第53話 ドラゴンと獣人、争う

「いまなんていった!」


 二度目にそう言った時には最初のきょとんとした雰囲気は吹き飛ばされ、有無を言わせぬ威圧を吐き出すものでした。紅に燃える瞳はベルを正面から睨んで咆哮と大差ないように思えました。

 不快感を全開にしたハアトの剣幕に僕が気圧される中、しかしその敵意を正面から受けているベルは


「聞こえなかったの?」と言わんばかりにただただ同じ台詞を繰り返しました。

「私とルアン様はイルエルを出る」

「どうして!」

「あなたといるとルアン様の身が危ない」

「ルアンさまとハアトは『ふうふ』なのに!」


 あくまで冷静、いや、冷徹なベルと理不尽さに怒りを燃やすハアト。僕は見ていることしか出来ず、二人を止める言葉すら持ち合わせていません。


「ねぇどうして。ハアトがもどってきたら、なんでこんなはなしになってるの!」


 突然のことに一番驚いているであろうハアトは転がるテーブルを裸足で踏み砕きつつ、容赦なくベルへと詰め寄ります。彼女はそれにも憶することなく、自分よりずっと小さい人間態のハアトを見下ろすだけです。


「話しても無駄。あなたにはわかるはずもないもの」

「ハアトをばかにしたな!」


 瞬間、怒りに任せてハアトがベルの首に掴みかかりました。瞬時に手でもって払うベル。触れられたハアトは咆哮と共に回し蹴り。ベルはそれを片手で受けつつ、横跳びするようにして再び距離を離します。


「ほら、『また』。あなたがドラゴンである以上話は通じない!」

「――ッ! にんげんでもないくせに!」

「あなたこそ、人間でもないくせに」


 ドラゴンはドラゴンであって、どう足掻いても人間じゃない。

 先刻そう僕を叱ったベルの言葉が反響するように思い起こされます。現に今だって、ハアトから攻撃したにも関わらずハアトが拒絶した。……触れられるのを極端に嫌う、そういう生き物。


「ハアトとルアンさまは『ふうふ』なんだから! ふうふのじゃまはだれにもできないの!」

「夫婦! 口約束だけの何の証拠もないくせに! ごっこ遊びの延長で『夫婦』なんて笑わせないで」

「けっこんしきだってするもん! やくそくしたもん!」

「させない。その前にイルエルを出ていく」


 ベルに断言され、ハアトが牙を剥き出しにします。荒々しい息を口の端から漏らし、心なしか人間の白肌の上に黒い鱗が幻のように浮かび上がっている気がします。

 刹那、睨みあう両者。


「――。ころす」

「ハアト……!」


 彼女の口から飛び出した、ドラゴンとしての意志を帯びた言葉に僕は思わず声を上げます。これまでも喧嘩としては度を越していますが、その言葉が飛び出てしまえば僕だって傍観し続けているわけにはいきませんでした。

 僕は気圧されて座りっぱなしだったのを転がるようにして両者の間に出ます。


「待ってハアト。殺すのは……!」

「どうして」


 さっきまでの幼い癇癪とは全く違う系統の、低くしかし燃え滾るような怒りを秘めた声色。一瞬その圧にまたたじろいでしまいますが、話せばわかると信じて僕は答えます。


「どうしてって、ベルは僕の大切な……」


 しかしハアトの瞳は僕を見ているわけではなく。


「どうして。ベルなんてきらい」

「私だって好きじゃない」

「ベル!」


 売り言葉に買い言葉、まるで煽るようなベルを諭しますが、しかし彼女は澄ました顔のまま。一方煽られたハアトは更に言葉を荒らげます。


「ベルなんてどっかいけ!」

「言われなくてもルアン様とここから出ていくから」

「そうじゃなァァァァァいィッ!」


 叫ぶや否や、ハアトは床を蹴っ飛ばしました。抉れる土床。黒髪の少女は僕を軽々と飛び越え、その先の獣人へ。対するベル、その行動を予測していたのかまた横飛びすると今度は壁を蹴ってさっきまでハアトの立っていた位置へ逃げます。


「ベルとルアンさまはふうふでもないのに!」

「あなたみたいな浅い付き合いと一緒にしないで。過ごした長さも、濃さも、想いも違う。ルアンは興味で弄んでいい玩具じゃない」

「……ルアンさまがいなくなったら、ハアト、ぜんぶもやすから。みんなころす」

「勝手に殺せば? イルエルがどうなっても構わない」

「ベル、それは……っ!」


 彼女が僕のことを思って言っているのは分かっています。分かっていますが、それでも今の発言はさすがにどうかと思いました。そんな、もう王族でもない僕のために島を犠牲にするなんて……本気じゃないとしても、それは……。

 ベルは咎めた僕を一瞥するも、全く無反応のまま再びハアトを睨みます。黒い毛並みは逆立ち、尻尾と耳を緊張で張りつめさせ、戦意を表すように構え直します。


「やられるくらいなら……やる」

「そんなにころされたいならころしてやる。ここで、ころす」

「待って、待ってよ二人とも!」


 完全に二人ともが戦闘態勢に入り、ベルは迎撃の構え。対するハアトはドラゴン化まではしないものの口元は何やら光を灯している気がします。僕は立ち上がって必死に説得するのですが、


「ルアン様、お下がりください」

「じゃま。にんげんはどけ」


 相手にすらされません。もちろん単純な戦闘能力で僕が二人に敵うはずもないので最悪二人が争っている我が身を捧げて止めるしか思いつくはずもなく。『私のために争わないで』なんて愉快な状況でもありますが、実際に起こると全く愉快ではありません。頼むからやめてくれ、と切に願う他はなく。


「…………!」

「――――ッ!」


 唸りが反響するような緊張。

 視線がぶつかりあい、今にもどちらかの皮膚が裂け血を吹いてもおかしくない、そんな極度に張りつめた中。


「あら~……えっと~」


 どちらが飛び出すか――そんなタイミングで、不意に間の抜けた声が寝室の方から聞こえてきました。

 その声に気取られて一瞬空気が緩んだのを肌で感じ取った僕はここぞとばかりにハアトの方へ走りつつ、ベルへ叫びました。


「ベル、マリアさんの様子見て! 喧嘩は一旦中止!」

「……わかりました」


 一瞬不服そうな顔をしましたがさすがに現時点ではまだ外聞があると見え、それにマリアさんのことも心配だったのか最後に強くハアトを睨むと彼女は尾を振って寝室へ消えます。


「まて!」

「待つのはハアト!」


 その背を追おうとしたハアトでしたが僕が立ちはだかります。また上を行かれては困りますので僕は心を痛めながらも「これしかない」と心中で謝りつつ、露骨に彼女の肌へ手を伸ばします。一歩下がるハアト。


「どうして」

「殺し合いなんてダメだよハアト。話せばわかるはずなんだ」


 彼女の説得のためにそう諭しますが、どこか自分自身でその言葉の薄っぺらさを苦々しく感じてしまいます。

『言葉が通じてもあれはドラゴンです。人間のふりをしていてもあれはドラゴンです。人とは決して対等ではない、知っていても理解はできない、それがドラゴンです』

 ベルの吐き出した言葉が、僕の言葉から誠実を奪います。

 しかしでも、それでも今の僕には喋るしか出来ません。語るしか、諭すしか、出来ませんでした。そしてここまで状況が緊迫してしまった以上は今はやれることをやるしかありませんでした。言葉を重ねます。


「ハアト、今は一旦落ち着こう。ベルだって気が立ってただけなんだよ。理由があって」

「りゆうなんてしらない。ハアトはルアンさまといっしょにいる。ふうふってそういうものでしょ?」

「うん、わかった。今は一緒にいよう。だから落ち着いて? ほら、吸って吐いて」

「すぅぅぅぅぅ……ひ、はく?」

「火は吐かないで」


 語れば語るほど、誤魔化している気がします。城でも誤魔化しにお世辞を重ねて社交辞令で飾っていたので何を今更、と自分でも思うのですが。……まっすぐ過ぎるハアトを前にしていると自分が卑怯なようにも思えてきます。情けない、なんて。

 僕がハアトを落ち着かせ取り敢えずいつもの調子に戻していると、寝室からマリアさんが出てきます。


「あっ、マリア!」

「あら、ハアトちゃん。それにまぁ、ルアンくんまで」

「どうも……」


 怪我は大丈夫そうで、マリアさんはいつもの調子で僕とハアトへ挨拶。ハアトはそれに快く応じますが、僕としては気が気でありません。倒れた経緯が経緯だけに。

 しかしそんな僕の心配はどこへ、マリアさんは申し訳なさそうにぽやぽやとはにかみました。


「ごめんなさいね~。私、転んで頭を打っちゃったみたいで。よく覚えてないんだけど……これは私がやったのかしら?」


 部屋の惨状を見て困惑する彼女越しに僕はベルを確認します。小さく頷いているところを見ると、何も覚えていなかったマリアさんに色々と手を回してくれたようでした。僕はホッと胸を撫で下ろしながら笑って応じます。


「いえ、これはちょっとした喧嘩の跡です。ごめんなさい、お見苦しくて。でも無事で何よりです」


 これでなんとか誤魔化せたことでしょう。あとはハアトが余計なことを言う前に、と頭を回そうと思ったのですが先んじてベルがマリアさんの手を取ります。


「ルアン様、マリアさんは私が送ります。後をよろしくお願いします」

「えっ……あぁ、うん。頼んだ」

「では、参りましょうかマリアさん」

「じゃあまたね、ハアトちゃん~」


 すっかりいつもの調子になったベルに困惑している間にも彼女はマリアさんと共に我が家を後にします。ベルなら道中で色々と補完してくれるでしょうし、何より今はハアトと離れることを優先したのでしょう。


「……やっぱりさすがベル……」


 感嘆の声が漏れますが、同時にそんな彼女があそこまでの乱暴な決断をしたことの意味が重くのしかかってくるような気がして、素直に喜ぶことはとても出来ませんでした。

 さて、後を任されたわけですが我が家に残ったのは居間の惨状とハアト、そして僕な訳で。


「やった、ベルいなくなったよ!」

「ハアト……」


 さっきまで争っていた相手がいなくなったことを手放しで無邪気に喜ぶ彼女に、僕は頭が痛くなる思いです。


「後を任せた、か……」


 今朝同じような台詞をベルに言っただけに、その響きが息苦しく感じます。僕はこのままベルと一旦引き離すためにハアトと共に巣へ戻ろうかと考えましたが、しかし『後』を任された以上この惨状も放置出来ませんし……それに、ベルのこともおざなりにしたくなかったので取り敢えず居間を片付けることにします。


「よいせっ……と」


 まずは危ない机の破片撤去と僕がしゃがむと、ハアトも真似するようにしゃがみました。一緒に手伝ってくれるのかと思いましたがそんなことはなく、彼女は純真そのもので僕の顔を覗き込みました。


「ねぇルアンさま、こんなとこでて巣にいこう? ハアトたちのいえだよ」

「こんなとこって……ここだって家だよ。僕とベル、ハアトの」

「………………」


 僕の返答にハアトは少しの間考えるように押し黙ると、急にスッと立ち上がります。僕が驚いてその顔を見上げれば、そこには先程刹那見せたような無表情で無垢なハアトが僕を見下ろしていました。


「ルアンさまは、どうなの」


 それは、問いただすように。

 驚いた僕がはにかみながら「どうなのって……」と聞き返すのも一蹴するようにして、ハアトは正面から僕を見据えて尋ねるのでした。


「ルアンさまはどうしたいの?」

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