第64話 漁師、山へ送り出す

 よく『親になったら自分の親のことを思い出せ』と見本にするみたいなことを聞きますが、それは恐らく夫婦でも同じなのだと思います。女性の初恋は父親だとも言うらしいですし、当人が築く夫婦関係も子供の頃見ていた自分の夫婦を参考にしているらしいんですけれど。

 夫婦の仲直りなんてどうしていたのかなー……と思っても、僕の父と母は全く参考にならないものでした。というのも僕はお父様とお母様が仲違いしたところを見たことがないんですよね。お母様が外交仕事が多くそもそも一緒にいる機会が少なかったこともありますが、しかし国王と(第六と言っても)王妃ということで、お互いに色々と理解があるようでした。つまるところ円満だったわけです。

 対して僕らはそもそも異種族。ありとあらゆる条件が違うので、見て学ぶだけでなく色んな夫婦から意見を聞きながらハアトと僕なりの関係を築いていくしかない――と思う次第だったのですが。

 牧師さんと話した翌朝。昨日と同じく寝起きと共に人の気配を感じた僕が体を起こしてみれば。


「よォ、坊主」

「……ご無沙汰してます」


 葡萄酒をあおっているカルロスさんの姿がありました。相変わらず上裸に小麦色の筋肉が眩しい。しかし「ご無沙汰してます」とは言いましたが実際にお会いするのは久々……でもないことを思い出しました。えぇ、今思い出しました。たった今。

 最後に会ったのは牧師さんと同じ、夫三人会でした。日数的には全然久々でもなく多分三日ぶりとかなんですけれど、それにしてもその後色々と大変だったので体感として本当に久々な気がします。

 そしてその後のことはきっとカルロスさんもご存じなんでしょう。


「……悪かったなァ、余計なことしちまってよ」

「森で寝てたところを助けて貰ったので貸し借りはなしです」

「オイオイ、その調子だと元気そうじゃァねェか」


 反省の色なのかなんなのか、少し湿っぽかったカルロスさんでしたが、僕が軽口で返すといつもの調子に戻ってくれました。特徴的な漁師訛りが耳に懐かしくすら思えます。


「相変わらず減らず口の多い坊主だぜ」

「でもそこが気に入ってるんですよね?」

「……おめェ前からそんなに可愛くねェやつだったか?」

「まさか。今も昔も可愛いでしょうよ」

「そういうことだっての」


 最近はずっと気を張る会話だったり腹を割るどころか臓物まき散らすような会話ばかりだったりしたので、こういう他愛もない掛け合いが我ながら癒しになります。……可愛げがなくなったに関しては判断が難しいところですが。


「まぁ、カルロスさんに無駄に緊張しなくなったということで」

「がっはっは、そういうことにしておいてやらァ」


 適当な理由で納得頂けました。相変わらず懐の深い方です。海の男って感じがします。適当言いましたけれど。

 とにかく起床したので僕は一旦カルロスさんに断って日課の排泄を済ませると、ちょうど話題にも上がったので先日のことを聞くことにしました。日はまだ高いので、多少の雑談は赦されると思います。


「山で力尽きた僕を助けてくれたの、カルロスさんなんですよね」

「ん? あァ。ぶっ倒れてた坊主をな」


 それは一昨日の晩のこと。

 ハアトの「きらいなの?」に首を横に触れなかった僕は彼女に地上まで吹き飛ばされて、満身創痍だったこともありそのまま意識を失いました。そして起きたら家のベッドで寝ていたのですが……牧師さんやジョーくんによるとカルロスさんが見つけてくれたとのことでした。


「ひでェ怪我だったぜ。獣のエサになってねェのが不思議なくらいだ」

「そんなに……いや、そんなにか」


 まさか、と思って絶句仕掛けたのですがベッドに腰を下ろした自分の体を見るとまだ巻かれた包帯だらけだったので妙な納得の仕方をしてしまいます。ドラゴンに魔法やら尻尾やらでぶっ殺されかけたことを考えると全身バキバキで済んでいる方が不思議なんですしね、一般常識で言えば。


「まァ、オレも野暮なことは聞かねェけどよォ」


 恐らくまたツケているのでしょう、葡萄酒をもう何杯目か分からないほど煽りながら、あくまでサバサバとした感じにこちらを眺めてきます。


「……夫婦喧嘩か」

「まぁそんなとこです」

「あの嬢ちゃん見かけによらず壮絶なんだな……」


 僕としても苦笑いを返すほかありません。全身バキバキになって帰ってくる夫婦喧嘩なんてびっくりすると思います。


「ほら、僕ら雄叫び上げるような夫婦ですから」

「若いと元気だなァオイ」


 そして適当に躱します。まさか「いやぁ実はあの子ドラゴンなんですよねハハハ」とは言えません。それが言えないからこんなことになってんですよ。

 話しながら体を軽く動かしてみれば、取り敢えず日常生活に支障はなさそうな感じがします。全ての行動に鈍痛が伴いますが……うん、取り敢えず牧師さんの言葉を得た僕は今すぐにでもハアトの下へ向かいたい気分でした。


「という訳で」

「まァ待てよ坊主」

「いっっっっ……!」

「おォ、すまん」


 僕はこの辺で、と去ろうとすると肩をバシッと叩かれてしまいました。ただでさえバキバキなのに漁師の力加減を知らないコミュニケーションで危うくトドメになるところでした。

 しかし待てと声をかけたカルロスさんは肩を抑えて僕に語り掛けました。


「……詳しく踏み入るつもりはねェけどよ、坊主」


 部屋を出ようとした僕をすれ違い様に止めたので僕からはカルロスさんの顔は見えませんでしたが、それでもさっきまでの軽口を叩こうとしている訳ではないことは伝わりました。


「おめェは男だよな」

「……はい」

「この家の家主だ。ハアトって嬢ちゃんの旦那だ。ベルって嬢ちゃんにとっては主人だ。……そうだな?」

「はい」


 そこまで威圧的に聞くと、カルロスさんはそのままの低く強い声色のまま、僕の肩に置いた手に力を込めました。


「――じゃあ、おめェが傷を負え。おめェが一番苦労しろ。一番辛いところはおめェがやるんだ。……一家の長ってのはそういうことだぞ坊主」


 ジョーくんには人付き合いを支えてもらって、牧師さんには夫婦の付き合いのなんたるかをその経験から教えてもらったのですけれど。

 カルロスさんのこの言葉はジョーくんにも牧師さんにも言えない、妻も子もあるからこその、家族を支える大黒柱だからこそ言える説得力を帯びているように感じました。

 そしてそれは、今の僕にはあまりにも痛烈な批判でした。ハアトには人間のために我慢を強いるような方法を提案して、そしてベルには今も後回しにするという我慢を強いていました。確かに体の傷は僕が一番多いかもしれませんけれど、でもそうじゃないんだって。


「……はい」

「ならヨシだァ!」


 僕がその言葉を改めて胸に刻みながら深く頷けば、カルロスさんはいつもの調子に戻って背中を叩いて送り出してくれました。相変わらずめちゃくちゃ痛いんですけれど、なんだか何かを保証されたような気がして悪い気はしません。


「家のことァこっちで片付けておいてやる。その代わりいつか漁を教えてやるからなァ」

「それは勘弁してください……海は天敵なんです」


 漁を体験してみたい気持ちはやまやまなんですが、しかし命を無駄にしかねないので遠慮させて頂きます。今流行りの言い方をするなら『ルアンは水に嫌われている』ってところです。ナイフを持って走り出したい気分です。いや、何の話だよって感じですけれども。


「じゃあ仕方ねェから貸しだ。……行ってこい、坊主」

「いってきます。ありがとうございます」


 僕は僕の家で頼りがい満点に飲んだくれる漁師に留守を任せて、ハアトに会いに行きました。

 前回登った時も肩で息はするわ若干道に迷うわカッコ悪さ満開だったのですけれど、今回はそれに輪をかけてカッコ悪かったことでしょう。歩き出してみて気付いたことは体の回復能力ってそんなに高くないことと、壁や地面に執拗に打ちつけられた右足くんはしばらく使い物にならなさそうだなということでした。まぁお陰様で帰り道には迷わないように線が引けそうだったんですけれど。ただそれを残しておくと一般の方(ここでは何も知らない村人を指す)にドラゴンの巣への案内をしてしまうことになるので頑張って右足くんには動いてもらいました。


「うぅん! あっ……! ひぎぃ……っ!」


 お陰様で道中呻き声のような喘ぎ声のようなものを森に響かせることになったんですが。満身創痍で妻と姉と絶賛喧嘩中の弱男の「ひぎぃ」に需要があったとは思えないので森の鳥さんたちには大変悪いことをしたなという気持ちです。閑話休題。

 前回は苦労しつつも一息で登れたのですが、今回は怪我もあって休み休み登ることになりました。情けなさの累乗です。情けない! ってな感じです。


「はぁ……ふぅ。……ハアトに会ったらまずは謝る。よし」


 道すがら牧師さんやカルロスさんに言われたこと、自分で言わなきゃと思ったことを確認しながらようやく登りきり、例の岩壁の前に辿り着きました。


「ここまで、ほんと、急なの、勘弁してくれ……」


 いつかハアトかベルと協力して村人にはバレない感じに交通の便をよくしないとやってられないな……とか考えながら呼吸を整えまして、万全を期して彼女に呼びかけます。


「ハアトぉーっ!」


 岩壁から僕の声が跳ね返ってきます。

 …………。

 しばらく待てども反応はありません。もしかしたら以前のように時間差かとも思いましたが、そうじゃない可能性も十分にありました。


「…………」


 今回、僕は彼女に追い出されて来ています。ハアトからすればどの面下げて返ってきたんだって感じなのかもしれません。そう言うとさながらフラれた元カレのような気分です。今更復縁の話? なんて地下では呆れられているのかもしれません。呼びかけに応える気も起きずに。


「……だとしても」


 だとしても、僕はハアトと話す必要がありました。何度も言うように、僕と彼女が全ての始まりになっている今。ここで僕が踏ん張らないといけないわけです。牧師さんとジョーくんとカルロスさんの言葉を背中に感じながら、僕は改めて呼び掛けます。


「ハアト、僕だ! もう一回、ちゃんと仲直りしに来た!」


 そして何より――自分が掲げた『三人で仲良く暮らす』の目標を胸に。

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