第46話 牧師、提案する

 初夜。

 初めての夜と書いて初夜です。詳しい語義は存じ上げませんが、多くの場合夫婦の契りを結んだ間柄の男女が初めての性行為を致す夜の意味で使われると思います。つまり「昨晩はお楽しみでしたね」ってな具合です。

 いや、もしかすると初夜にも他の使い方があるのかもしれません。何かを経験する初めての夜をそう呼ぶとか。であれば初めてのお泊り――なんかも初夜なわけです。これで押し通しても良い訳です。相手方の方は「しょやな」と頷いてくれないでしょうけど。…………ごめん忘れて。

 しかし現実は「忘れて」と言われて忘れてくれるわけもなく。


「ハアトもはずかしいんだけど、ルアンさまがどうしてもって」

「言った覚えないよ」


 僕が頭を抱える前でこのドラゴンは閉域でそんなことを宣うのでした。もちろん忘れて欲しいのは残る二人ですが。


「ルアンさん……」


 牧師さんは心配するような表情で、


「ルン坊、おまっ、お前……っ!」


 ジョーくんは真っ赤になっていました。本当に女性への免疫が皆無なんですね彼。ベルやマリアさんとの応対を見ている限り普段は大丈夫なようですが、こう、露骨に男女関係の話になるとどうもダメなようです。童貞かな?

 僕としては今からでもお二人を強襲してハアトに関する一切の記憶を消し去りたい気持ちもあるんですが、それはあくまで最終手段です。ここは大人しくハアトのフォローに回る他はありません。


「えーっと……誤解です」

「ハアトがふたりにあったのはいっかいめだよ?」

「ちょっとハアトは黙ってようね」


 揚げ足を取られている気分です。彼女としてはそんなつもりはないのでしょうが、僕はここは一旦彼女を黙らせて出来る限りのことを話そうと思います。


「誤解なんです。この子、少し恋に恋してるなとこがありまして。要するにちょっと思い込みのある子です」

「まぁ不思議な子だというのは既に伝わってますよ」

「さすが牧師さんです、話が早くて助かる」


 話が早いも何も全裸で登場した時点でだいぶ不思議ちゃんではあろうと思います。少なくとも僕だったら常人だとは思いません。

 さて牧師さんは一応の理解を示してくれたのですが問題は童貞――じゃねぇや、好青年ことジョーくんです。


「ということなんだけどジョーくん」

「お前っ、そういうのは、もっと大人になってからじゃないのか……っ!?」

「マジで言ってる? 僕ら十六だよね?」


 十六と言えば十分大人だと思うのですが違うのでしょうか。場所によっては十二でも既に成人すると聞きますし、僕の勘違いではないはずなのですがジョーくんは首を横に振ります。


「せめて……そう、十八になってからだな」

「二年なんて大して変わらないでしょ……」

「まぁ誤解なら文句ねぇけどよぉ……」


 まるで誤解じゃなかったら文句があるような言い方です。さっきまで頼りがいがあった僕の友達はどこに行ったんでしょうか。二面性にも程がないか。

 ともあれこれで二人とも理解を示してくれたので僕としてはもう説明することはなく、となると今度はもちろん二人のターンです。特に冷静を保っている牧師さんは聞きたいことがいくつかあるようで。


「ルアンさんとハアトさんが夫婦というのは事実です?」

「恥ずかしながら事実です」

「おやおや、随分とお手が早い。生まれですかね?」

「返す言葉もございません……」

「冗談ですよ。あっはっは」


 冗談にしてはやや鋭すぎる気がします。島に来て数日で嫁を持ったこと、父親が六人も王妃を持っていることを同時に皮肉られるとは。

 牧師さんは気まずい僕を肴にひとしきり笑うと、改めてハアトを眺めながらまた冷静に尋ねます。


「……しかし、ハアトさん初めて見たような気がします。村の方じゃないですよね?」


 鋭い。早速痛い所を突いて来ました。

 ここからは、というかハアトが悪戯に搔き乱してくれたとは言えまだまだ心理戦は続いているのです。中でも彼女の出自を聞かれるということは僕らにとっては真実に近くなる道の一つ。しかもハアトは放っておくと「ハアトはね、ドラゴンだよ!」とか無邪気な曝露をしてしまいかねないので回答も早いことに越したことはありません。

 咄嗟に嘘を考えて、僕は口から出まかせを並べ立てました。


「僕らもそれが分からなくて。山の中で会ったんですけど……取り敢えず放っておく訳にもいかないので僕らが一緒に生活してます」

「そんな子ともう婚姻ですか」


 さっきから痛いとこを突かれます。しかしここは何食わぬ顔で、というか若干恥ずかしがるような仕草をしてみます。


「その方が色々と便利かな、と。……最初は彼女の一目惚れでしたし」

「あーっ! ルアンさますぐそういうこというー!」

「本当でしょうが」

「あっはっは。中の良い様子で」


 また笑われてしまいましたが、この様子だとどうやら牧師さんは僕の言うことを信じてくれたようです。良かった。島に来てから何度目かのロイヤルスキルが活かされたような気がします。ヒヤヒヤしましたが安寧の日々を守れるならそれで良しではありませんか。

 しかし不思議なことに牧師さんがふむ、と頷いている隣でジョーくんは首を傾げていました。


「……俺は見たことある気がすんだよなぁハアト嬢」

「……マジ?」


 走る緊張。僕とベルが顔を見合わせます。

 ハアト(人間態)を誰かが見ている可能性は十分ありました。僕らがそうだったように。それが村の中では一番山に近い鍛冶場に出入りするジョーくんなら納得ですが、しかしそうなると話が変わってきます。ジョーくんが彼女の正体を知っている可能性があるのですが――


「あー……でもガキの頃だったからちげぇな」


 すまねぇな、と苦笑するジョーくん自身の否定によってそれは杞憂に終わりました。果たして本当に杞憂なのかは疑問ですが……確かハアトの話では相当昔からこの島にいるようなのでジョーくんが子供時代に目撃したそれが彼女である可能性の方が高いのです。

 二人の質問攻めが途切れ、なんとなく納得の雰囲気になりつつあるので僕はすかさず〆の一言を飛ばします。


「隠し立てしててすみません。でも彼女は僕らで面倒見ますし、生活が安定したらいずれ村の皆さんにも僕らからご挨拶しますので」


 我ながら見事な締め際です。

 これでいよいよ質問もひと段落、後は僕がどうにかしてハアトをこの場から連れ出すだけ……と思ったのですが、その計画は無残にも潰えることになりました。いや、そもそも部外者に彼女の存在がバレた時点でもうどうしようもないのですが。


「では、新婚のご挨拶ですね」

「……えっ?」


 ぱん、と手を打った牧師さんの言葉に僕は思わず耳を疑いました。聞き返す僕に、牧師さんは相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべながら当然のように続けます。


「新婚のご挨拶です。村に新しい夫婦が生まれたのですから、お祝いと式を挙げねば。えぇ、私の教会で」

「まるで牧師さんみたいなことを言いますね」

「逆に私を何だと?」

「いえ、牧師さんですけれども」


 しかし今までは酒場の惚気おじさんか畑耕しおじさんのイメージしかないのも事実です。僕が王子っぽくないのと同じで。僕の場合は「元」なので仕方ないんですけれども。

 しかしこれはピンチでした。露骨にピンチです。

 何故かって?

 新婚のご挨拶で村を巡るのに、新婦抜きには出来ないじゃないですか。つまり、つまるところ、僕はハアトを連れて村を練り歩くことになる訳です。


「いや、ちょっとそれは恥ずかしいというか……」

「おや? 今晩初夜なのに?」

「誤解ですって」


 なんでしょう、完全に牧師さんのペースに取られています。のらりくらりとその微笑みがなお胡散臭く思えてきます。マジで何考えてるんでしょうかこの牧師。

 そしてこれを名案と思ったのかジョーくんも賛同します。


「そうだ! 初夜……とかなんとかはともかくとして!」

「ジョーくん本当に童貞だね」

「おめぇはちげぇのかよ」

「いや、それは……ごめん」


 これは僕から下手をこきました。そう言えば僕もまだ童貞です。……ふと思ったんですけど僕童貞をドラゴンに捧げる可能性があるのか……。


「ともかくだ! せっかくの友達のめでてぇことなんだ、俺にも祝わせてくれよ!」

「ジョーくん……」


 その友情のあつさというか取り戻された好青年らしさが今はとてもつらいです。君に賛同されると否定するのも申し訳なくなってきますし、牧師さんはともかくとしてジョーくんは絶対純粋な好意からの提案です。僕には分かります。

 この流れはマズい。非常にマズい。僕は咄嗟に再びベルの方を見ますが……あっ、ダメだ。目をかっぴらいて尻尾が天を突かんばかりにガン立ちしてます。


「……!」


 僕の視線に気付いたのでしょう、ベルも僕を見てきますがダメです。あれは「もう殴るしかないのでは」とか思ってる目です。ハアトが関わっている案件だからかベルが短絡的すぎる。

 こうなれば僕がどうにかするしかあるまい――そう思っていたのですが、そんな僕に予想外のトドメが刺されます。

 それは。


「うん! ハアトもおいわい? されてみたい! まるでふうふみたいじゃない、ルアンさま!」


 後ろからの凶刃、当事者の一人であるハアトの賛同でした。

 僕は我が耳を疑って、二人には聞こえないように内輪の相談をします。


「嘘でしょハアト」

「うそじゃないよ? だってにんげんのふうふみたいじゃない?」

「あぁぁぁぁぁ……」


 こうなってはもう、項垂れるしかありません。

 そうでした。そもそもハアトが僕と結婚なんて凶行に及んだのも『人間ごっこ』の一環な訳で、そんな彼女がこんな絶好の機会を逃す訳もなかったのです。

 そして牧師さんがこの好機を逃すこともなく。


「では決まりですね、ルアンさん」

「えぇ……あぁ、はい……よろしくお願いします」


 僕には拒否権は既にありませんでした。

 こうして僕は、ハアトと共に村に降りることが確定してしまったのですが……果たして、彼女の秘密を守りきれるのでしょうか。彼女自身が守るつもりもないのに。

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