第62話 牧師、少年に説く

 思えばこうして、大人の男性と一対一で相談に乗ってもらうのはなかなか経験したことがありませんでした。

 もちろん僕の周りには女性よりむしろ男性の方が多かったので、大人の男性については事欠きませんでした。国王であった父然り、髭の豊かな大臣たち然り、傷の豊かな騎士団長然り。まぁ僕自身が法的には立派な大人なので、五人の兄さんたちも大人ということになりますし、近衛兵も僕より年上の方が多かったことを考えれば、僕の周りにいた男性はほとんどが僕より年上だったので本当に人材豊かだったということになります。

 ただ彼らに相談なんてことをした覚えはほとんどありませんでした。大抵は城の中では忙しくしていますし、仮にも僕は王子だったのでそんな長時間面と向かって話すことも話題もなかったんでしょう。近衛兵は砕けた感じで話してくれましたが、あれを相談というのはお門違いな気がします。……そう考えると、お父様と一兄さんくらいなのかもしれません。


 僕がそんなことを漏らせば、温かい葡萄酒を飲みながら牧師さんは笑ってくれるのでした。


「おやおや、王子様にもそんな苦労があったとは。楽なだけの身分ではないのですね」

「そういうことですね……多分、皆さんとは苦労の方向性が違うだけで」


 僕も倣うようにして口をつければ、常温の爽やかさとはまた違う、お酒らしいぽかぽかとした酒気とじんわりとした甘さが体を癒してくれるようでした。おいしい。


「心配せずとも、私は聞きなれていますよ。懺悔も、相談も、愚痴も。えぇ」

「さすが牧師さん。色んな方が頼るんですね」

「最近はですね……」

「あっ、カルロスさん以外で」

「……」

「えぇ……」


 黙ってしまった牧師さんを見て僕としては困惑するほかありません。そう言えば以前カルロスさんが懺悔に来ると聞いたので先んじてみたのですが……まさか。


「冗談ですよ。カルロス以外も来ます」

「びっくりしましたよ……」


 あやうく「この人は本当は信用ならねぇんじゃないか」とか思ってしまうところでした。決して悪い人ではないんですが、この人は僕をからかって楽しんでいる節があります。


「……ベルさんの相談も受けましたよ」

「……っ!」


 穏やかにそう告げた牧師さんの言葉に今度は僕が黙り込んでしまいます。いや、何も不思議なことではありません。牧師さん曰く、ベルは今教会で預かって貰っているらしいですし。……ただ、僕としてはベルが他の人に相談をしたこと、それも家庭内のことを他言したのが少し意外でした。


「いや、相談と言うか……少し話を聞いただけなんですけどね」


 僕の驚きを少し緩和するような発言が牧師さんから零れたので顔を上げれば、そこには苦笑いの表情がありました。


「さすがと言うか、何と言いますか……ほとんど話そうとしませんね、彼女は。獣人とか関係なしに……強い女性です」


 聞けば、どうやら聞いたと言っても教会の屋根を貸すに当たって簡単な経緯を話しただけとのことでした。……それを聞いて、不思議と安心する僕です。


「……ありがとうございます」


 ベルが褒められたのがどこか誇らしくて頭を下げれば、牧師さんは楽しそうに笑います。


「ベルさんと同じことをしてますね」

「同じこと?」

「えぇ」


 すっかりもう日は落ちて、月明かりが青白く照らし出す外を眺めながら牧師さんは教えてくれました。


「簡単な経緯を聞いた時、私が『でもルアンさんは賢明な人ですから』と言うと彼女も頭を下げてお礼を言ってくれました」


 なるほど、そういうことかと少し気恥ずかしくなります。まぁ僕が褒められると大概彼女は無駄な皮肉を言うので、そういう意味もあって。

 ただ牧師さんの話を聞けば聞くほど、早くベルを迎えに行かなければという思いが強くなるのでした。牧師さんの言葉からはもちろん健在な彼女ばかり窺えるのですが、しかしベルだって平時じゃない以上、何かしらは抱えているはずで、僕は昨日以来その話を聞けていません。…………あと単純に、僕が少し味気がないというのもないこともないんですが絶対に言いません。


「……ですが、まぁ」


 僕がベルに対して思いを馳せていると牧師さんは仕切り直すように一息ついて、尋ねてきました。


「今回の相談は、ベルさんのことではないんですよね」

「はい。……ベルよりも先に、その……整理しなきゃいけなくて」

「ハアトさんのこと、ですか」


 そう言えば牧師さんはハアトが初めて出会った村人の一人(もう一人はジョーくん)なので、ここでも説明の手間が省けます。


「察しが良くて本当に助かります」

「私、とても頼りがいがあると思えませんか?」

「……それを言わなければ、って言われません?」

「よく言われますね、不思議です」


 まぁ頼りがいがあるのは事実なんですけれど。結婚式のくだりの時にも話を中心に進めてくれましたし、現にベルも僕も面倒を見られていますし。今だって恐らく話しやすくしてくれたんでしょうしね。言いたくないですけれど。

 そして話しやすくなったのも事実ですので、僕は葡萄酒をあおって覚悟を決めると、できるだけ情けなくならないように口を開きます。


「……青臭い悩みなんですけれど、大丈夫でしょうか」


 ……うん、我ながら既に情けない出だし。

 ここ数日カッコ悪いし情けないので自分としてはもう開き直ります。対する牧師さんはもう笑うようなことはせず、代わりに新しい葡萄酒を持ってきてくれました。


「青臭い悩み、大いに結構じゃないですか。若さの特権です。誰しも通った道、通る道。ルアンさんのペースで構いませんから、お聞かせください」


 なんというか、大人らしさを見せてもらっている気がします。……いつもなら皮肉の一つでも返すのですけれど、ここは胸を貸してもらうつもりで恥を忍んで相談することにしました。


「ハアトのことを、僕は本当に妻として大切に出来てるのかなって」


 きっとベルはここまで話してないんだろうな、と思いつつも僕は話せる経緯をかいつまんで話しました。もちろん歪な点はありましたが、牧師さんは聞き流してくれました。

 そして悩みの本筋を語りました。

 ベルのことは大切だと断言できるのに、ハアトはまだそれが出来なかったこと。ハアトへの感情が揺らいでしまったこと。そしてそのせいで、ハアトの信用を失ってしまったこと。


「――……だから、僕がこの悩みを解決できないことにはもう前に進めなくて。それで、その……牧師さんに助けを」

「……なるほど。話してくれてありがとうございます」


 牧師さんは軽く僕に礼をすると、まずは一言。


「ルアンさんって意外とウブなんですね」


 果たして何を言われるのか。叱咤か、或いは呆れたとか……と半ば戦々恐々としていた僕は予想外の可愛らしい響きの所感に驚いて素っ頓狂な声が出ます。


「えっ……ウブ?」

「えぇ」


 楽しそうに微笑みながら肯定する牧師さん。いや確かに僕は童貞ですし、女遊びも城ではさせてもらえないクチで、らしいことと言えば近衛兵と猥談に花を咲かせるくらいでしたが……まさかそんな反応をされるとは思っておらず、唖然とする僕に牧師さんは普段話のような口調で説いてくれます。


「いや、同時にルアンさんのことを真面目だなと思いました」

「真面目……ですか? 今の話から?」


 また意外な見識です。僕としては夫として相当のクズエピソードだと思って語ったのですが真面目だと言われてもう訳が分かりません。結婚生活訳分かんな過ぎる。お父様が日頃どうしてるか死ぬ前に聞けば良かったです。


「えぇ、真面目です。言葉の上でさえ誤魔化せなかったのはルアンさんがハアトさんに誠実だからでしょうし、そもそもその悩みだってベルさんと同じようにハアトさんのことを大事に思っているから生まれるものです」

「そう……なんですかね」

「そうですよ」


 当の本人であるルアンさんには解決するまで実感はないとは思いますけれど、とは牧師さんのフォロー。いや全くでした。そんな、僕としてはめちゃくちゃ深刻で、(もちろん牧師さんには話していませんが)間接的には生死にも関わってくる問題なのに、そんな、そんなあっさり受け止められてしまうと、なんというか。僕の方が反応に困っています。

 その戸惑いは恐らく表情に出ていたのでしょう、牧師さんは僕に葡萄酒を飲むよう勧めてくれます。


「ルアンさんはその真面目さから、難しく考え過ぎているんですよ」

「難しく?」

「えぇ。捉え方の問題です」


 問題自体はもっともなものですから、解決するには考え方の問題ですよ――そう言いながら、牧師さんは丁寧にひも解いてくれました。


「そちらにも色々事情があるので、答えたくなければ遠慮して構わないのですが」

「……気を遣わせてしまってすみません」

「いえいえ、それが仕事です」


 牧師の仕事の範囲そこまで広いんでしょうか。


「ルアンさんとハアトさん、出会ってからは日が浅いですよね?」

「まぁ、そうなりますね」

「あっはっは。そりゃあそうですよね。ルアンさんがイルエルに来てから自体、まだそんなに経っているわけではないですし」


 あの嵐に遭った日から、どれくらい経っているんでしょうか。ちゃんと数えたことも、そんな機会もないので分かりませんけれど……でもまぁ、長いかと言われればまだ短い方ではあると思います。お仕事とかであればまだ新人を名乗っても許されるレベルの月日です。いや何の話だよって感じですが。

 それを確認すると、牧師さんは人差し指をぴんと立てました。


「いいですか、ルアンさん。まだ出会って短いなら、それは当然のことなんですよ」


 それは相談した僕からしてみれば予想外の、悩みの肯定でした。一瞬唖然とした後、しかしいやいやと思い直して僕は反論の声を上げます。


「いや、ですが僕らはもう夫婦で……!」

「夫婦でも最初は赤の他人です。違いますか?」

「……いや、違いませんけれど……」


 牧師さんの言葉は字面的にはもっともな感じがしましたが、それでも何だか不服と言うか納得できず、否定されても誤魔化されたような印象を覚えました。それを緩和するように、牧師さんは続けます。


「友情であれ、恋愛であれ、対人関係ではなく物への愛着であれ……それらを主に培ってくれるのは『時間』です。好き、という気持ちは基本的に時間の累積です」


 『一目惚れ』なんて例外もありますけれどね、とお道化つつも牧師さんは僕に正面から向き合って、しかしフランクに聞けるような優しい語り口を保ってくれます。


「であれば、出会って間もないハアトさんへの気持ちが……」


 牧師さんはそこで少し迷って、僕に一言、「失礼な言い回しになります、すみません」と謝りました。僕が構わないと頷くと、申し訳なさそうにしながらも続けてくれます。


「気持ちが、いわゆる『浅く』ても仕方のないことじゃないですか? ましてやそれをお城の頃からの付き合いであるベルさんと比べてしまっては、雑な言い方になりますが勝負になるはずがありません」

「そ、それは……」


 確かに、牧師さんの言葉には一理あるように思われました。確かに付き合った時間が長くて、思い出も色々あるからベルに対しては自信をもって僕は大事だと言えるのかもしれません。でも、それとハアトの問題とは違うような気がしていました。


「でも、僕とハアトは夫婦で……!」

「夫婦だからと言って例外にはなりませんよ」


 牧師さんは焦る僕を少し叱りつけるようにして諭してくれました。


「むしろその辺に関しては、ルアンさんの方が詳しいと思いますよ」

「僕の方が?」

「えぇ。王族や貴族の結婚って、あまり知らない仲でも行われると聞いています」

「それは……まぁ、確かに」


 事実、僕の母である第六王妃もその例だったと聞いています。ロイアウムとは違う、人族と獣人族がより密接な関係を持つ遠国の姫だった母が、ロイアウムとの同盟のために嫁いだらいいです。……一説には『女好きなロイアウム国王が旅先で一目惚れして呼び寄せた』とも言われているので定かじゃあないんですけれど。もちろん、その他にも牧師さんの言われるような例はいくつも知っています。


「それと同じです。夫婦だからと言って、最初から好きあっているとは限らないものですから」

「……牧師さんとマリアさんは?」

「私たちですか?」


 なんとなく牧師さんの言っていることが飲めてきたような気がして、ついでに尋ねてみると牧師さんは顔をだらしなく溶けさせます。


「私とマリアは大恋愛の末の結婚です」

「……ものの見事に参考になりませんね」

「申し訳ない」


 いや、これに関しては尋ねた僕が悪いといいますか何と言うか。

 ただ、牧師さんの言うことはなんとなく分かりましたし、まだ少しだけもやっとはしていますが飲み込めたような気がしました。つまり僕がハアトにまだベルほどの大切さを感じられないのは当たり前のことで、悩むほどのことでもないのだと。夫婦だとしても、それは関係ないんだと。

 でも、僕の脳裏にはハアトの言葉がよぎります。


「もしかして……ルアンさま、ハアトのこときらいなの……?」


 あぁ、やっぱりダメなんです。牧師さんのその理論では遅すぎる、そう痛感します。僕は、僕は一刻も早く彼女のあの表情に対して首を横に振らないといけない。振れるようにならないといけないんです。

 その思いを。丁寧な形に押し込みながら、僕は助けを求めるように顔を上げて、牧師さんを半ば睨みながら尋ねました。


「じゃあ僕は……僕は、どうしたらいいんですか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る