カラーパレット
藍雨
Blue
「わたしは、青をすこしうすめたいろが好きです」
なんの授業だったか、小学生の頃に好きな色について発表する機会があった。
わたしはただ素直にそう答えただけだった。
言った瞬間、担任の表情が固まったのが印象的で、ずっとまぶたの裏に残っている。
他の女の子たちは、ピンクとか、オレンジとか、黄色とか、明るくて可愛い色の名前を挙げていた。
わたしはあの頃からずっと、どうやったって、周りと相容れない。
○
「雑誌、もう買った?」
「あー、まだだ。帰り本屋寄っていい?」
「いいよー」
キラキラ、キラキラ。
周りは派手な色で飾り立てられている。
そして、わたしも。
スカートの丈を短くして、カバンにたくさんキーホルダーをつけて、厚くならないようにメイクする。
そうして作られた高校生のわたしはきっと、あの頃よりずっとずっと、つまらない人間になった。
『青をすこしうすめたいろが好き。』
たとえ周りに苦笑いされても、躊躇いなくそう言えていた頃のわたしは、今のわたしよりずっといい。
でも今のわたしはこの狭い社会で生きていくために、どんどんつまらなくなっていく。
それを悪とするか善とするかの判断はきっと、人によるだろう。
でもわたしは、この変化をずっと、後ろめたく感じている。
放課後、本屋で雑誌の立ち読みをする。毎月欠かさず購入している雑誌の他にも、参考にするべきものはたくさんある。
「ねぇ、この俳優誰⁉︎ めっちゃイケメン‼︎」
「知らないの? 灰田斗真だよ。ほら、新ドラマで主役の」
「あー、やばいかっこいい。あのドラマ絶対見なきゃ‼︎」
きゃあきゃあ騒ぐわたしたちを傍目に、他のお客が小説の棚の方へ向かう。
わたしはちらりとそちらを見て、けれどすぐ視線を雑誌に戻した。
今ここから離れたら、一気に立場が揺らぐ。
考えるまでもないことで、その煩わしさはやっぱり、慣れた今でも時々虚しさを連れてくる。
女子高生数人が群がって、騒ぎ立てて、さぞ他のお客は迷惑していることだろう。
けれどすこしでも水を差すようなことを言えば、それこそ今までのわたしの虚しさも、息苦しさも、なにもかもが無駄になる。
それは駄目だ。
わたしはフラフラと大勢に流されるままの、川の小石のようなちっぽけな存在になってしまった。
身体だけ成長して、心はどこかへ置いてけぼり。
自分自身に対して投げやりで無責任な、こんな人間になってしまったわたしを見て、あの頃のわたしはなにを思うだろう?
暗くなり始めた頃、ようやく本屋から出ることになった。きっとわたしが提案していなくても、ここには来ただろう。飽きもせず、毎日ここで騒ぐのが習慣化しているのだ。
「じゃ、バイバーイ」
「バイバイ」
手を振り、背を向けて歩き出す。
ちょうど、陽の沈む方向へまっすぐに伸びる道。
自分の影も視界に入らず、まったくの孤独の中、ローファーの小気味良い音だけが響く。
コツン、カツン、カコン、コンッ。
擬音はたくさん思いつくけれど、しっくり来るものは見つからなかった。
「ねぇ、なにいろが好き?」
「ピンク」
「うそだ。ほんとうは、青が好きなのに。なんでうそをつくの?」
「嘘なんて、吐いてない」
「ううん、わたしは、わたしにうそをついてるよ」
それはひどく、ひどく、哲学的で。
取り戻したいわたしが確かにそこに居た。
周りに溶け込むためにつまらなくなることを、人は成長と呼ぶ。
そしてそれが諦めだと、きっとみんな知っている。
わたしだって知っている。
あの頃のわたしは、そんなつまらないことは知らなかった。
もっと、空が青いとか、海が広いとか、そんなことばかり考えて、無知で、綺麗だった。
澄んだ、綺麗な、青のような。
知れば知るほど世界は青くなくて、汚くて、だからわたしはきっと、青が好きだと言わなくなった。
すこしうすめた、青。
もうきっとその青は、わたしの手には戻らない。
「あ、ねぇ、えっ、ねぇねぇ‼︎」
朝、ひどく混雑した駅。
声が自分に向けられたものだと気付いて振り返った先に、とても懐かしい顔があった。
「久しぶりっ! やだ、嘘、感激!」
感激。
やばいを連呼する友達に慣れていたせいで、そんな言葉ひとつにも驚いてしまう。
「え、杏花ちゃん……?」
「そうだよ、もう、すぐわかっちゃった‼︎ でもすこし、変わったね」
それは、小学校で六年間ずっと同じクラスだった、杏花ちゃん。
中学に上がる春に、引っ越してしまったけれど、そう遠くに越したわけではなかったようだ。
あの授業で、ピンクが好きだと、率先して答えていた杏花ちゃん。
彼女はひどく大人に見えて、わたしはわたしが恥ずかしくなる。
あぁ、わたしはいつもいつも、なにかとわたしを比べては恥じている。
青を失くしたわたしを、恥じている。
「杏花ちゃんは、変わらないね」
「いやぁ、そう? なんだろう、それは喜んでいいものか……」
明るい杏花ちゃん。みんなの人気者だった杏花ちゃん。
きっと根本にはその杏花ちゃんが居て、その上に今の彼女が在る。
「同じ沿線、ではないよね?」
「みかけたの、今日が初めてだからなぁ」
「どれ、どの沿線?」
案の定違う沿線ではあったけれど、お互いすこし時間に余裕があったので、しばらく話をする。
小学校の頃の思い出しか共通の話題がないので、十分も話した頃にはその話題も尽きた。
時間を確認する。まだすこし時間はあるけれど、頃合いだろう。
そう思ったとき、彼女が思い出したように言った。
「そういえば。いつだったかな、好きな色の授業、覚えてる? 国語だったと思うんだけど」
「……二年生?」
「あっ、そうそう。そのときさ、すこしうすめた青、って言ってたよね? 私あれ、なんだかずっと忘れられないんだよねぇ。自分が何色って言ったのかも覚えてないのに、不思議」
「杏花ちゃんは、ピンクって言ってたよ」
「え、覚えてるの⁉︎ すごい、記憶力いいねぇ」
違う。あの授業のことだけ、忘れられないだけだ。
「たまたまだよ」
でももちろん言葉は飲み込んで、作り笑いをする。
こんな技も、つまらない人間になる過程で身に付けたものだ。
「なんかあの頃から私、ずっと憧れてたんだぁ」
「……え、わたしに?」
「ふふ、うん。照れるなぁ。なんか変なの。でもうん、憧れてた。理由はあんまり、思い出せないんだけどね」
「それ、わたしの方が照れくさいから」
「あはっ、それもそうだねっ。あ、そろそろ行かなきゃ。じゃ、またね‼︎」
すこしうすめた、青。
杏花ちゃんが、わたしに、憧れていた。
「……青」
それは駅の喧騒の中では簡単に消えてしまうような小さなつぶやきだったけれど、でもその青は、わたしの失くしものをすこしだけ返してくれたような気がして。
人気者の杏花ちゃん。
むしろわたしの方が憧れていたはずなのに、だから、ひどく恥ずかしくて、でもその恥じらいはきっと、初めて感じるもので。
すこしうすめた、青。
失くした青が、ふたたびわたしの中に居るような気持ちになって。
「なにいろが好き?」
訊かれたらきっと、今度は素直なわたしのままで、答えられるような気がした。
fin.
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