叩き斬るというのは呪うのと似ている
叩き斬るというのは呪うのと似ている。
とFacebookで言うと門弟がコメント。
「うーん、私程度には及ばぬ心情です」と。
心情、ではなく現実的な現象です。
「なるほど。呪いってシステムなのでしょうか?」
そう。呪いっていうのは心理操作です。
解説します。
叩き斬る場合、よっぽど運が重ならないと叩き斬った側の武器が破損するか、当たった時の反動が自分に返ってきます。そういう理屈です。
一方で「押し斬る」「引き斬る」というのは行為の前に接触がありますので、よっぽどの下手くそじゃない限り、武器の破損はありませんし反動もありません。
メッセンジャーや電子メールなども、気をつけないと呪い堕ちするので攻防用器の扱いと同じく何処かで接触しないといけません。
調理をする人は心当たりがあるかも知れませんね。特に肉厚の野菜や肉などは叩き斬れませんから。
「反動で自分の身体が壊れるのは避けたいですね」
と、別の武道家からのコメント。たしかに。例えば攻防用器が壊れない様にクッションでカバーした場合は、衝撃そのものが自分の体幹に突き刺さってムチウチになります(笑
以前その方が仰っていた「接触時に突起させる」というのも押し斬るの類似だと思います。単に攻防用器のイメージが槍であるか刀であるかの違いですね。
「人体を岩の塊にして」
これはつまり接触面を増やす目的があると思います。
出刃庖丁も本当に叩き斬るわけじゃなくて、狙った箇所に当てがってから叩くわけですから厳密にいうと押し斬っているのに近いかなと思います。
刃の構造上は引いたときと同じ方向に斬れていくので、押しているのに引いて切っている様な感じになるのかも知れないですね。
そもそも叩くという行為は、精神が己で支配出来ていないため行ってしまう行動なのです。
精神修養を正しく行えば、物事をどう取り扱えば良いかなど誰にも訊かずともわかる事です。然し乍ら常に慎重である事など到底出来ない。そこで数多のコツを保持する職業が存在するわけです。
この「叩く」という行動は様々なシチュエーションに当てはめる事ができると思います。太鼓は叩く時と打つ時と二種類ありますよね。
手は叩く一択でしょうか....でも手拍子を打つ、とは言いますよね。
よく考えてみたら「手拍子を打つ」場合は意図的に自制して一定のリズムを打ち出すのでやっぱり「打つ」なんでしょうね。
一方で「手を叩く」というのは自由意志に任せるのでそこは割と感情的な場面ですのでやっぱり「叩く」であって居るみたいですね。
太鼓などは割とshamanismが関係して居るので、トラディショナルなグルーヴを生み出すためにも譜面で合わせるのではなく調子を取る事を意識します。そう考えると全体を整える時に”打ち”、グルーヴを生み出す時に”叩く”のかも知れません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます