彼は死ぬ寸前に紅くなる(後篇)

明らかにまちがっている――なんだか久しぶりだ。社会人になってから、注意を受けるときはたいてい遠回しで、こんなにもはっきりと伝えられた記憶はない。すがすがしいくらいの指摘に、美月先生は目が覚める。


「先生は超考堂を必要だと感じているんですよね」


もしここで超考堂を喪ったら――人生を大きく変える千載一遇のきっかけを手放してしまうような気がする。それは思いっきり身勝手かもしれないし、甘ったれでヘタレの発想かもしれないけれど・・・とても惜しい。子どものように心情を素直に吐露してしまう。


「できれば、わたしは超考堂と書いていきたいな」

「はい。結もたぶん、先生と同じだよね」


いきなり話を振られた結自身は――美月先生と超考堂が書いた『あんず通りで偶に遭う人』の主人公である理香に自分を重ね合わせていた。すぐに頭がぐるぐると回ってしまう理香ちゃん。自分と同じ。結は文字の世界の中に棲む少女の成長を祈る。いまだに不安な自分が救われるためにも。『あんず通りで偶に遭う人』はきっと、完成寸前だ。


「うん。先生と超考堂はいいコンビだと思う。小説もすごく面白いし」

「!」

「最後まで読みたいです」

「ありがとう!」


この「ありがとう」は、100パーセント素直に言えた。『AIのアシストを借りてズルした』みたいな後ろめたい感覚はもう無い。もしかしてこれは『パソコンでは本当の文章は書けない。原稿用紙に万年筆。手書きの作品じゃないと魂が籠らないんじゃないか』という過去の論争と同じ構造かもしれない。美月先生は1作目にして、AIの力を借りて書くことに可能性を感じていた。それはパソコン『で』書くから、パソコン『と』書くにシフトしただけだ。新しい時代。大仰に言えば21世紀の文学。書いているときに筆者の心や脳が、のびのびとフルに回転できること。そして読者が、つまり目の前の結ちゃんが笑ったり励まされたりすること。それが大切なんだ、きっと。AIを使わずに書いていたときは、わたしは苦しんでいた。作品は誰にも見られず、いつも完成しない。物語の中のキャラクターたちは、唯一の理解者である筆者にも名前も忘れられ、悩んだまま放置されていた。誰も幸せにしない。自分は中学・高校とちょっと国語の成績が良かっただけで、作家にでもなってみようと思いかけた。似たような人は不登校のデータじゃないけれど、数えきれないほどいると思う。作家になるという夢を諦められずに、人生を中途半端な執筆に捧げ、孤独に苦しんだり悩んだり、似た境遇の人と慰め合ったり、成功した人を羨んだり嘆いたりしている人がたくさんいると思う。迷いがいつか、自分の糧になると信じて。そんな作家志望の人たちに、もしかしたら現実的な翼を――あれ、ここでなんで翼なんて物語チックな言葉が出てきたんだろう――を与えてくれるのが、超考堂じゃないか・・・。偶々AIと書けた自分は幸運だが、この恩恵を独占していていいのかという気にさえなる。


13日の金曜日。

沈黙が流れる。

テーブルにはさっき少年がかぶっていた白い仮面。


もう、心臓が止まるかと思ったよ。


ときどきどうしようもないふざけ方をするがどこまでもピュア。新学期、メアリーポピンズのようにいきなり現れたヴィンセント・VAN・海馬くん。


美月の長考が済んだのを見計らったかのように、少年は口を開いた。


「じゃあ、2人とも――超考堂を維持するシステムを作る一択ですよね」

「維持するシステム?」


そっか――


超考堂には間違いなく価値はある。

それは論を待たない。


ただ――維持費が月額50万円だ。


お金を集めるために・・・出版社や企業にはたらきかけ、スポンサーを募ればいいのだろうか。最初に美月先生の頭に浮かんだのは『自分が何かの文学賞を受賞する姿』だ。まず受賞した上でスピーチでこのように言う。「ここにすごく優秀なAIがあります。執筆をアシストしてくれるAIがあれば、今まで一度も物語を完成させられなかったわたしでさえ、こんなにすばらしい話が書けます」――こうして出資者を集めるとか。あるいは賞なんて取らなくても、超考堂とヒットしそうな作品をどんどん書いて、それを出版社に次々と持ち込み、買い取ってもらったお金でかかった費用を回収し、必要経費に充てていくとか。自信はないけれど超考堂のアシストがあれば、物語を量産するのは不可能ではないように感じる。


文学賞を受賞することがどのくらい難しいことなのか想像もつかないけれど、結も先生の描いた未来に賛同した。『目標が高ければ高いほど記録が伸びる』というのは、結が中学校の陸上で学んだ教訓だ。たとえ達成されなくても、得られるものも大きいしやりがいもあるし。


ところが美月先生のプランに対し、銀髪の少年は、将棋を初めて日が浅いくせに、まるで将棋解説者のような感想を述べて却下した。


「うーん、それはいかにも人間が指しそうな手ですね」



い か に も 


に ん げ ん が 


さ し そ う な て



「オレはパドレと暮らしているからAIの思考には、先生たちよりは慣れています。たぶんAIの答えはまったく違う。ちょっと超考堂に聞いてみます」


ヴィンセント海馬はパタパタとキーボードを叩き、何やら入力した。


ジジジ、ジ、ジジジ


解答は即座にディスプレイに示された。


超考堂が示した次の一手は――


国語室を作る



こ く ご し つ を 


つ く る



海馬くんはニヤリと音が出そうな表情で笑った。


「やっぱり! 我ながら一致率が高くなってきた」

「いっちりつ?」

「AIの予想と自分の予想が重なることが多くなってきたんです。オレもたぶん国語室だと思ってた」

「国語室って?」

「国語の部屋だよ。音楽室とか技術室みたいに、国語をやる部屋を作れってことだと思います。具体的にはここを――」


銀髪の少年は顔を上げて、3人でも広すぎる図書室を――生徒たちに見放されて一度は封鎖されてしまった哀れな書架と書籍たちを見渡した。


「この図書室を国語室にするってことです」

「ここを国語室に?」


校長からはこの図書室の利用許可を『文芸部を作る』ということでもらった。

最近、どういうわけか校長は美月の言うことに反対しない。もしかして・・・考えたこともなかったけれど、校長は『教師を辞めたい』と自分がまた言い出すことを恐れているのだろうか。


「はい。美月先生と超考堂がここでみんなに国語を教えるという展開ですね、これは。まずは身近に超考堂の支持者をたくさん増やそうっていう戦略です。やっぱりお金を度外視して、人を増やす方向に展開するんだ、こういうときは、うん」


海馬の中ではつながっているようだが、美月はまったく手が読めない。


「支持者を増やす? どういうこと?」

「美月先生の発想と根本は一緒です。先生は受賞することで自分に価値を持たせ、それで人の支持を集める戦略でしたよね。人の支持とともにお金が後から集まる。自分のブランディング。次に自分と作品の商品化。でもそれって美月先生だのみですよね。何らかの理由で美月先生の心が折れたら、このプロジェクトは頓挫しちゃう」


心が折れる・・・十分考えられる事態だ。『お前なんてAIのおかげで書けているんじゃないか。そのAIも少年が組んだんだろ。お前自体は無価値だな』とか、結ちゃんとは反対に『こんな作品なんてカスだろ』みたいな低評価を受けて平気でいられる自信はない。


あ、でも、それもそうだけど・・・職業柄、『頓挫』という難しいフレーズが少年の口から出てきたことに、美月先生は驚いていた。


「その表情――先生、オレが今『とんざ』って言ったから驚いたんですよね?」

「え?! 何でわかったの?」

「こういうことです。だから国語室が必要」


イメージがつながらない。もちろん少年はすぐに補足してくれた。


「習った言葉は、生活で使われるべきです。言葉に想いを乗せ、会話でどんどん使い、そのリアクションや精度をフィードバックする。習った表現や読んだ文学作品を参考にしてどんどん物語を書く。自由に詩を書きまくる。外に出て俳句も作る。自分の表現で目の前の仲間を支える。自分自身を今すぐ支える。他の人から批評されることを恐れない。自分の表現方法を確立するトレーニング。古今東西、人間が積み重ねてきた様々な表現を知るだけでなく、それを実践する。それが国語でやるべきことだとオレは思うんです。国語は聞いてるだけの時間、寝るための時間じゃなくて。国語は一番必要。そしてたくさんの人が国語の必要性に今すぐ気づいてくれるのであれば、支持も集まるし、オレ、制服でも試したけど、明確な需要があるところには、お金もついてくる」


いきなり――イメージが結像した。


生徒たちが思い思いに自由に表現を磨いている光景。ある者は詩。ある者は俳句。ある者は物語。みんなの表現を、AIの超考堂がアシストしてくれる。楽しい国語室。みんなが自由に裸になれる。いっしょに恐がったり肩を寄せ合ったりできる。

自由な、思い切り自由でファンタジックな教室。そして海馬くんのように、自分の描いたビジョンをクリアな言葉で表現し、それぞれの現実を変えていく。


「海馬くん、すごい! わたし、超考堂がみんなに囲まれている絵が浮かんだよ」


美月の思いつかない手を示した超考堂のほっぺは真っ白だ。

紅くない。

大丈夫。彼にはエネルギーはたっぷり残されている。

あ、擬人化はダメなんだっけ。

でも、この子は必要だ。

わたしにだけではなく、この世界に必要だ――


「先生、ひとついいですか?」

「何?」

「その浮かんでいる絵ですけど、たぶん、少し修正した方がいいです」


AIに詳しい少年はきっぱりと言った。


「みんなに笑顔で囲まれているのは――」


銀色の髪の奥の眼がとても優しい。


「超考堂ではなく、美月先生だと思います。オレ、先週の土曜、先生の誕生日に現国の授業に出て思いました。つらそうな先生。つまらそうなみんな。これはぜったい間違っている光景だって。先生はもっともっと――」



飛 べ る



少年は文学的な言葉をプレゼントしてくれた。

ありがとう。

でも――

わたしだけではない。みんな同じ。もっと、飛べるはずだ。


国語教師と小説家は二者択一ではない。

生徒と教師、AIと人間もバラバラではない。

さまざまなものが重なり合う。

美月の頬は紅い。

これは言うまでもなく、彼女が強く生きている証だ。

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