん だ

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