第56話 友人、助言する

 僕が友人というものを友人という形で得るなんて、数年前までは考えたこともなかったように思います。まぁ、何をもって友人というかにも依るんでしょうけど。

 城に同年代がいなかったのか、と問われるとそんなことはもちろんありませんでした。ただ兄さんたちの場合は全員腹違いとは言え家族でしたので「友人」って感じではなかったですし、年代関係なくよく話していた侍女や近衛兵たちは確かに気さくではありましたが、王子という身分の僕から一歩引いてる感じはありました。彼らも仕事ですし、友人とは言い難いものがあります。とてもよくしてくれたんですけどね。

 あとは政治の好きな大人たちか剣持った大人たちだったので割愛です。その辺はあんまり僕のこと好きじゃなかったらしいですし。僕もあんまり好きじゃなかったですしね。

 そう考えると友人というのはイルエルに来て、それこそジョーくんが初めてな訳で。


「友達っていいね……」


 僕は全身に痛みを抱えつつ、天井の蜘蛛を観察しながらそんなことを思うのでした。ジョーくんいなかったら僕はこの蜘蛛に話しかけて一日を終えていたかもしれないことを考えるとまさに痛感です。


「なぁに言ってんだよ、まったく」


 窓辺の登場から玄関に回り部屋の中へ入ってきたジョーくんには苦笑いされてしまいました。でもどこか嬉しそうなのでまんざらでもないんでしょう。そういうことにしておきたい。


「本当に起き上がれないのか?」

「本当。背面が全部痛くて起きる気にもならないって言うか」

「なんでそんなことになってんだ?」

「あはは……」


 取り敢えず苦笑いで濁します。玄関から回ってきた以上、あの惨状を見ているはずなのですぐに話さねばならなくなるでしょうが、しかしまぁ、ここは苦笑いです。背中バッキバキでそれどころじゃねぇってのもあります。

 それはジョーくんも察してくれたと見えて、


「仕方ないやつだなぁ……ほら、手」

「ありがと」


 僕に手を差し出しました。それを取れば、彼の鍛冶場で鍛えた筋力が僕をぐいっと引き上げてくれます。同時に背中を走る激痛! ありがたくも思いながらも顔が歪むのは止められません。


「ひぎぃぃ……いてて」

「本当にヤバそうだな。大丈夫か?」


 男の『ひぎぃ』なんてジョーくんも聞きたくはないでしょうに、彼はそんな表情は見せず僕の心配をしてくれます。前々から言っていますがまさに好青年です。僕としても見習いたいところなので、ここはそれらしくサムズアップしてみます。


「たぶん。……一旦起き上がればまぁ、行ける気がしてきた」

「心配だけどな……」


 心配されてしまいました。どうやら僕ではまだ好青年力が足りなかったようです。生まれてきた時の能力値振りを間違えたと見えます。いえ、何のことだって話ですけど。

 ただ一旦起き上がってしまえば腰は多少楽になった気がします。起きてからしばらく経ったので痛みに慣れ始めたみたいなこともあるのかもしれませんけれども。

 こうなると次のステップに進みたいと思うのが進化する生物・人間というもの。


「じゃあ立ち上がってみます」

「宣言することか?」

「この方が礼儀正しい気がしない?」

「特にそうは思わないけどな……」


 思わないようです。城の中だけでの風習なのでしょうか。もちろん城の中でもいちいち立ち上がるだけに宣言を挟んでいる人なんて誰もいませんでした。


「よいっしょぉ……っ!」


 藁のベッドから飛び降ります。そのまま着地、なんとかすっくと立つことは出来ました。ルアン・シクサ・ナシオン、大地に立つ! しかし衝撃と共に襲い来る背中のじわじわと伸びる痛みに呻き声が漏れます!


「おごごごごごごごご……!」

「あっはっは、石の扉でも開いたみたいだ」

「わ、笑って頂いてありがたい……!」


 僕も呻いた甲斐があったというものです。

 その痛みに少しの間立った姿のまま硬直する僕でしたが、じきにため息と共にまともに動けるようになります。お陰様で今日もまともに人間が出来ると、ジョーくんにお礼を言うと彼は謙遜しつつも、ばつが悪そうに居間の方に目をやりながら尋ねてきました。


「居間とその背中、関係あるんだろ?」

「まぁね……」

「あぁ、いや。話したくなかったら話さなくてもいいんだ。ただ、俺でも話を聞くくらいは出来るだろうと思って」

「うん、ありがとう。……でも」

「でも?」


 なんて心優しい友人だろうと俯きながら僕はその優しさが心に染み入るように思っていましたが、しかしそこで申し訳なく思いつつも、僕は一旦断らざるを得ませんでした。

 何故なら。


「先にトイレさせてほしい」


 これだけは何があっても譲れませんでした。

 起床して立ち上がった以上、既に僕の肛門はスタンバイフェイズなのですから。


「お、おう……そうか」

「ごめん。朝起きたらトイレって決まってるんだ」

「もう昼だけどなぁ。まぁリズムってあるだろうし、わかった。外出とくぜ」


 理解のある友人で大変助かりました。

 困惑しつつも去るジョーくんを見届けた僕は、いつも通り鉢を用意して、腰を下ろします。不用意に座ったために激突する僕の僕と設置された棒。……変なタイミングではありますが不意にベルのことを思い出します。


「……でも、あんまりネガティブにはならないかも」


 やはり夜中の考え事はよくなかったんでしょう。学んだ僕は待たせている友人もいるので早々に力みます。

 出ます。

 いつもより若干ゆるい気がします。

 一応窓の外を確認してから捨てて藁で吹き終えます。一連のことが終わったのでジョーくんを呼んでみれば、現れた彼は何やら野草を手にしていました。


「ジョーくんそれは?」

「打ち身に聞く野草だ。少しは足しになるかと思ってな」

「僕は君という友人がいて本当に良かったと思ってるよ」


 親切極まりないですよね彼。僕だったら既に見返りを要求しているレベルの親切を次から次へと繰り出してきます。断る理由もないので甘んじて受けますが。見返りを要求されたらその時はその時です。


「立って貰ったのに悪いけど、ベッドにでも座ってくれ」

「トイレでも構わない?」

「俺は構わないけどルン坊はそれで構わないのか?」

「構うね。全然構う」

「じゃあ何で言ったんだ……いいや、上脱いでくれ」

「はーいよ」


 友人同士らしい他愛もない掛け合いを楽しみつつ、上裸になってジョーくんに背を向ける形でまたベッドに腰を下ろします。少し待っていると、恐らく草の汁でしょう、ぬるりひやりとしたものがジョーくんの無骨な手で背中に伸ばされます。


「実は昨日さ」


 僕がその感触をどこか心地よく感じていると、彼にしては珍しく元気のない口調で後ろから話しだしました。


「夕方、鍛冶場で仕事してたらよぉ、マリアさんと一緒のベル嬢さん見かけてな。声かけようと思ったんだけど、その……なんだか妙な雰囲気でな……気になって、今日見に来てさ」

「あぁ……うん。心配かけたよね」


 昨日、ベルは僕が指示した通りマリアさんを送ったのでしょう。そして戻ってきていないところを見ると……彼女も彼女なりに今は考えるところがあるということ。クールな彼女がそれを表に出すとも思えませんが、誰かが察していても不思議ではない状況だったのも事実です。昨日は僕ら三人とも感情爆発していましたし。

 ジョーくんは手こそ止めませんが、しかし声は取り繕います。


「いや、話したくないなら話さなくてもいいんだよ。居間見たけど……どう見てもただごとじゃあねぇみたいだし」


 誰だってあの惨状を見れば戸惑うでしょう。でも僕はジョーくんなら信頼できると思えましたし、そして何より僕自身、誰かに相談したいのも事実だったのでこれはいい機会に思えました。

 僕はどうしなきゃいけないのか。

 どうするのが正解なのか。

 その答えがもしかしたら、少しは見えるのかもしれないと思って、僕は咳払いをして努めて明るい口調を保ったまま、背中のジョーくんに話すことにしました。


「あの惨状は派手な喧嘩の結果で……」


 もちろんハアトがドラゴンであることを伏せた上で、併せて細部を少しずつデフォルメしながら事の顛末をジョーくんに話しました。ハアトがマリアさんに軽く怪我を負わせて、ベルがそれに怒った。その件をきっかけに、二人の不満が爆発した。……みたいな感じで。そして今僕が、二者択一を迫られていることも。

 僕が悩んでいることに関しては、僕自身が答えを探り切れていないところもあって纏まらない話になった上に、少し長めに話してしまったように思います。


「なるほど」


 僕の話を聞いているうちにジョーくんは野草の汁を塗り終えて、聞き終わる頃には腕を組んで中空を見つめていました。

 彼はしばらく何かを考えこむと、ここにはいないマリアさんやベル、そしてハアトのことには何も触れないで、上を着なおした僕にまっすぐ尋ねました。


「ルン坊はそれで、『どうしたいか』が答えられずに悩んでんのかぁ」

「……うん。情けないことにね」


 本当に、情けないと思います。

 一晩経って、ジョーくんが来てくれているお陰で後ろ向き思考まっしぐらということは避けられていますが、それでもまだハアトの声がずっと頭の中に残っています。


『ルアンさまはどうしたいの?』


 どうしたいか、なんて決められないのが今の僕でした。ハアトの側に寄ることも、ベルの側に寄ることも出来ないのが今の僕でした。何かしなきゃいけないのに、何もできないのが今の僕でした。三人の関係性が最悪の方向に転がっている気がするのに、何もできない。


「ハアトの言ってることもベルの言ってることも分かるんだ。分かるから、余計どうすればいいのか……僕はただ、その……三人で仲良くしたいから、どっちも選びたくないってのが本音なんだけどね」


 でもこれが甘いことを言ってるのは自分でもわかっていました。だからこそ僕は苦笑いというか、自嘲気味にそう語ったのですが。


「それでいいんじゃないか?」


 ジョーくんはひどくまっすぐに、なんてことない表情でそう言ったのでした。


「えっ?」

「いや、『どっちも選びたくない』でもいいんじゃねぇかなぁってよ」


 俺は当事者じゃないから適当なこと言ってるのかもしれないけど、と一応フォローこそ入れたのですがそれでもジョーくんは自分の言ったことが適当なことだとは思っていないようでした。

 僕としては戸惑うばかりで、だから何故そう思ったのかを訪ねたくなります。


「いや、でも、僕は『どうしたいか』を聞かれてて……」

「何もしたくない、だって十分に答えだと思うんだけどな」


 思わず言葉に詰まります。

 いや、だって、さぁ。

 そんなんアリかよって感じでした。

 確かにこれは、彼の前置きの通りジョーくんが当事者じゃないから言えたことなのかもしれません。正直に言うと反則技を見せつけられた気分でした。或いは趣味の悪い頓智を見せられたような気分でした。

 でも不思議と、これが『間違い』だとも思わせない何かもありました。

 しかしそれでも、僕はまだその衝撃の回答を受け入れられず何かに固執するようにしてジョーくんに問い続けます。


「でも、僕はどっちかを選ばなきゃ――」

「ルン坊の話を聞いてる限り、ハアト嬢ちゃんがそう言ったようには聞こえなかったけど」


 いいえ、そうです。その通りです。僕は改めてハッとします。


『ルアンさまはどうしたいの?』


 ハアトはそうとしか聞きませんでした。もちろん、彼女の話のほとんどはベルの排除や自分と一緒に来てほしいみたいな内容でしたが、でも、それでも、肝心のことを聞く時には彼女は『どっちかを選べ』とは口にしませんでした。

 愕然と、悩みの壁をあっけなく撃ち崩された僕を見透かすようにジョーくんは更に続けます。


「『どっちも』だって答えじゃないのかな」

「そんな……っ!」


 いやいや、待ってください。

 そんな選択肢があるなんて。いや、そんな選択肢が有り得るんでしょうか。そんな、僕だってそれが選べればそうしたいです。でも、でも。

 僕は何かに駆られるように、むしろ何かに縛られるようにジョーくんへ追いすがります。


「『どっちも』なんて、どうやったら実現できるか……!」


 ハアトは恐らく、人間と触れ合い続ければまた何か事故を起こすでしょう。そしてそれはベルが忌避することです。そしてベルについて行ってこの島を出れば、ハアトは何をするか分かりません。出ていこうとした途端に島が焼き払われる可能性だってあります。ベルはハアトを許していませんし、ハアトはベルに従うつもりはありません。

 そんな状況で、『どっちも』なんて実現できるんでしょうか。いいや、実現できる訳がない。なのにそんな答えは出せない。僕がそう言うと、ジョーくんは真っ直ぐ僕を見つめ返してきました。


「じゃあどうしたらいいか、は後で考えればいいさ。いいかルン坊。今おまえが出すべき答えは『どうしたいか』。それだけなんだよ」


 そこから先どうするかは、その後でいい。


『ルアンさまはどうしたいの?』


 聞かれているのは、今出さなきゃいけない答えは、僕がどうしたいか。ベルじゃなくて、ハアトじゃなくて、ルアン・シクサ・ナシオンがどうしたいか。

 思えば、ハアトとベルだってそうです。どうしたいか、を僕に突き付けていました。どうしたいか、を互いにぶつけあっていました。

 ならまずは僕も素直に、それを吐き出すべきなんでしょうか。

 昨日の夜考えたことが頭の中をぐるぐるします。もう僕にはこのイルエルに残る理由があるのかどうかも分かりません。本当にハアトと夫婦をやれていけるのか、僕がハアトを好いているのか、ハアトが僕にとって大切な人なのかもぼんやりしてしまうくらいには分からなくなっています。

 何が正解なのかも分かりません。

 具体的にどうしたらいいのかも分かりません。

 でも。それでも、希望を言っていいなら。

 『どうしたいか』を言っていいのなら。


「僕は…………僕は、二人に仲直りしてほしい。これからも、三人で仲良く暮らしたい」


 これは、紛れもなく僕の本心でした。口に出して、改めて感じます。間違いなく、これは僕のしたいことでした。どうすればいいのか現時点では全く分かりませんが、それでもこれが本音でした。


「これでも、いいのかな」

「ルン坊がそうしたいならな」


 僕が、そうしたいなら。ジョーくんはそう頷いてくれました。

 ベルは僕の大切な人です。ハアトは……昨日から少し、『大切な人』と呼ぶことを迷いつつありますが、それでも、今はまだ家族です。この家は僕とベルとハアトの家です。僕は今まで三人でやってきてそれが楽しくて。少なくとも、ベルとハアトに殺し合ってほしいとは微塵も思いません。

 だから。

 これからも、三人で仲良く暮らしたい。


「……ごめん、ジョーくん」


 気付けば僕は立ち上がっていました。

 答えが出た以上、もううじうじ悩まなくてよくなったと分かった以上、あとはこの答えを伝えにいかなくちゃいけない。そういう何かが僕の背中を押しました。


「僕、行かなきゃ」

「構わねぇって。居間は俺がなんとかしてみる。行ってこい、ルン坊!」


 ジョーくんは僕の表情から何かを感じ取ってくれたのでしょうか、爽やかにそうサムズアップでもって返してくれます。……友達ってのは、なんて頼りになる存在なんでしょうか。彼が僕と友達になろうと言い出してくれたことを今日ほど感謝したことはないでしょう。


「行ってくる!」


 僕はそれだけ告げると、居間の惨状をしっかりと目に焼き付けて、そのまま家を飛び出しました。まずは山へ。洞窟へ。ドラゴンの巣を目指します。

 僕がどうしたいか。それを答えるために。

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