レベル70『静寂たる』サンデー1
「すまないが、君とは付き合えなくなった」
「……え?」
ある種の芸術品のような鍛え抜かれた細身の体躯が、見るからに憔悴していた。
整った童顔にはうっすらと髭が生え、目の下にははっきりと濃い隈が浮かんでいる。
皺一つなかった袖の広い、キョンシーが着ていそうな服だってぐちゃぐちゃだ。
「……どうして?キミは言ったじゃない」
「すまない。だけど、僕には妻と娘がいるんだ」
「それは最初からわかっていたでしょ?なのに」
「すまない。僕にはそれしか言う言葉がない」
「すまないって謝られたって……!」
頭を下げる姿は本物だ。
誠意をこめて、確かに謝っている。
だけれど、それで私が納得出来るはずはなくて。
「でも、待っていて欲しいんだ。絶対に君の元へ戻ってくる」
「どうやって信じろって言うの!奥さんと子供がいるんでしょ!」
「……ああ。だが」
「言い訳しないで!」
「誓うよ。僕は絶対に戻ってくる」
「簡単に約束を破った後に誓うよ?笑わせないで!」
言葉は、なかった。
荒野に吹く風が、彼の下げた髪を揺らす。
てっぺんの髪は、なかった。
あまりにつるつるとした、まるで赤子の肌のような血色の良さ。
綺麗に、ハゲていた。
「それでも……頼む」
悲惨な光景だ。
頭を下げなければ、相当な長身の彼のハゲには気付かない。私も初めて気付いた。
だが、童顔で若々しさの残る中年男が、こうして頭を下げれば、このつるりとした頭が嫌でも目に入ってしまう。
正直、ちょっと復讐心がゆらぐ。
いっそ全て綺麗にハゲてしまうか、剃ってしまった方がいいのでは、と思うくらいの可哀相な感じだ。
「……せめて、頭を上げて理由を話して」
「君が許してくれるまでは、頭を上げられない」
笑いそうになるからやめて欲しいんだけど。
他人の身体的な特徴を笑うなんて、人としてどうかと思う。
だけど、爽やかなイケメンがつるっとしてると、言葉にならない笑いがこみあげてくる。
本当に、本当に、ほんっとーに申し訳ないんだけど……ヤバい。
普通の中年男性が薄毛の方であっても、「そういうものなんだな」としか思えない。
女だって出産すればスタイルが崩れる。病気をすればハゲる時もある。おっぱいだって小さくなるだろう。
だけど、私の中にあった、こういう物だという常識から大きく外れてしまって、なんかもうほんとダメ。
多分、あのルビーもそうだと思うんだけど、夜な夜なジョークを考えて、一人でゲラゲラ笑ったりしている。
私にはそういう……言葉にならない妙な笑いのツボがあるのだ。
ここで頭を下げる彼に「復讐じゃボケェ!」と襲いかかった所で、私の復讐は本当に成せるのだろうか。
最終的になんやかんやあって全員を倒した私は、きっとなんかいい感じの丘の上で「終わったよ、メリーポピー……」と呟くだろう。
その時、私の脳裏を流れるのは、過去に倒した強敵達の姿だ。
アグネス、ルビー、変な爺、あと知らない人達に勇者。
そして、つるりとしたイケメン。
笑わない自信は、まったくなかった。
シリアスがここで終わってしまう。
「…………わかった。待つ。でも、理由は話して」
「ああ……妻と娘がさらわれた。二人を助けるまで、死ぬわけにはいかなくなった」
そ、そんな話をされて、関係のない私にどうしろと言うんだ。
どうしてこんな事になってしまったのか……話は少しだけさかのぼる。
ルビーを倒した後、外に出た私を待っていたのは、それはそれはひどい光景だった。
動いていたはずの村人達は、口では言い表せないくらいにドロドロの血と膿をまき散らしながら溶けていった。
取る物も取らず、まぁほとんど持っていなかったが、逃げるようにして村を後にした私である。
邪神でも現れたかのような凄惨な光景から、一人だけ逃げ出すエルフ。
これが推理小説なら怪しすぎて、怪しくないというレベルだが、残念ながら推理小説ではない。
下手に誰かに見付かったら、間違いなく通報されてしまう。
……村に来るまでに出会ったのは、山賊だけか。
口封じの心配はしなくてもよさそうだ、などと余計な心配をしながら昼夜兼行の強行軍で移動する事、二日。
人間が普通に歩いたら単純で四日分の距離だろうか。いや、休憩やら食事やらが入ってもっと遠いのか。
徒歩で大体、四日か五日分の距離で言うと栃木からどこまでいけるんだろう。
埼玉まではいけるだろうか。
(おそらく)栃木と埼玉よりは遠い距離を移動してみると、森からはいつの間にか抜け、辺りは荒野に変わっていた。
西部劇のような赤茶けた荒野に、風の浸食を受けても未だに崩れない岩山があちこちにごろごろしている。
ここで、私はようやく気付く。
「どっちにしろ指名手配されてるんだから、逃げる必要なかった……」
アグネス殺しでさえ、多分一大事だろう。
なにせ勇者サマパーティーの一員を殺してるわけだし、そこに邪神降臨伝説が一つ加わった所で大した差はないような気がする。
しかし、いざ自分がやってもない濡れ衣をかけられたら、冷静にはなれない。
前世で一度だけ、そういう濡れ衣をかけられた事があった。
夜遅くコンビニに買い物に行った帰り道の事だ。深夜にどうしてもアイスを食べたくなったのだ。そういう時は誰にだって平等に訪れる。
そう……生と死が平等に訪れるように。
我が家への帰り道、行きは何もなくて変質者が出たなんて聞いた事もないような、気が抜けても仕方ないような道のりだ。
角を曲がったら、人が死んでいた。
現実には伏線なんて、これっぽっちもない。意味深なBGMを流して、「ここで怖いの出てくるよ」とアピールして欲しかった。
死ぬほど驚いた私は奇声を上げ、全力疾走で逃げ帰ってしまう。
いや、あれはさすがに誰だってそうだと思うんだ。
冷静に対応しろ、と言われても困る。
しかし、そのいかにも怪しげな私を見ていた人がいたらしく、朝日が昇る前に私の家に警察がこんにちは。
日本の警察は優秀だなあ……などと思いつつ、任意同行を求められてしまった。
断る気になれば断れる、と聞いた事はあるが本当の所はよくわからない。
それどころか動揺していた私は、こう言った。
「わ、私じゃないんです!本当です!」
挙動不審で、いかにも怪しい。
警察署に連行された私は、もちろん冷静になんてなれるはずもなく、まるで見苦しく抵抗する犯人のように三日に渡って弁解していた。
もし三日目に真犯人が捕まっていなかったら、このまま犯人にされてしまうんじゃないか……と思っていたのは私だけだったらしく、泣きわめき続ける私を相手してくれていた警官の人達は「話を聞かせてもらおうとしただけなのに、ずっと泣き続けられてどうしようかと思った」と苦笑いを浮かべて見送ってくれたのを未だに覚えている。
本当にごめいわくをおかけしました。
そんな恥多き人生を送ってきた私は、変な爺に渡された三つ目の地点……荒野の町に到着したのだった。
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