第54話 ドラゴン、問い続ける
「ルアンさまはどうしたいの?」
そう聞かれた瞬間、僕は机の破片を拾うことすら出来なくなりました。全ての動きが一瞬止まって、迷った後に……いいえ、迷いながらそう聞いたハアトを見上げます。
「……僕が、どうしたいか?」
「うん」
今回の一件で僕ら三人の関係性は過去最悪になったと言っても過言ではないと思います。事実、ベルとハアトに関してはお互いに冗談だとしても殺意を口にしたわけですし。
ハアトは僕と一緒に夫婦として暮らしていきたい。
ベルはハアトから離れるため島を出たい。
二人はそうです。
では僕は? そうなるのは当然でした。僕だってこの状況の当事者の一人なわけですし。……ですがその、まだ『どうしたい』って程ではないというか。今はそれどころじゃないかなっていうか。
「そうじゃないよ。ずるいよ、ルアンさま」
僕が俯いてそんなことを考えているのをまるで見透かしたように、ハアトはそう言い切りました。
「……ずるい?」
「うん。ずるい。ハアトもベルも、『したい』って言ったのにルアンさまだけなにもなし、はずるいよ」
「……ずるい、か」
僕は土床に目を落とすことしか出来ません。
確かにそうでしょう。我ながら軟弱極まりないことです。ベルとハアトが相反する決断をしようとしていて、そんな中僕は何も答えを出さず……この状況であっても『穏便に』済ませたいと考えていました。既に穏便ではないんですけど。
僕が中々煮え切らないのでハアトは次の質問を重ねます。
「ルアンさまはハアトといっしょにいたくないの?」
「まさか」
それは確実に否定できました。僕は立ち上がると、さっきベルと立て直した椅子に座ってハアトを招きます。椅子が嬉しいのか飛び乗るように座るハアトを横目に、言い聞かせるように再度口にします。
「ハアトといっしょにイルエルで暮らしたい……はず」
「はず?」
「……うん」
言い聞かせたはずなのに、濁る言葉。
いや、間違いなく僕はイルエルに残るのに肯定的です。それは自分の中でも間違いないと確信しています。……ただそれが、ハアトとベルと一緒にこの島にいたいからなのか、それともただの怠惰からなのかが判別できなかったから言葉が濁ったのでした。
「いや、でも……うん。ハアトは僕にとって大事な人だからさ」
「ふーん……」
ハアトは妙な反応をして、何やら自分の中でそれを反芻しているようでしたが、納得のような表情を見せると明るく笑って立ち上がりました。
「じゃあベルはハアトとルアンさまのじゃまだね! ハアト、さくっところしてあげる!」
「まっ、待ってハアト! それは駄目だ!」
あまりにも無邪気に言い放ったその一言。思わず立ち上がって、その肩を掴みたい衝動は我慢するしかありません。ハアトの場合口で言っても止まらない可能性があるので本当は掴みかかりたくて仕方がないんですが。
対するハアトは僕の心中なんて知る由もなく首をこてんと傾げます。
「なんで?」
「なんでって、ベルもハアトと同じくらい大事な人だから……!」
「でもベルがいるとハアトといっしょにいられないよ?」
「それは……」
今は確かにそうかもしれませんが、しかしだからと言ってベルをハアトに殺されるつもりはありません。まだ式こそ挙げていませんがハアトが妻同然である以上に、ベルは僕の姉同然の存在で……頼れるほとんど唯一の親しい人間です。
「それは……僕が何とかするつもりだけど」
「なんとかなるの?」
「それは……っ!」
いつになく痛いところを突いてくるハアトへ言い返そうと意気だけが募りますが、しかし不意に脳裏をベルの先刻の言葉が蘇ります。
『あれはどう在っても、必ず害を為す。そもそも収まりきらないんですよ、我々の生活に。前提が無理なの』
果たしてなんとかなるのか。
言葉に悩んで、悩んで悩んで、地に目を落とします。視界に入ってくる抉れた土床と砕けた机。まだ散乱するマリアさんの手料理。思い出される伏したマリアさんとベルの強い怒りの形相。
「……それは、わかんない」
結局、僕はそれを断言できるほど楽天家でも何か策があるわけでもありませんでした。策を練ろうにも案を捻ろうにも全く頭が働かないのが現状です。現実が、二人が僕を置いて先へ先へ。……多分、誰にとっても良くない方向に突き進んでいることだけは分かってしまって焦りだけが募ります。
力なくまた椅子に逆戻りする僕を見て、ハアトは至極不思議そうに顔を覗き込んできました。宝石みたいに明るい赤が澄んだ光で僕を見つめます。
「なんでそんなにベルがだいじなの?」
僕は参ったな、と思いながら説明しようとします。思い返せばハアトには既にベルが僕にとってどういう存在なのか語ったような覚えがあるのですが、どうやらこのドラゴンは興味のない事項は覚える気がないと見えます。
そう言えば前回も姉弟の概念が上手く伝わらなかった気がするな――そう思いながら口を開こうとしたのですが、先んじてハアトが自身の疑問を続けました。
全く悪意のない様子で。
「だってベル、にんげんじゃないよ? じゅうじんって、けものだよ? ごはんといっしょなのに」
そんな、そんな。
当然僕が説明を続けられるわけもなく、口を半開きにしたまま絶句してしまいます。……今何だって? ベルが、獣人族が『ごはんといっしょ』?
「待とうよハアト。獣人はごはんと一緒じゃないでしょ?」
「いっしょだよ。けがふさふさしてて、しっぽがある。にんげんとはぜんぜんちがうよ?」
「い、一緒じゃないよ」
「いっしょだよーっ。ルアンさまへんなの」
いや、違う。違うんです。違うはずなんです。
ハアトと僕の間に致命的な溝を改めて感じて、それが先程までのベルの言葉を裏付けるような気がして、そして何より――『ハアトは何かあれば本当にベルを食べる気かもしれない』なんて妄想が現実味を帯びて肉薄するような怖さを感じて妙な緊張感を覚えます。
「違うってハアト。前にも話したけど――」
確か出会ったすぐの頃に話したはずです。
獣人族は確かに獣と人の両方の特徴を持ちますが我々と同じ人類共通語と呼ばれる言語体系を理解して話すことも出来ますし職業によっては獣人族の方が有能なものもあり場所によっては獣人族が王だったり獣人族だけの国があったりする訳で――人種の違いこそありますが、ともかく。
「獣人は僕らと同じ人間で……っ!」
「ちがう。だってハアト、にんげんはたべないけど、でも」
「違わないよ、ベルだって……!」
「ちがうよ? だってじゅうじんなんて、にんげんとけものの『まざりもの』だもん」
我ながら何を熱くなっているんだと思います。僕自身は正真正銘の人族の人間、二つの王家の血を引く人族の中でも特別にロイヤルな血筋の人間なのでこんなにムキになる必要なんてどこにもないんです。えぇ、そうでしょう。冷静に考えればそうなんです。
……ただ。
純血主義の大臣率いる一派から城の中でベルがひどい陰口を叩かれていたことや、時には屈辱を受けていたことを知らない僕でもなくて。それにハアトが関係していることはありませんが、それでもこの言説には反論しておかなければと思ってしまって。
そして何より。
「うーん。どうやったらわかってもらえるかなー……そうだ!」
全て含めて僕が何よりも恐れ始めている可能性を――ハアトは臆面もなく、恐らく本心から口にするのでした。
「こんどあったとき、ハアトがベルのことたべてあげるね!」
それはもう、人種差別がどうこうって話ではなくて。
ドラゴンという上位種からの殺害予告に他なりません。
しかも、『食べる』だなんて『殺す』より惨めじゃないですか。だって、さっきまでの『殺す』ならハアトはまだ彼女のことを一個人として認識していたのに『食べる』はそれすらなくなってしまったわけで。
「ハアト、それは」
さすがの穏健派である僕だとしてもここで流されるほど腑抜けた覚えはなく、もう構うものかとハアトに手を伸ばしました。今度は脅しでもなんでもなく。
「それは絶対に駄目だ!」
子が親に叱りつけるときにそうするように、僕は彼女の小さな肩を思いっきり掴んで正面からそう言い切りました。
「――――ッ!」
声にならない何かと共に、ハアトの目が大きく見開かれます。
これなら通じた。少なくとも僕が本気だということは伝わってくれた。これでハアトも理解してくれる。
……そう、思ったのですが。
「ハアトにさわるな!!」
その幻想は人の姿をしたドラゴンの咆哮でかき消されました。
僕が肩を掴んだことで敵意と不快を爆発させた彼女は言い放つと共に僕の手を振り払い、その勢いのままその場で体を一回転。同時に薙ぎ払ったのであろう、『見えない尻尾』は僕の体を思いっきり横方向へ吹っ飛ばしました。軽く吹き飛んだ僕はもう一つの椅子に激突、長椅子は机と同じ末路を辿ります。
「がふっ…………くっ、いってぇ……」
全身が痛みと衝撃で熱くなるのを感じます。どこがどんな傷を負ったのかは分かりませんが立ち上がることは出来ず、僕はその場からハアトを見上げることしか出来ません。
ハアトは僕を一瞥すると、一言。
「つまんない。いまのルアンさま、つまんないよ」
「つまんないって……」
「ハアトのいやなことするもん。それにまだ『こたえ』をださないもん。どうせまだきめてないんでしょ? どうするか。どうしたいか」
吐き捨てるように尋ねられて……僕はそれでも、答えられませんでした。どう答えれば二人ともが仲良くやれるのか。どう答えるのが一番穏便なのか。まだ分からず、分からない以上踏み切れませんでした。
もう何度目かもわからない沈黙にハアトは呆れた様子を見せると、あくびをしながら家を出ます。
「いまのルアンさまとはなしててもおもしろくない。ハアト、かえるね」
もちろん今の僕にはそんな彼女を引き留められるはずもなく、小さな歩幅で森の中に消える彼女を情けない姿で見送るほかはありません。
「…………」
ハアトが去って、家に残るのは僕一人。
彼女にぶっ飛ばされて治癒魔法を使って貰わなかったのは久々かもしれないな、なんてことを考えながら部屋を眺めます。
外の日も随分傾いたのか薄暗がりの部屋は床が掘り起こされたように抉れ、天井と壁にも蹴り痕が見え、居間で一番大きかった机は真っ二つ。床には食事の跡が散乱し、壁際では砕けた長椅子と砕いた張本人である満身創痍の僕が一人。
「……どうしようか」
ふと、ぽつりと呟いた言葉は静寂に飲まれます。
さっきまで喧噪や怒声すら飛び交っていた我が家はがらんとして、今ではすっかり重苦しい沈黙が家主です。
呼んでも誰の返事もありません。
……たとえ誰か居たとしても、返事してくれるでしょうか。
「……本当に、これからどうしようか」
取り敢えず痛みが引くまで――僕はそのまま天井を虚しく仰ぐほかありませんでした。
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