第30話

 頼継が問えば、栄は迷い無く「はい」と答えた。


「晴信様が民の訴えを汲み、お父君を追放なされたと聞いた時、私も憂うばかりではなく、私腹のために同胞を苦しめている父を廃そうと思い極めました」


 決意のこもった栄の瞳を、頼継はしっかりと見返し破顔した。


「民を深く思う栄殿のお気持ち、この頼継の胸にしかと留め置きました」


 栄の顔が、みるみる赤くなる。うろたえつつ頭を下げた栄が、か細い声で「もったいのうございます」と答えるのを、晴信は不思議な心地で見つめていた。


 * * *


「晴信様」


 愛妾の館を後にしてから、何事か考え込んでいた頼継に声をかけられ、晴信は心持ち背筋を伸ばし、はいと答えた。かしこまる晴信に柔和な笑みを浮かべた頼継が、道端の河原を示す。


「少し、寄り道をしてから戻りませんか」


 提案の形を取ってはいたが、頼継の瞳は厳しかった。何か重大な話があるのだろうと察し、晴信は頷いた。どこに誰がうごめいているのかわからない。そういう状況下であるから、頼継は人気が無く見通しの利く場所に誘ったのだろう。


 晴信は馬を下り、手綱を引いて河原へ進んだ。馬は耳を振ると首を伸ばし、水に口をつけた。頼継の馬も、晴信の馬と並んで水を飲んだ。


 のどかな空気が漂っている。水は穏やかに流れ、周囲を包む草木は青々としていた。空も心地よく澄んでいて、草に寝転び昼寝をすれば、さぞ良い夢を見る事が出来るだろう。


 深い呼吸をした晴信は、くつろいだように見せながら、心の中は厳しくひきしめていた。霧衣の行く末を決定する策の渦中にいるという覚悟が、晴信を無意識の緊張で縛っていた。


「栄殿は、信用がおけそうですな」


 世間話をするように、頼継が言う。晴信はそれに、にっこりとした。


「頼継がそう言ってくれると、ありがたい。克頼にも伝えてくれないか」


「あれは少々頭が良すぎて、人を疑う事に忙しい」


 ですが、と頼継が馬の首をなでる。


「疑う目も、また必要」


「わかっている」


 担ぎ上げられるように、父を追放するという罪を犯した晴信は、里を見回り政務を行っているうちに、国主としての覚悟が芽生えはじめていた。無かった、というわけではない。意識としては、自分が父になりかわり国を治めると思っていた。だが、それに実感がともなっていなかった。


「一人では、この広い霧衣を治める事などできはしない」


 父は独裁に走り、道を誤った。自分はそうはなるまいと、晴信は怯えた目を向けてくる民の姿を思い浮かべる。


「俺とは異なる視点や意見を持つ者がいなければ。そして、その者の言葉を耳に入れるよう心がけておかなければならないと思っている」


 晴信の目が、揺れる水面に注がれる。そこに映る自分の姿は、横に並ぶ頼継と比べれば幼く頼りない。その息子の克頼や、先ほど会った栄。紀和で待機をしている隼人と比べても、力も知識も不足をしていると感じている。


 自分のふがいなさを改めて認識した晴信は、そっと拳を握った。


「まわりの意見に流されぬようにする事も、大切とお心得ください」

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