第57話 元・王子、カッコ悪い

 山肌を一人で駆けていると、情けなさを感じます。

 藪を越えるのも遅くて、流れる景色の木も変わらず、たまに木の根に躓いて転びそうになりながらも、山の上を目指します。ベルのように鼻が効くわけでも、ハアトほどあの巣に慣れている訳でもないのでただただ記憶を頼りに歩を進めます。


「カッコつけて出てきたってのにね」


 へへ、と思わず皮肉も漏れてしまいます。これで今自分がどこにいるかも分からなくなって帰れなくすらなったらそれはそれで傑作じゃないでしょうか。いや、そう複雑な地形ではないので下りれば海には着く……はずなんですけどダメでした。僕海ダメなんでした。あっはっは。


「戻る訳にはいかないけど」


 またこれも情けなさなんですが、家のことは気のいいジョーくんに任せて飛び出してきたのが今の僕です。あの惨状、僕でさえ片付けるのも億劫になるのに、ましてや完全に部外者のジョーくんです。僕の様子見に来てくれただけでも嬉しいのに。これでは貸しが積み重なり過ぎて返せる気がしません。返せない僕が今出来ることは、その親切に報いてちゃんと話をつけることでした。

 いつもより長めに彷徨った先で、急に視界が開けて目の前に岩壁が立ちはだかります。入口は閉じていて中には入れず、パッと見では周りの岩壁と全く変わらないように見えます。


「…………」


 ……本当にここなんですかね?

 僕が今それっぽく睨んでいる岩肌、実はただの岩肌で本当の巣の入り口はもっと右の方……とかだったりしないでしょうか。そうするとこう、これから起こることが全て滑稽になるというか。いずれにせよ少し間抜けた不安が僕を小突きます。

 ですがそれも僕らしいというか、今更一つ情けなさが増えたところで同じです。カッコつかないくらいがルアン・シクサ・ナシオンって感じじゃないですか。……いや、ルアン・シクサ・ナシオン本人としてはカッコ良い僕もお見せしていきたいんですがまぁ、それはそれ。

 ベルとハアトを待たせている以上、もう僕はカッコよくないので。


「…………っ!」


 ゆっくりと息を吸いながらハアトのことを考えます。

 僕と一緒に暮らしたいと言ってくれるハアト。いや、もちろん僕も盲目ではありませんから彼女の好意が正しく好意ではなく興味、そしてその興味は僕への興味ではなく人間全体への興味であることは重々承知です。現にそれで悩んでいるわけですし。これから僕と彼女の関係性がどうなるかはわかりません。

 でもまだ僕と彼女は夫婦です。

 だったら、話し合いの余地はあるはずなんです。

 僕はそれに賭けて、ここに立っています。


「ハアトーーーーっ!」


 意を決した僕は岩壁に向かってそう叫びました。

 入口こそ開いていませんが、しかし彼女であれば地上で自分の名を呼ばれれば反応すると信じてです。魔法の入口は僕らにはどうしようもないですし、仮にもドラゴン、耳が悪い……なんてことはないはずです。


「…………」


 ……。

 …………。

 ないはずですよね?


「えっと、あの……ハアトー……?」


 物言わぬ岩壁は本当に物を言ってくれませんでした。端的に申し上げると無反応です。今の僕の状況を第三者的な目線で見ると「岩壁に向かって嫁の名前を全力で叫んだ人」になります。いやいや待ってくれよ。そういう芸風の道化師はいると聞きますが生憎僕はそれを模倣したわけじゃありません。観客すらいない場所でやったらただの様子のおかしい愛妻家です。

 しかしこれには参りました。僕の予定としては彼女の名前を呼んだ瞬間に岩壁爆散! 舞い散る砂塵! そして現れる黒い巨躯! 待ち構えていたかのような赤い瞳を讃えた黒いドラゴン登場!


「汝か。ルアン・シクサ・ナシオン」


と低音利かせてドラゴンっぽさを全開にしたハアトに対して


「答えを伝えに来たぞ、ドラゴン」


と大見得を切ってBパートに続くジングルが差し込まれる――みたいな予定だったのですが全て台無しになってしまいました。いや、改めて思い返してみると色々無理があった気がしますけれども。僕とハアトのキャラ付けとか特に。

 しかしそうならずとも反応がないというのは困りものです。僕に最後の傷をつけたのがハアトであり、彼女の問いかけが僕を縛っている以上彼女と話をしないことには現状はどうにもならないんですが。まさか出掛けているんでしょうか? えぇ……この状況で? いや、ハアトならどんな状況でも「おなかへったからごはんいく!」と飛び出す気はしますけれども。でも今はそれじゃあ困る。本当に困る。


 不安になって岩壁に近付いてノックを試みてみます。いや、叫んで聞こえないのにノックで聞こえるものかと疑念に思わないこともありません。しかし事実僕が城に居た頃は呼ばれても気付かなかったのにノックは不思議と気付くみたいな経験をしていますのでそれに一縷の望みを賭けてノックをしようとした瞬間に目の前が爆散しました。


「ぅうわぁぁぁっ!?」


 もう一度丁寧に。

 ノックをしようとした瞬間。

 目の前の岩壁がまるで魔法を使ったかのように爆散しました。

 派手に吹き飛ぶ僕の体は後方の木の幹に思いっきり激突。今度は背中から首にかけてを強かに打ちつけ、一瞬視界に星が飛んだのですが、聞こえてきた声が僕を現実に引き留めてくれました。


「あっ、ルアンさま」


 声と共に巻き起こった砂塵が晴れ、巨躯が露わになります。

 赤い瞳は僕の醜態を映し、黒い鱗は闇から生まれたような印象さえ与える漆黒のドラゴン。そう、ハアトでした。

 登場シーン、台詞を除けば僕が思い描いたままでほとんど完璧じゃないですか。唯一タイミングが最悪だったってだけで。


「『あっ』じゃなくてさ……あー……首が死ぬほど痛い」


 今まで見ていたので魔法が予備動作も予兆も必要としない超奇跡だというのは存じていましたが、しかしあまりにもノータイムだと僕ら側からは気を付けようがないのでそちら側が気を付けて頂きたいのですがきっと彼女には通じないでしょう。


「ルアンさまだいじょうぶ?」

「ハアトで例えると尻尾が切れたくらい大丈夫」

「ぶいはかいされたの?」

「あながち間違ってないかも」


 僕の場合ここが部位破壊されるとほぼ致命傷なので笑いごとじゃないんですけれどね。生憎ドラゴンではなく人間なので。


「じゃあだいじょうぶじゃないかんじ?」

「よくわかってるじゃないですか」

「くさ」

「草とか言わないで」


 笑うにしてももっとこう、ちゃんと笑ってほしいところがあります。雑に笑われると尊厳もクソもないっていうか。いや、首打って起き上がれず彼女を見上げているので元々尊厳もクソもないのですけれど。

 そんな僕を見下ろしつつ、ハアトは雑に笑います。


「ルアンさま、かっこわるーい」


 ……いやまぁ、うん。

 いつもだったら『誰がそうしたんだ』『誰のせいだ』みたいなことを返していたかもしれませんが、今の僕にはその言葉が何故か重く、そして受け止めなければいけない言葉に感じられて。


「……そうだね。僕すっごくカッコ悪い」


 半ば開き直るような、自嘲するような気分でそう頷くことにしました。本当はこう、もっと理想の形が一応あったりなかったりするんですが、しかしもう情けなくてカッコ悪い僕ですから素直になった方がいいのかもしれません。

 首の痛みに顔を歪めながら、僕はそのまま要件を伝えることにしました。


「ハアトさ、僕に『どうしたいのか』って聞いたでしょ」

「うん」


 彼女からすれば突然の話題切り替えなんですけれど、まるでハアトはその話は当然されるものと言わんばかりに小さく頷きました。妙なところで聡くてドラゴンらしさというか、僕よりずっと上の存在なのかもと改めて感じる僕に彼女はひどく平坦に続けました。


「ルアンさまにはなんにもなくて、だからいまのルアンさまなにもおもしろくない」

「あははは……そうだね。そうだった」


 まさに草、と笑いたいところです。ですがそれは今の僕には事実以外の何者でもないので、もう伝えます。

 ベルは僕とイルエルを出たい。

 ハアトは僕と二人で暮らしたい。

 僕は。


「ハアト。僕は……二人に仲直りしてほしい。また三人で仲良く暮らしたい」


 自分の本心を、嘘偽りも打算もカッコ良さもない、ただの願望を伝えました。

 ハアトは僕のそれを聞いて、一瞬目を見開いたらそのまま目を細めました。視線はまっすぐ僕の顔を見つめています。いつもより鼻息も静かになって、尻尾は……洞窟の暗闇の中で見えませんけれども。

 刹那の沈黙だったのかもしれませんけど、でも僕には長く感じられて、冷や汗が背中を伝いつつ「どうかな……?」なんて情けなく仰ごうかと思った直前で、ハアトは吐き捨てるように呟きました。


「えぇー………………」


 何と形容すればいいのか迷う声色の、ため息のような何か。

 落胆とも、失望とも、驚愕とも、呆然とも、困惑ともとれるような不思議な間がありました。いずれにせよ彼女の予想外を突いたことはわかるのですけれど。


「だ、だめ……かな?」


 あまりにも意図を測りかねて情けなく聞いてしまいました。本当にカッコ悪いな今日の僕は。でも僕は宣言をしに来たわけではなく対話をしに来たのでその真意は知りたいです。つうかこれが起点に話し合いするわけですし。

 首が痛いので本当は見上げたくないのですが、それを押し殺して(ちょっと呻いたので殺せてはないです。生殺し)尋ねると、ハアトは露骨に困りながら返答してくれます。


「それなんのかいけつにもなってないじゃん」

「うっ」


 言われてしまいました。

 いや、僕だって気付いていなかったわけではないんです。ジョーくんに見得切ってその勢いのまま飛び出した瞬間は気付いてませんでしたけど。よく考えたらこれ具体性は皆無だし、どうしたらいいのかもわからないし、二人が決別するに至った問題の解決には何もなってないし。

 気付いてましたとも、穴だらけだって。


「うん。そうなんだけど。そうなんだけどさ、でもさ……」


 いてて、と首を右手で抑えながら僕は情けなく笑いました。


「これが僕のやりたいことなんだよ」


 どうするかじゃなくて、どうしたいか。

 ジョーくんが諭してくれたのが心強く思います。


「だって君は僕に『どうしたいか』を聞いたんだよ」


『ルアンさまはどうしたいの?』

 ハアト自身が僕にこう聞いたんです。義務でも予定でも選択でもなくて、僕に彼女は意志を聞いたんです。

 ハアトはこうしたい。

 ベルはあぁしたい。

 じゃあ、ルアンさまはどうしたいの?

 そう聞かれたから僕はどうしたいかを答えたんです。多分これ質問者がベルだとしても、僕の答えに同じ反応をしたでしょう。だとしても、僕はこれを間違いだとは思いません。

 流されがちな僕がそう断言したいくらいには、これが僕の意志です。

 その旨を僕の視線から、或いは情けない笑顔から感じてくれたのでしょうか、ハアトは呆れたように天を仰ぐと一歩だけ僕の方に歩み出しました。


「ルアンさまはそれ、できるとおもう?」

「で、出来る……と、思いたい」


 断言できない辺りまだまだです。だってドラゴンに正面から問いかけられんのってめちゃくちゃ怖いんだぜ。無茶言うなって感じです。嫁なんですけど。

 しかしそんな僕にも容赦なくハアトは続けます。


「ハアトはベルきらいだよ。ベルはハアトきらい。それなのに、できる? なかなおりできる? なかよくなれる?」


 問い詰められて、僕は俯いてしまいます。

 わかってますよ。わかってるんですよそんなことは。それをどうにかしたいと思っているんです。でも、彼女の質問に対する答えがパッとは思い浮かばなくて僕は頭を必死で回します。

 ハアトはベルが何で嫌いなんだろう。獣人だから?

 ベルはハアトが何で嫌いなんだろう。危ないから?

 それはそう。二つともそうだ。そういうもんだもん、だって。それはもう、そういうもんだから僕にはどうしようもない。じゃあどうすればいい? 二人の嫌いを、好きにするには。二人の好きって、それは、それはもう――


「で、できる!」


 首と一緒に頭も打ったのかもしれません。

 気付けば僕は半ば混乱した状態で。


「僕はハアト好きだし、僕はベル好きだし、だから、仲直りできる! はず!」


 そんなことを口走っていました。

 言った瞬間に我ながら混乱します。何を言ってんだ僕は? なんだそのめちゃくちゃな理論は? 正気か? いや正気じゃねぇ。落ち着け僕。


「……ルアンさまなにいってんの?」

「えっと、あの。その……そう!」


 一度口にした言葉は戻らず、ハアトが完全に困惑してしまいました。僕自身困惑していますが、しかしもうこうなっては落ち着く訳にも正気に戻る訳にもいきません。僕はそのまま、感じるままに考えるままに言葉を紡ぐことにしました。どうとでもなれ。これ以上悪い状況になるもんか!


「僕はベルが好き。ベルも多分、僕のことなら好きなはず。ハアトも僕のこと好きでしょ? で、僕もハアトのことが好き。だからさ、その……僕を介して二人は好きを向け合えないかな!」


 馬鹿な感情論だってことはわかってます。

 意味不明なことを口走っているのも承知です。

 ハアトが僕個人を好きでないことだって了解してます。

 それでも今の僕はこれがその方法だと思えました。というか他に思い浮かびませんでした。もう僕がハアトのことを恋愛的な意味で好きなのかどうかで悩んでいたこともこの際はどうでもいいです。もう理論的には土台ぐらぐらで立てないんですけれど、『二人が仲直りして三人で仲良く暮らしたい』という僕の意志だけを支えに、ハアトへ言葉を吐き出しました。


「ハアトはベルのこと無理に好きにならなくてもいいからさ! その……ハアトが好きな僕の好きなベルなら、仲良くなれないかな……?」


 もう意味不明ですけれど、それでもこれが今出せる僕の精一杯でした。

 ハアトが僕を好きなら、その僕が好きなベルなら少しはプラスのフィルターがかかるんじゃないかな、みたいな。逆もまたしかりかな、みたいな。変な言い換えをするなら、僕のためにベルと仲良くしてくれればいい。いや、この際仲良くなくてもいいんです。嫌わなければ。まずは他人からでもいいんです。ほら、友達の友達って赤の他人より少し好意的に思えるじゃないですか。そういう、そういうとこからでいいんです。

 僕は三人の共同生活では何の役にも立たないでしょう。獣も狩れない。畑作りも下手くそ。料理もしたことない。魔法も使えない。運動もできない。仕事も上手じゃない。


 でも、ですよ。

 二人の間を取り持つことなら、僕にも出来るんじゃないかなって。そう思ったら、こんなことを口走っていました。


「………………………………ルアンさま」


 さっきよりもずっと長い沈黙の果てに、ハアトが小さく冷たく僕の名前を呼びました。答える声も出せない僕に対して、彼女は改めて赤い瞳を向けると、洞穴の中へ踵を返します。


「えっ、あの……ハアト?」

「だめ。ぜんっぜんだめ。なにそれ」


洞窟の中の闇にに黒い体を溶かしながら、彼女は僕を振り返ってこう続けました。


「それならまだ、ハアトのほうが――じょうずになかなおり、できるよ」


 その表情は不敵な笑みを湛えていて。


「じゃ、じゃあ……!」

「まだなかなおりするとはきめてないけど。いまのルアンさまおもしろかったから、いっしょにかんがえてあげる。おいで」


 僕はどうやら彼女から興味を取り戻したようでした。

 彼女はそう言って僕と共に巣の中へ降りようとしましたが、しかし僕が追わないので首を傾げます。僕はその姿にやっぱりこの答えを選んでよかったと確信しながら、事情を話すのでした。


「こないの?」

「実は今、立てないんだよね」


 ハアトは一瞬きょとんとして、苦笑いを浮かべたように見えました。


「やっぱりルアンさま、かっこわるい」

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