Sentimentalisme (後篇)
芥川賞を取って欲しいだなんて。
生徒たちが自分を勝手に買いかぶり、存外に高い評価を与えてくれるのは嬉しい。でも——
「ありがとう。でもね、それはムリかも。わたし小説なんて書いたこと、一度もないし」
これは半分真実、半分嘘だ。
何度も執筆にトライしたことがある。小説を一度も書いたことのない国語の先生なんているのだろうか。そう思えるほど、美月にとって執筆は身近だった。しかし結末まで描き切れず、一巻の書も著わしたことがない。
冒頭からいきなり細部にこだわってしまう。逐一修辞に迷い、リアリティを検証し、一寸思い切ったことを書くと「あなたこんなことを書く資格あるの?」と想像上の未知の読者にやり込められてしまう。書いては悩み、物語自体の勢いを殺してしまう。普段はくだらないダジャレやジョークを量産しているのに、小説になるとなぜか生真面目モード。出てくる登場人物はみなぼんやりとした不安を抱えた自殺志願者のような陰翳を帯び、数ページ経過しても悪い予感しかしない。
なんでわたし、明るい未来が欲しいのに、暗い現実の小説を書いているの?
作者自身が読みたくもない、と思っているのだから、面白いはずがない。だから完成しないし、frustrationだけがたまる。ならば筆など執らねばいいものを、ときどき自分も書く側に回りたいという欲求が生まれるのだから残念なことこの上ない。
「わたしにリクエストしてくれた気持ちは嬉しい。ありがたく受け取っておくね。なんか、自信になったよ」
和装のヴィンセント・芥川・海馬は、美月先生の目を真っ直ぐのぞきこむ。数秒の沈黙。そして少年はきちんと——謝った。
「ごめんなさい。先にはっきり、言うべきでした」
「え?」
何を——
「小説を書くのは美月先生じゃないんです」
「え?」
「先生には、龍之介になって欲しいんです。明日から」
あ し た か ら
り ゅ う の す け ? !
「なにそのダジャレ!」
「え? ダジャレ?」
こんなにもわかりやすいのに、渡辺結はわからない。
ん? これに解説いる?
「明日から龍之介って! 海馬くんさ、その語感、反則レベルだよ」
海馬自身も気づいていなかった。
芥川龍之介、明日から龍之介
「あは! おお、確かに! 言われて初めて気づいた。さすが先生です。やっぱりこの役、美月先生しかできないな」
* * *
結論からいうとヴィンセント・VAN・海馬は、AIに——つまり人工知能に小説を書かせたいのだという。
「先生、昨日、オレに芥川龍之介を読んで来いって宿題出したじゃないですか」
「海馬くんだけに言ったんじゃないけどね」
「青空文庫ってわかります?」
わかります。
インターネット上にあるサイト。著作権の切れた作品を書き起こし、誰でも閲覧できるようにしているサイトだ。
「オレ、青空文庫で読んだんです。芥川が書いた作品をぜんぶ」
「ぜんぶ?!」
現国教師は、驚いたけど驚かない。
そのくらいのことは、軽々やってのける少年だ。
「芥川龍之介ってめっちゃ作品書いていたんですね」
「そうなんだ。読むの大変だった?」
「そこまでではないですけど。合計375作」
さ ん び ゃ く
な な じ ゅ う ご さ く
「めっちゃ面白くて・・・これまでのイメージとは、ぜんぜんとはいわないまでも、けっこう違ったんです。しくった、オレ。もっと早く読めばよかった」
「早い方だと思うよ、高校1年でしょ、海馬くん」
「わたしは『鼻』とか『河童』とか『杜子春』なら読んだことあるよ。小学生のときに」
じつは本が大好きな渡辺結はうれしそうに胸を張る。海馬くん相手だったら自慢が自慢にならないから、気兼ねなく胸を張れる。
「結は、いいものがわかるんだね」
上からのつもりなど微塵もなく、ただフラットに感想を述べているだけなんだろうけど、なんだか偉そうに響くので笑える。
「オレは『河童』、かなり面白いと思ったな」
「で、海馬くん、わたしにどうしろと?」
「あ、そうでした。芥川龍之介って、このままだと新作が出ないじゃないですか。せっかく面白いのに」
「うん、それはそうだよね、死んじゃったもんね」
「死んだくらいで新作出ないのって、不自然じゃないですか?」
し ん だ く ら い で
し ん さ く で な い の っ て
ふ し ぜ ん
「で、オレ、昨日の夜、AIの芥川龍之介を組んだんです。もう、青空文庫の画像データは全部読み込ませたし、だいぶ会話して初期セットアップはすませました。美月先生、あとは龍之介にいろいろと教えてあげてください」
「何を?」
「先生が大事だと思う、いろいろなことを」
「わたしが?」
「学習して育ってくれば、きっと書けると思います。新作が生まれるまで、ぜひ先生に育てて欲しいです」
イメージがさっぱりわかない。
何がなんだか、ぜんぜん、わからない。
わからないけれど・・・わくわくする。
現代に芥川龍之介が生き返る。
わたしがそれを手助けできる。
でも——
「書き方なんて、教えられないよ。わたしには無理。しかも生徒は芥川龍之介でしょう」
海馬くんを教えるのだって、かなりとっても恥ずかしいのに——
海馬は少しだけ黙った。
渡辺結は、黙って思考しているときの海馬くんが好きだ。
きっと頭の中の、記憶の海を泳いでいるんだろう。
結は信じて海馬の言葉を待つ。
いつだって力づよい、ポジティブで、反則レベルなメッセージを待つ。
「芥川によると、松尾芭蕉がこんなことを言ってるらしいです」
書きやうはきやうはいろいろあるべし。唯さわがしからぬ心づかひ有りたし。『猿簔』能筆なり。されども今少しおほいなり。作者の名、大にていやしく見えはべる。
古文を知らない結には宇宙語だったが、国語の水野先生には伝わった。
そっか。
静かに、そこにいるだけでいいんだ。
自分を出さずに、表現と寄り添う。
海馬くんみたいにすぐに、とはいかないけれど——
覚えられないなまくらな頭で、気に入った詩や文章を何度も音読して、作品を心に残していく。そうして作品を心に抱き、その言葉とともに生きる。普通で真面目で、地味なスタンス。
「唯さわがしからぬ心づかいって、オレが大好きな、美月先生のもっとも綺麗な有り様だと思います」
Sentimentalisme
うれしい。
ヴィンセント・VAN・海馬
銀髪の少年は、ちゃんと見ていてくれる。わたしが見えないところも、しっかりと——買いかぶりなんかじゃない。うん。自信を持とう。
「じゃあ、AIに教えるの初だけど、楽しんでやってみる」
美月はつとめてポジティブな言葉を発した。
「やった! じゃあ、お願いします。めっちゃ育てて、芥川賞を受賞させるところまでいってください! 明日この図書室に——」
海馬は立ちがると、あっという間に図書室の扉の所へ移動した。
残された夢のかけら。いろいろなプロジェクトを、広いテーブルに散らかしっぱなしにして。
「コンピュータ、持ってきますんで」
結がふざけて美月先生にプレッシャーをかける。
「先生、明日から龍之介だね。責任重大!」
「そうだ、結って文学レベル高そうだから——」
「?!」
「結には、芭蕉を育ててもらおう。あのヒトも眠らせておくにはもったいない」
銀髪の少年はニッコリ笑うと、真実とも嘘ともつかぬ言葉を残して去っていった。
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