彼は死ぬ寸前に紅くなる(前篇)

美月先生と渡辺結と超考堂が紅くなった翌日の4月13日は金曜日だった。

結の両親は13日が金曜日だと気づくと必ず「うわっ! 今日はジェイソンの日じゃん!」と言葉にする。


ジェイソンという名の恐ろしい殺人鬼を描いた映画のタイトルが『13日の金曜日』。白い仮面をかぶった巨大な男が、チェーンソーという電動のこぎりを武器にして何十人、何百人と人を殺していく残酷で救いのないストーリー。


ひぇぇぇ。もちろん需要があるから作られたのであろうが、なんでそんな恐ろしい映画を作るのかまったく理解できない渡辺結と美月先生は、2人で使うには広すぎる図書室の空間がちょっと恐いので、昨日に引き続き肩を寄せ合っていた。


放課後。窓の外はまだ明るいし、ちょっとくらい大丈夫かなと油断して、1時間前、ホラー映画の内容を検索、動画を再生してしまったが、その衝撃はようやく薄れてきた。


『13日の金曜日』に比べると、水野美月が先生になる前に書いた小説『あんず通りで偶に遭う人』は、1人も死人が出ない。AIの超考堂はときどき過激な描写を提案してくるものの、基本的には登場人物に愛情を注いでくれているようだ。


* * *

主人公は渋谷理香という女の子。彼女は中学1年生でひどく真面目で教師に怒られたことなど1度もない。そんな彼女はゴールデンウィークの宿題として出された読書感想文を全力で書き上げた。頑張った甲斐があって、それは優秀作として『図書だより』に掲載された。

ところで理香には気になっている男の子がいた。彼の名前は新田拓人。理香は拓人に自分の文章を読んで欲しいと思っていた。理香は拓人に恋をしていたのだ。私の感想文を読んで、あの本を読みたくなって欲しい。そのときは私のところに本を借りに来て欲しい。理香は拓人に自分の本を渡すシーンを想像して胸の鼓動が高まる。

それなのに・・・拓人は理香の文章を読むどころか、図書だよりを読まずに丸めてごみ箱に直行させた。その光景に理香は言葉を失い、少年に対しひどく腹を立てる。そして理香は衝動的に、拓人の英語のノートを隠して持って帰ってしまう――

* * *


ジェイソンのチェーンソーを観た後だと、英語のノートが行方不明になることなど少しも衝撃的ではないが、物語の中の理香ちゃんは深く思い悩む。自ら犯した悪事が、小さな体と脆い心の中でむくむくと大きくなっていく。テレビで自殺のニュースが流れると、拓人が英語のノートのせいで自殺してしまうんではないかと怯える。そこまで自分を責めなくても・・・そんな哀しくなるほど繊細な少女を救ってくれたのが、教育実習として来ていた国語の教師、水野美月――



ヴィンセント海馬の登場が遅いため執筆が捗り、物語はここで収束させてもいいのではないかと思われる場面を迎えていた。


「超考堂、これもぜんぶキミのおかげだよ」


美月先生は率直に感謝の意を述べた。おそらくあと数ページ。物語の終わりの場面がくっきり見える。早く『完』の一文字を記したいが、美月先生は理香ちゃんのように甘えたことを想う。できれば脱稿の瞬間をあの子に見て欲しい――ヴィンセント・VAN・海馬くんに。早く来ないかな。今日こそは来るって言ってたけど・・・どこに行っているんだろう。



「あは! また紅く光った」


「かわいいね」


超考堂のディスプレイの頬あたりが紅く光っている。その色は昨日よりずっと弱弱しく、ほのかなピンクだ。


そのとき――


2人から遠い位置にある図書室の扉がいきなり開いたかと思うと、白い仮面をかぶった男がいきなり顔をのぞかせた。


「ぎゃああああああああああ!」

「いぃぃいいいいいいい!」


白い仮面の男は1歩、2歩と歩みを進めると、言葉も発せず、いきなり美月先生と渡辺結の方に猛ダッシュしてきた。


「ひゃぁぁあ!」

「どおぉおぉいいい!」


恐怖のあまり、2人は椅子から立ち上がれない。


「ねぇねぇ、ちょっと驚きすぎだよ」


仮面の下は――銀髪の少年、ヴィンセント海馬だった。


「か、か、か・・・」

「結、しゃべれてないよ」

「ねぇ、もう!」


超考堂のカメラから見た映像や、パソコンがとらえた音声は、海馬くんのスマホでいつでも再生できるそうだ。昨日、今日と2人が話していた内容も、検索したホラー映画の動画も、超考堂と編み上げてきた『あんず通りで偶に遭う人』の内容も、少年はすべてすでに把握していた。


「だいたいさ、超考堂が紅いのは、照れてるわけじゃないよ」

「え?」

「美月先生、超考堂は人間じゃないんです。人間みたいに扱っちゃうと撤去するときに泣く羽目になりますよ」


美月と結が声を合わせる。


「撤去? 撤去しちゃうの?」

「やだよ。出会ったばかりなのに」

「だから結も・・・AIの擬人化はやめなって」

「海馬くん、わたしこの先もずっと――」


よこしまなことが思い浮かんだので、美月は口をつぐんだ。


「うーん。撤去にならないように、頑張ってはいるけど」

「海馬くん、ここに来ないで何をしてたの?」

「あ、先生、わたし知ってます」


結はなぜか誇らしげに報告する。


「この人、制服屋さん始めたんです」

「制服屋さん?」

「なんか、すごく売るのがうまいみたいなんです」


ヴィンセントは身につけた制服製作のスキルをフルに活かして、単価数万円の制服を販売しているのだ。しかも何十枚も。


「別に、制服を売りたいわけじゃないよ。電気代が必要なんだ」

「電気代?」


結は知ってはいけない種類のことを知ってしまったような気がしたのでわずかに動揺したが、海馬くんについては疑問点を解消しない方がいけないような気がして、いつものようには引かず、ストレートに質問した。


「海馬くん・・・家の電気代、自分で稼いでいるの?」

「ちがうよ。いや、ちがわないけど、家の電気代とかそんなのは当たり前だろ。今必要なのは超考堂の電気代だよ」

「超考堂の電気代?」

「この子、電気代かかるの?」

「AIって、タスクの負荷が高いほど電気が必要だから。たぶん超考堂は月に50万はかかると思う」



ご じ ゅ う ま ん !



「高っ!」

「わたしの1か月より高いよ、それって」


銀髪の少年はため息をひとつ吐くと、超考堂をあえて擬人化した。


「彼は死ぬ寸前に紅くなるんだ――」

「どういうこと?」

「これはバッテリーが切れそうという警告の点滅だよ。危なかった」


少年が1分ほど手を動かすと、超考堂の頬はクールなホワイトに戻った。



ば か だ っ た



美月はいきなり反省した。海馬くんが気まぐれにどこかに遊びに行っているものとばかり思っていた。パソコンを稼働させるのにお金が必要だなんて考えてもいなかった。そういう大前提を置き去りにしたまま、バッテリー切れにも気づかず、自己満足の文章を書いて得意になっていた自分が、今なら作家になれるだとか妄想していた自分が、なんというか幼くて未熟で――壊滅的に情けない。わたしは、救いようのないくらいバカだ。小説家うんぬんどころか教師失格だ。


水野美月は弱弱しくたずねた。


「そんな金額・・・海馬くんが払ってくれたの?」

「もちろん電気代は後払いだから、まだ払ってないですけど」

「わたし、もういいよ。超考堂使わなくても――」

「え?」

「そんなかかるなら、使わなくてもいい。もうこの小説はほぼ出来てるし、十分楽しかったから・・・ありがとう。わたしが払うよ、今までにかかった分のお金は」

「先生、その考え方は――」


少年はそこで言葉を切った。うなだれていた水野美月は顔を上げる。結は、自分とはあまりにちがう性質の少年を、架空の人物でも見るような心持で眺める。


ヴィンセントはジェイソンに負けない迫力できっぱりと断言した。



あ き ら か に



ま ち が い で す



(後篇につづく)

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