あんずトロワ(中篇)

そこ?!

これはいい導入ですね、引き込まれちゃいました、みたいな褒められ方を瞬間的に期待していた。なのに表現ではなく物語のリアリティを高めるだけに用いたデータの方に反応されるとか・・・そうだよね。そうだよ。そう・・・


「そっか、12万人の人が悩んでいるってことは、親が2人ずつまだいるとしたら、約24万人の親がこまっているってことですもんね。すごい数ですね。さすが先生、鋭いです」


別に鋭くないし、嬉しくないよぅ・・・


「今はどうなのかわからないけどね——」


幸いなことに、美月の受け持ったクラスで不登校の子はいままでいなかった。


「自分で調べたデータじゃなくて、たしか当時、大学の教職課程の先生に習ったんだよね。教育実習に行く前に」

「どうなるんですか、このあと」


結は美月の持つ原稿に手を伸ばす。


「あ、見ちゃダメ!」

「でも、続きが読みたいです!」



つ づ き が よ み た い で す !



きゃあ!


結ちゃんったら、嬉しいことを言うじゃないですか!

やっばい。

どうしよう、クソ嬉しい。

見せちゃう?! 

自分でもこの先どうなるか、ちょっとだけど知りたい。


でも——


気分はすっかりあんずトロワ。限界。これ以上先は今日はムリ。

美月先生は原稿は見せずにファイルにしまうと、記憶を辿って口頭で説明した。


「忘れちゃったけどたぶん・・・」


中高生に不登校が多い。しかもかんたんに自殺するらしい——中学校へ教育実習に行く前に、そんな情報を得て思いっきり怯んだ大学4年生のもうリトルではない美月は、自分が失言をしてそれをきっかけに繊細な生徒が飛び降り自殺する場面を思い浮かべた。恐ろしい。教育実習なんて行きたくない。でも行かなきゃ教員免許が取れない。これまでの努力がムダになる。教職の道をやめたら就職できるかわからないし。どうか期間中は無事で終わって欲しい。神さま頼みます・・・たしかそんなことを想って、ひたすら祈りながらご都合主義のハッピーエンドな物語を書いた記憶があるが定かではない。たぶん自分のことだから、終わりまで書けていないはずだ。もともと人に見せるために書かれた小説ではない。


この理香って子はちょっと繊細で不安定なんだけれど、自分をモデルとした教育実習生のなんとか先生に励まされて元気を取り戻す、というような筋書きだったと思う。

執筆の経緯やら、物語の大まかな設定をぼそぼそと話しているうちに萎えてきた。


うーん、小説を見せたのは失敗だった。


海馬くんごめんね、宿題できませんでした——そんなこと、教師としては口が裂けてでもいえなかった。だから恥ずかしいけれど、内容も確かめずに、机の引き出しからひっぱり出して持参したが、やっぱりここは完全に引っ込めよう。保険として書いてきた短い日記の方を見せよう。なんで最初から日記にしなかったんだろう、自分。


もしかして、地味に小説を褒められたかった?

やさしい結ちゃんならほめてくれると思った?

ていうか来るって言ってたけど、海馬くんは来ないの?


そのとき——


超考堂が動き始めた。

画面に文章の続きが表示される。


* * * 

「理香が学校行きたくないなんて言い出したらショックだよ」

ママはテレビを見ながら感想を述べた。そしてお決まりの質問——

「ねぇ、理香はどう思う?」

理香は答えた。

「わたし? あ、ええとね、実はわたしも学校行きたくないんだ。ただこんな家にいるより学校の方がマシだから行ってるんだよ」

* * *


「ちょ、ちょっとタイム!」


美月先生はあわてて超考堂の額にタッチした。文字が止まる。美月先生と結は顔を見合わせる。衝撃が強かったのか、結は半笑いになっていた。


「・・・いきなり乱暴なセリフになりましたね」

「すごいね。あせった・・・」

「これは——どうすればいいんでしょう?」


わたし? あ、ええとね、実はわたしも学校行きたくないんだ。ただこんな家にいるより学校の方がマシだから行ってるんだよ


超考堂が並べた画面の中の文字列を読み返す。


「このままAIに書かせ続けると危ない方向にいっちゃいますよね」

「うん。きっと、そうだよね」

「ちょっと・・・やり直してみましょうか」


結がバックスペースキーで『理香の過激なセリフ』を消そうとするが、カーソルは動くのに文字を消去することはできなかった。消しゴムでボールペンで書いた文字を消そうとしているような、パソコンでは初めての感触。ひどく不気味だ。


「ひぃ、美月先生!」

「後もどりはできないってことか・・・」


教師になる前、美月が小説を本気で書こうと思っていたころ、有名な先輩作家が言っていた。



い ち ど 書 い た 文 は 消 す な



考えて、考えて、考えて、そして記せと。いつでも直せるなんて甘いことを考えるな。新人は思考の限界まで考え抜いて文字を刻んでいけ。一方、こんなアドバイスをする作家もいた。ワープロソフトなんだから、文字や表現なんてあとでいくらでも直せます。だからストーリーに振り落とされないように。とにかく物語の流れについていってください。


美月はどちらの助言も活かせなかった。一文を書いては消して表現を変えてみたりする。小説の執筆中に『物語の流れ』を感じられたことなんて一度もない。

だからダメなんだよな。わたし——


「先生、こわいです」


結が怯えて、美月にしがみつく。


「このまま、変な文章が続いたら・・・先生、このお話の理香って子、小学生ですか? 中学生?」

「設定では中学生だったかな」

「理香ちゃんかわいそう。こんなこと言わされて困ってるよ、きっと」


美月の震える弱いアンテナが何かを受信した。



自分の生徒くらい 自分で守れ ばかものよ

自分のキャラクターくらい 自分で守れ ばかものよ



「うん。じゃあとりあえず、こんな感じで続けてとがめてみようか」


美月先生は手慣れた手つきでキーボードを叩き、AIの文章の続きを執筆した。


* * *

「わたし? あ、ええとね、実はわたしも学校行きたくないんだ。ただこんな家にいるより学校の方がマシだから行ってるんだよ」

もちろん、理香はこんなことを口に出したりはしない。家には基本的に不満はない。パパもママも悪い人ではない。ただ「理香はいい子だね」とずっと思われ続けているのだけが不満だ。普通に学校に行きたくない日もある。というよりたった今、行きたくないよ。でも「行きたくないなぁ」なんて弱音をつぶやいたら、きっと二人は慌てるだろう。だから理香は黙る。そして黙っていると機嫌が悪いと思われて特にパパの機嫌が悪くなるから、過激なセリフは心の奥にしまい、代わりに「うん」とだけ頷く。できるだけさわやかに。朝にぴったりの、ヨーグルトみたいな真っ白なトーンで。

* * *


「うわ! 先生、これ今考えたんですか?!」

「ん? そうだけど」

「すごーい! そっか! こんなことを口に出したりはしないって返せば、超考堂が変な文を出してきても防げますね。うわ、すごい! よくこんなこと思いつきますね」


結は手放しでほめた。美月にとっては『思いつく』というほどのことではなく、ごく自然な・・・なんて言えばいいんだろう、あんずトロワのような高度なダジャレさえ自然と生まれてくる、とてもオートマティックな感覚だ。それにしても——


うわ、すごい! だって。


もしかして国語教師を4年か5年やっていたおかげで、文章を書くスキルがアップしている? 今だって考えたというより、すごく自然にすらすらと文章が指先から生まれ出てきたし、この小説も・・・今の自分ならもしかして最後まで書けちゃったりして?!


そして・・・


もっと褒められたい! 

結ちゃんに褒められるのは嬉しい!

調子にのって美月はさらに文章を連ねようとするが、キーボードをたたいてもそれ以上文字を並べることができなかった。


「ん? これ以上は書けないってことかな。字数オーバー?」

「もしかして超考堂のターンってことですかね?」

「ん? 超考堂とこっちが順番に書くシステムかな? なんだか——」


結と美月は同じことを思った。

まるで将棋を指しているみたい——


そして同じことを感じていた。

文章を考えるのって、ちょっと楽しい——


ジジジジジジジジジ


超考堂が少し長めの読み込み音をたてた後、さっきよりもずっと多い数の文字を並べ返してきた。


* * *

 すべては朝のニュースがいけないんだ。朝はテレビをつけないで欲しい。絵本の世界のように森の緑の葉っぱがかさかさとこすれ合う音で目を覚ましたい。毛布にくるまりながら、今日は何をしようかなって、寝床から飛び出したくなるまで、ゆっくりと迷っていたい。そんなすてきな毎朝を理香は夢想するが、パパは義務のように毎朝六時半にテレビをつけるし、覚えたくもない七時のニュースのオープニング曲も口ずさめるようになってしまった。

* * *


「んん!!」

「——」

「超長いの返してきた!!」

「あぁ——」

「先生、しかも今度のはけっこう・・・すてきじゃないですか?」

「ねぇ、どうなってるんだろう。すごい。意味もつながってる。ちゃんと、えっと、なんて言えばいいんだろう。しっかりと——」


物語の流れについてきている。


「こことかすごくないですか? 絵本の世界のように森の緑の葉っぱがかさかさとこすれ合う音で目を覚ましたいとか、かわいいこと言いだしたんですけど! めっちゃすごい表現力」


すごい、としかいいようがない——


「今のAIってここまで書けるの? 信じられない。すごい」

「超すごいです! わたしより100倍うまいです。どうやってこんな文章を書いているんだろう。すごい。さっきの文ならまだわかるような気がするけど今度のは・・・ちゃんと意味も通ってるし。どんな仕組みなんだろう」


結のその言葉に超考堂は反応した。ディスプレイの両枠の、ほっぺみたいな位置のところがほのかに赤くなった。

美月と結は同時に想う。



か わ い い


ジジジジジジジ・・・・


こ わ い け ど か わ い い !





あんずトロワ(後篇)へつづく

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