竹取ノ翁が再びかぐや姫に会う、たった一つの冴えたやり方

だるぉ

不死の薬を渡した理由


 かぐや姫が月に帰ってから随分と経った。


 しかし具体的にどれくらいの時間が過ぎたのかと訊かれれば、儂はその問いに答えることができない。


 たった一週間か、もしくは一ヶ月か、それとも一年か。


 ひょっとすると一日だって経ってないのかもしれないけれど、果たして正しい日数は定かじゃあない。


 というかどうでもいい。


 この際、何がどうだろうが構わないのだ。


 実の娘のように愛してきたかぐや姫を失い、まともに日数を数えることも出来なくなってしまったほど正気を失った儂にとっては、もう全てがどうでもいいのだから。


 自暴自棄になったと言えばそれまでだ。


 何よりも大事にして育ててきた彼女に別れを告げられた瞬間から、儂はこうなってしまった。


 心配した婆さんが持ってきてくれる飯すらろくに手もつけず、きっと糞尿は垂れ流しで、すっかり寂れてしまった家の隅で膝を抱えてうずくまることしか今の儂にはできない。


 正気をなくしたどころか、精気や生気だってなくし、代わりに瘴気で溢れている。


 どうだろう、もはや屍も同然なんじゃあないだろうか。


 それだけかぐや姫が月に帰ってしまったという事実は、儂の心にポッカリと穴を開けた──なんならこのままポックリ逝ってしまいたいくらいに。


 そうだ、もう死んだっていい。


 かぐや姫がいないこの世に、これ以上生き長らえたって仕方がない──苦痛でしかないのだ。


 痛感する。


 儂は無力だと。


 あの夜、使者に迎えられ泣く泣く月に帰っていったかぐや姫の姿を、儂はただその場に立ち尽くして眺めていただけ。


 一緒にいた帝やその家来は抵抗していたけれど、儂は神通力を扱う使者たちに恐れをなし、彼女のために何かすることはできなかった。


 その気になれば、竹取の鎌を振るうくらいできただろうに。


 しかし今となっては後の祭り、証文の出し後れと言ってもいい。


 彼女を取り戻すことが出来なくなった今、儂が何をしたって全てが手遅れなのだから。


「ならば後悔したって仕方がないじゃないか。気持ちを切り替え、月に帰ったかぐや姫が心配しないよう前向きに生きるべきだ」


 人間の出来たやつならそんなことを言うのかもしれないが、生憎なことに儂は賢者でもなければ君子でもない。


 その正体は竹を切ることしか能がない、しがない竹取ノ翁である。


 だから儂は後悔する。


 あの時の自分を悔いて惜しんで、恨んで恥じる──もう過ぎ去った過去のことを、未だに儂はずっと脳裏に浮かべるのだ。


 かぐや姫。


 光る竹から生まれた不思議な不思議な女の子。


 その成長速度はモノノを彷彿させるものがあり戸惑いはしたけれど、それ以上に、子供に恵まれなかった儂の喜びは絶大だった。


 溺愛だ。


 かぐや姫の可愛さに、儂はずっぷり溺れていた。


 目に入れても痛くないとはなるほどよく言ったもので、確かに当時の儂は、彼女をまぶたの裏にしまい込もうがきっと躊躇わなかっただろう──いや、むしろまぶたの裏に隠しててでも、かぐや姫を使者に渡すべきではなかったのかもしれないが。


 駄目だ。


 何を思っても最終的には後悔に至ってしまう──あゝ、なぜかぐや姫は帰ってしまったんだ。


 あの空に浮かぶ、およそ翼のある鳥たちですら辿り着けないような月なんかに。


 これじゃあいくら会いたいと願っても、お前を一目見ることすら叶わないじゃないか。


 不死の薬。


 別れ際にかぐや姫が唯一残したものを、ふと思い出す。


 名前から推測するに、飲めば不死になる超常的なものなのだろう。


 普通に考えればありえない話だが、正体が月の人という、そもそもが超常的なそれだった彼女の物だというのだから、それなりの信憑性は帯びてくる。


 廃人と化し、もはや文字通り灰色の脳細胞になってしまったかもしれない儂の記憶が正しければ、それは確か、懐にしまったはずだ。


 思った儂は、今更それを飲んでやるつもりは毛頭ないが──坊主の毛ほどにないが、それでもかぐや姫との思い出にすがろうかと思い、懐を探る。


 あった。


 不死の薬だ。


 それはこぶし大ほどの巾着で、その中にさらさらとした粉薬が入っている。


 世に売れば多額の金になり、今からにでも人生をやり直せるかもしれないけれど、そのつもりは全くない──砂状の粉薬ほどない。


 どうしようか。


 特に意味はないけれど、富士山のてっぺんで燃やし、それと一緒に儂も燃えて終わりにしてしまおうか──いや、待て。


 自殺衝動にかられる既のところで、思いとどまった。


 そして新たに思考を巡らす。


 どうしてかぐや姫は不死の薬を残した?


 もちろん老いぼれである儂に、長生きしてほしいという願いがあったのかもしれない。


 けれども気立てが良く、察しのいい彼女のことだ。


 自分が月に帰ってしまった後、残された儂が長生きを望まないことくらいはわかっていたはず。


 それこそ儂がここまで堕ちてしまうのだって、予想していたのかもしれない。


 なのに不死の薬だと?


 あの心優しいかぐや姫が、あの状況でそんな物を渡すだろうか?


 これはどう考えてもおかしい、何か他の理由があるはずだ。


 もちろんこれは儂の勝手な推測に過ぎず、独りよがりの希望的観測とも言える。


 雲中白鶴とも言えたかぐや姫にだって至らぬ点はあっただろうし、もしかすると彼女が心優しいがあまり、本当に本心から儂や婆さんの長生きを願っただけなのかもしれない。


 だから彼女に真意を訊けない今、儂がどれだけ考えたってそれは机上の空論だ。


 そんなことはわかっている。


 しかし、だからと言って考えないわけにもいかない──考える義務が、儂にはあるのだから。


 だって子の心を理解してやるのは親の務めだろう。


 例え血が繋がってなくても儂はかぐや姫の親であり、そうありたいと願っているのだから、彼女のことを理解してやるのが道理ってものだ。


 かぐや姫の意図はなんだ?


 あの娘はあの時、何を思って儂に不死の薬を託した?


 思った儂は、今度こそ本当の意味での灰色の脳細胞を働かせる。


 考えろ、考えろ、考えろ。


 泣く泣く月に帰って行ったかぐや姫の側に立って、儂に不死の薬を残した意図を考えるんだ。


 それさえわかれば、後は絡まった糸が解けるように、一気に全てが解決する可能性だってある。


 そうして果てしない推理を重ねた結果、儂はとある答えにたどり着いた。


 もしかするとそれは違うのかもしれないけれど、思慮深く遠慮深かった彼女のことを考えれば、ある意味それは正解なのかもしれない。


 ごくん。


 不死の薬を飲み込んだ──果たして、儂は不死になった。


 これで永遠に生きることができる。


 そして同時に、不死なのはこの薬を持っていた月の人、かぐや姫だって同じだろう──そう、


 我ながらとんでもない賭けに出たものだ。


 愛しいかぐや姫のことを思えば、そんな代償は屁でもないが。


 さて、これで儂に出来ることはいよいよ無くなった。


 あとはひたすら根気強く、その日が来るのをじっと待つだけだ。


 例えその日が何百、何千年先になろうが構わない──だって不死になった儂は誓ったのだのから。


 「どうか迎えに来てください。私はずっと待っていますから」


 そんな一言すら言えなかった、慎ましいかぐや姫を迎えに行くため。


 いつか人類が月に行けるようになる日が来ると信じ、それまで儂は生きると誓ったのだった。

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