流され(元)王子と幼妻ドラゴン
並兵凡太
第一章 巡り合いドラゴン
第1話 王子、流される
ぐらりと床や椅子が大きく震動する度に胸の辺りが大回転、昼に食べたパン(だったもの)が不快感と共に戻って来ようとするのを僕は必死で堪えます。うっぷ。
耳を澄まさずとも聞こえる波の音に癒し効果など全くなく、暇つぶしにと眺めていた地図にも最早全く集中出来ず、紙の上に揺れる線と文字をぼんやりと眺めながら、僕の顔はそれなりに青白かったことでしょう。思わず天井を仰ぎます。
「……気持ち悪い……」
現在僕は吐き気に苛まれていました。
この船旅が始まって今日で三日目。そろそろ否が応でも現実と対面しなければなりません。
城にいた頃――まだ僕がロイアウム王国第六王子だった頃に聞いていた航海や船旅というものはロマンに溢れたキラキラしたものだったと記憶しています。来客で会った他国の軍人さんや王国海軍の将校なんかの口ぶりでは。
しかし、今僕がこの身をもって体感している船旅はそんな美しく、或いは雄々しいものではありませんでした。……いえ、己や海との戦いという意味では雄々しいのかもしれませんが。まさか、僕自身船酔いをするタイプだとは思っていませんでした。
波の音に負けず劣らず船室の景色は変わりません。あまりにも退屈を持て余した、そう、例えばこれが船旅という名の船室軟禁十七日目とかなら「ああああああああああ!」と狂ったように抗議の舞を舞ってもいいのかもしれないですが、そんな度胸もなければそれほど追い詰められてもいませんでした。
上の方、おそらく甲板からは船員さんたちの大声が聞こえてきます。怒っているような笑っているような荒々しい声に、つい僕も甲板を覗きに行きたくなるのですが、
「……ベル、僕もそろそろ甲板に」
「なりません」
このように阻止されてしまうのでした。ちなみに本日だけで既にこのやり取りは三度目です。
そこそこ立派な帆船の、その中でも割と上等な船室に僕は居させてもらっているのですが(説明がふわっとしているのは僕自身が船に詳しくないからです)、この部屋には僕以外にもう一人居るのでした。
部屋の真ん中に置かれた大きめの机についている僕に対して、入り口の扉にほど近い椅子に腰掛けて窓の外を物憂げに見る彼女こそ、僕の幼い頃からの従者であるベルでした。
「ベル、僕いますっごく吐き気がしててさ」
「えぇ、存じ上げております。お力になれず申し訳ございません」
「甲板に出て外の空気を吸えれば少しは変わるんじゃないかなって」
「トイレでしたらすぐお持ちしますが」
「話聞いてる?」
「えぇ、しっかりと」
聞いているのに話が通じないとはなんとも妙な感覚です。ちなみにベルの方はと言うと、その艶やかな毛並みの顔はいつも通りクールそのもので、船酔いなど微塵もしていないようでした。
「……獣人族って船酔いしないの?」
「一概には言えません。人族と同じ個人差です」
そう言いながらも、ベルは自慢気に微笑みます。飾り気の少ない彼女の黒い垂れ尾も一振り。クールな彼女とは言え、犬の獣人である以上、その尻尾を見れば大抵の感情は読み取れます。僕の国では獣人族がそう珍しい種族でもないというのもありますが、幼い頃からの付き合いだからというのが大きいでしょう。
「ただ、私は全く、えぇ全く船酔いしない体質のようです」
「……それは良かった」
「恐れ入ります」
僕ら人族とは違って高くて長いマズル(つまり鼻筋)も自信の表れに見えてくるから不思議です。
しばしの沈黙。しかし僕は諦めず、或いは凝りもせず再び切り出してみます。普段なら既にこの選択肢は捨てているであろう僕ですが、それくらいには気持ちが悪いものでした、この吐き気は。恨むべきは体質。
「ベル」
「なりませんものはなりません」
「なりませんか」
「なりませんね」
本日四度目の阻止。僕とベルにそう年の差はないのですが、こういう時の彼女はなんだかすごく年上なのではないかと感じてしまいます。要するに圧です。
「ルアン様、出られない理由はご自身が一番わかっておられるのでは?」
「うぐっ」
ベルの鋭い言葉が刺さりますが今の呻きは船酔いによるものです。図星のそれではありません。しかしベルはここぞとばかりに畳みかけます。
「ルアン様には幼い頃より水難の相があります」
立ち上がってこちらへ詰め寄りながら淡々と口を開くベル。すらりと長い足がつかつかとこちらへ迫る様子は美しいものの威圧感もたっぷりで、僕は顔を背けて言葉を濁します。
「……まぁ、はい」
「流されゆくあなたを私が何度お助けしたか覚えておいででしょうか」
「うん、はい、毎度お世話になってます……」
高圧的に迫る気高いマズル。青い彼女の瞳から放たれる冷たい視線に耐え切れずやはり目を逸らす以外の選択肢なんて存在しません。
川遊びをすれば足元をすくわれ下流へ、釣りに行けば頭から落ちてあれよあれよと支流へ。昔から水辺、特に流れる水とは何か呪いでも受けてるんじゃないかというくらいに相性が悪いのが僕でした。つまり、とても流されやすいのです。僕の方は流水がそこまで嫌いではないのですが、流水の方が僕を嫌っているとしか思えません。
「そんなあなたがこの大海原で甲板に上がれば落水して行方不明になるのが目に見えているかと」
幼い頃から僕の面倒を見て、姉同然のように長い時を共に過ごす彼女の言葉の説得力と言えば伊達ではありません。僕自身、水難を自覚しているのですからそれはもう尚のこと。弟は姉に逆らえないのです。まぁ姉ではないのですが。
「いいですか、ロイアウム元第六王子ルアン・シクサ・ナシオン。ご自身の性質と立場をよく理解してください」
「わかった、わかりました」
「わかっていただけて幸いです」
ここまで言われてしまっては僕の方が折れるしかありません。僕としてはただ外の空気が吸いたいだけなのですが、しかしまぁ、落水しないかと言われればそんな自信もなく。ベルの言葉も僕を案じてのことでしょうから、僕は大人しくまた深く椅子に座り直しました。
話しているうちになんだか吐き気も少し良くなってきて、顔色も戻ったのかベルも元の位置に戻ります。最近は若干虫の居所が悪いのか、移動が足早というか荒いので彼女の軽い足音がダークブラウンの床を鳴らします。
「……あぁ、でもさ」
物憂げにどこか中空を眺める彼女を見て、ふと気になったことを言ってみます。昔から彼女の物言いには反論できないことが多いのですが、これは重要なことでした。
「僕自身の性質はともかく、立場はもういいんじゃないかな……。ほら、ベルも言ったみたいに僕はもう王族でも何でもないわけだし」
第六王子ではなく、『元』第六王子。つい先月、僕は王族ではなくなったのでした。
ロイアウム国王、つまり僕の父にあたる人物が死んだのが今年の始めの出来事。お父様の死自体はお医者様によると寿命によるものだったらしいので不穏なことは何一つなかったのですが、問題はその後でした。……そうです、後継ぎ問題です。
僕が末弟なので王子は合計で六人。長きに渡る政権争いが勃発するかと思われ当事者の一人である僕は戦々恐々だったのですが、蓋を開けてみればそんなことはありませんでした。第二王子の圧勝だったのです。
そうして政争に負けた僕はというと、見事王族の地位さえ奪われてしまい、かつての兄である現国王の命令でこの船旅に出ることになったのでした。
船旅と言っていますが、簡単に言ってしまえば流罪。
そう、僕は島流しの真っ最中なのでした。いや、当事者なので正しくは『島流され』でしょうか。些細な問題ですが。
そしてこの話題はベルの不機嫌の正体だったようで、彼女は犬の獣人らしく低い唸り声を上げながら表情をあからさまに歪めます。
「私はルアン様がそう呑気でいられる理由が全くわかりません。どう考えても不当です。何もかもあの大臣の謀略ではありませんか」
ベルが怒りを露わにしている相手は王国の中でも高い地位にいた一人の大臣でした。お父様が亡くなった後、かの大臣は第二王子を擁立してとんとん拍子に即位させ、そして邪魔者を排除するが如く僕の島流しを決定したのでした。
「あの大臣が純血主義であることはルアン様もご存じでしょう」
「城で会う度にあからさまに嫌われてたのは、うん、なんとなく感じてはいたかな……」
当時を思い出し苦笑いです。
大臣の好みとは生憎僕は生まれた時から違うようで、というのも、僕は他国から嫁いできた姫との間の子でした。ちなみに犬の獣人が従者なのも母の国の慣習で、そういう意味ではあの大臣にとって僕らは目障りこの上ないことだったでしょう。
そんな大臣に僕以上に嫌われていたベルは牙を覗かせながらまだまだ怒りを吐露します。
「おかしいでしょう。仮にも王子を突然島流しだなんて」
「殺されなかっただけマシじゃないかな……」
「ルアン様は馬鹿ですか」
「島流しはもう決まってたことだしさ、僕が騒いでも」
それに、第二王子を良い隠れ蓑にして大臣が牛耳る城がちょっと嫌だったというのもあります。出ていけと言われるのなら出ていきます、みたいな。
しかしベルは不満だったようで。
「第一王子の不在も、母君の暗殺もきっと彼の仕業に違いありません」
「そこまで言うかー……」
しかし話題が話題だけに否定もし辛いのでまた苦笑いです。
母は数年前に移動中に馬車が襲われ、遺体こそ見つからなかったものの行方も知れぬため暗殺されたとされています。あんまり触れたくも触れてほしくもない話題なのでこの辺で。
そして第一王子はというと、父が亡くなる少し前から諸国を巡る仕事に出ていて、王位継承を争っている最中も国外でした。ちなみに第一王子、僕から見ると一番上の兄さんなわけですが、彼は件の大臣の本性を見抜いていたらしい――というのは城の使用人たちの噂です。
とにかく悪い噂の多い大臣ではありますが、あまりあることないこと言うのも悪い気がしていると、表情の険しかったベルの耳と尾が警戒するようにピンと立ちました。
「……妙な胸騒ぎがします」
「ベル?」
犬に限らず獣人族の勘は我々人族のそれより鋭いと言われます。波の音や船員さんたちの声も荒くなった気がして、不安になり立ち上がろうとすると、そんな僕をベルは手で制しました。
「ルアン様、誰かが参ります。それに船が大きく揺れ始めました。お座りください」
耳でそれらの情報を受け取ったのか、何かを警戒する表情のままそう告げられて、僕は再び腰を下ろします。こういう時の獣人族の言葉には大人しく従っておく方が良い、幼い頃母に聞いた言葉です。
そして彼女の感覚は正しく、少しもしない内に船室の戸が荒々しく叩かれます。緊急なのか、僕やベルが許可をする前に船員は中へ転がり込んできました。
「ルアン様、失礼します!」
入ってきたのは見覚えのある、僕の胸の中で大回転していた昼食(だったもの)を運んできてくれた気のいい船員さんでした。しかしその陽気さはどこへやら、ただごとではない雰囲気です。
「進行方向に嵐です! お備え下さいッ!」
「嵐? 避けられるはずでは」
ベルが訝し気に聞き返します。
急に言われて僕もびっくりです。嵐。実際に体験するのはこれが初めてなので大きく揺れ始める船に恐怖半分好奇心半分なのですが、しかし我が(?)ロイアウム王国が海上貿易で栄える国というのは僕も知るところで、そのロイアウムが誇る船乗りたちが嵐の一つも避けられないとは思えませんでした。
「それが……」
船員さんは言い淀むと、正直に事の次第を口にしました。
「海流の影響か、船が嵐の方へ流されており……」
ベルがこちらをちらりと睨みます。まさか! いくら水難の相のある僕とはいえこんな船まで流せるわけがない……と思いたいです。こんなことまで僕のせいにされてはたまったものではないです。
船員さんは更に続けます。
「発生は確かに遠方だったのですが……船より速い速度でこちらに突っ込んできています!」
言っている意味は表面上でしか理解できませんでしたが、つまるところヤバそうです。
そしてそのヤバさはすぐに実感となり。
「では――」
船員さんが僕に何かを言おうとしましたが、その言葉が最後まで紡がれることはありませんでした。
雨が船に叩きつける音が急に強くなったかと思うと、とんでもない衝撃が船体を襲いました。嵐の咆哮と船体が軋む音を耳に受けながら、僕は完全に体勢を崩しました。そしてあっという間に転倒、ぐるんと世界が上下反転したかと思うと、
「あぐぁっ」
意識はここで途切れました。
ついでに吐き気も解消されたので、その一点においては悪くない出来事だったと言えるかもしれ……いいえ、やはり無理です。
こうして僕の『島流され』は『難破』へと見事にランクアップしたのでした。
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