しあわせなひと - Another

水嶋 穂太郎

HappyEnd.

 ひとりの男がいた。

 年齢は30代に差し掛かろうとしていたが、まだまだ20代前半で通るあどけなさと、大人の魅力を醸し出す精悍さを併せ持っている。

 お金ほしさに起業してみたところ、運の良さでは片付けられない莫大な成果をあげてしまい、またたく間に有名人となってしまった。

 言い寄ってくる美女も多く、最初のうちは浮かれて付き合ったりもしていたが、もはや一つひとつを断るのも面倒になっていた。

 尽きることのない資金であらゆる遊戯に興じるも、飽きてしまった。いまではもっぱら慈善団体への寄付をしている。

 はじめのうちは踊るような気持ちになっていた恋からも遠ざかって久しい……。

 純真であった頃の自分を思い出した男は、やがてうつくしい愛を求めるようになった。



 ひとりの母親がいた。

 母親には娘がいた。

 しかし、娘しかいなかった。

 そして、娘は別世界の住人だった。

 母親をもってしても娘の世界を訪れることはできなかった。彼女を理解するために努めたが、世界のとびらが開くことはなかった。

 娘とは重度の障害者であった。

 障害のある娘を育てるために無茶をし続けてきたため、ついに若くして病に伏した。愛する娘のためならばと身を粉にしていたのだから当然であった。仲間も友も恋人も作らず、作れず、ただ娘ひとりを愛しつづけた。娘だけが救いであった。

 自分の死は、不思議と怖くはなかった……。だが残される娘のことを考えると、恐ろしさで目を閉じるのもためらわれるほどだった。

 母親は祈る想いで、世界中にあるメッセージを送った。自分の死後に残される娘をどうか助けてやってほしい――その一心をこめて、……、…………、彼女は逝った。



 ひとりの女がいた。

 年齢は20代になったばかりだが、常人から見てぴたりと言い当てるのは無理のある容姿をしている。

 生まれつき脳に重度の障害があり、生活は困難を極めた。母親の献身がなければ、とうの昔に天へと昇っていただろう。

 その目は異界の生物でも見ているのか、虚空に反応することが多々あった。

 その口は理解不能の言葉を吐き出し、周囲の人びとを怖がらせた。

 その耳は怪音でも拾っているのか、不気味な身振り手振りで周囲の人びとを遠ざけた。

 女はいつも泣いていた。

 悲しいのではない。嬉しいのだ。――世界はとても美しい。

 しかし、すこしだけ寂しかった。――なぜみんなはこの世界を訪れてくれないのだろうか。

 わからずに泣いていた。

 母親ですら自分の世界には来てくれなかった……。

 涙のつたった顔を拭くことなどいっさいしないため、容貌は異形の怪物すら恐れて逃げ出すほどにぐちゃぐちゃとしていた。

 彼女はうつくしい世界にひたすらひとりでたたずんでいる。みにくい姿で待ちわびている。

 いつか誰かが、この世界を訪れてくれると。

 ひとりだけで観つづけた。

 ひとりだけで聴きつづけた。

 ひとりだけで待ちつづけた……。



 女の母親が逝き。

 ほどなくして、男は家族の猛反論を振り切り、女を嫁として迎え入れた。

 男の知名度を考えれば当然のことではあったのだが、世界中のメディアが取り上げるビッグニュースとなった。

 誰もが不思議に思う記者会見場で、まばゆいフラッシュにさらされながらも、男は微動だにせず、一言だけ答えた。


「わたしは、しあわせになりたいのです」


 その日、そのとき、その瞬間に……、ようやく世界のとびらは開かれたのだった。

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