猫のゆくえ

日暮奈津子

蔵の中(1)

 リビングのソファに座って、妻が原稿用紙をめくりながら小説を読んでいる。

 僕はその様子をうかがいながら、食卓の上のホットプレートで焼きそばを作っている。

 妻は市内の病院で薬剤師をしているが、土曜の午後も病院は開いているので、最後の患者さんの薬を渡し終わるまでは帰れない。

 やっと帰宅して、いつものように慌ただしく夕食を作ろうとしていた妻に、焼きそばくらいなら作るからとにかく読めと僕は言って、買い物袋と引き換えに大判の封筒に入った小説の原稿を押し付けた。

 半分ほど読んだあたりで、妻が「ひくっ」と、息を呑み込むような声を出した。

 やがて、読み進めていくうちに、要所要所で「うわあ」とか、「ひい」とか、動揺がぽろぽろ声になってこぼれるのがだんだん止まらなくなってきたらしい。

 非常に、反応がわかりやすくていい。

 たぶん、そうなるだろうとは、予測していたが。

「できたよ。食べようか」

 妻が最後まで読み終えたのを確認して、声をかけた。

「……で?」原稿用紙を封筒に戻しながら、妻は僕に聞いた。

「なんでこんなものが、君の実家の蔵の中にあったりしたわけ?」

「だから、僕の大叔父さんの未発表原稿なんじゃないかって……」

「君の大叔父さん!」原稿を入れた封筒をテーブルに叩き付け、妻は声を荒げた。

「なんだそれ! こんなものを書いたって!? 君の大叔父さんがか!」

「名前は確かに、おじいさんの弟の名前で間違いないって、父さんは言ってたよ」

「おいおい、ちょっと……。蔵からこんなのが出てくるなんて、やめて欲しいんだけど……」

 ソファの背もたれに妻は背を預け、天井を仰いだ。

「だってこれクトゥルフ神話じゃん!」

 叩き付けた封筒を指差しながら、声がうわずっている。

「あ、やっぱりそうなんだ」

「やっぱりもなにも、ちゃんと書いてるじゃないか! シュブ=ニグラスで、千匹の子を孕む森の黒山羊で、銀の鍵で、星辰の正しき刻って!」

「クトゥルフ神話って、僕はそんなに詳しくは知らないんだよね。ゲームとかで少し触れたぐらいかな。……ラヴクラフトはひと通り読んだって言ってたよね?」

「……それで、私ならわかるだろうと思って読ませたわけか! ええ、そうですねえ、そのまんまシュブ=ニグラスが出てきてる時点で確定って言っていいんじゃないですかねえ!! うわあ、もう本当に……なんなの? 君の大叔父さんってどういう人!?」

「売れない小説家だった、みたいな話は聞いてるけど……」

「ああ、いい。ごめん。とりあえず」妻がさえぎった。

「君もお腹すいてるだろうし、食べよう」

「うん」

「せっかく作ってくれたんだから、あったかいうちがいいよね」

 軽く吐息をついて、妻は食卓に向かった。

 小説の原稿が、封筒に入れられたままリビングに置き去りになる。

 その封筒の表にはこう書かれていた。


 『青い回廊と西王子家断絶の次第  神原泰明』



(続く)

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