case 10

 小さな頃から人のまわりにオーラのようなものが見えた。その時々で色や形は変わる。大人になるにつれてそれが感情を表しているのだと気づく。悲しみは青、怒りは赤、喜びは黄緑といった感じで、私には感情が色で認識できてしまう。この力のおかげで、三原静(みはらしずか)は上手く世渡りをしてきた。

 子供の頃はこの力を憎んでいた。それでも、その辺の折り合いはとうについていた。今はこの力に感謝している。


 人間は常に何かしらの感情を抱いている。普段はオーラの大きさはわずかだが、目を凝らせばその人の状態はなんとなくわかる。

 だから私は機嫌の悪い人間には不用意に近づかない。


 ある日、私の会社に転職で1つ下の男の子が入社してきた。名前は島崎彰(しまざきあきら)。

 私は、その子を見たとたんゾッとした。オーラがなかったのだ。初めてのことだったので彼が人間ではないのかと思った。まぁ流石にそれはないだろう。

 入社から一月が経とうとしているが彼の色は一色も見ていない。感情がないってどういうことだ?どんな環境で育てばこうなるのだろうか。


 ある朝、エレベーターで乗り合わせることになる。

「おはようございます。」

 先に挨拶をされた。礼儀は正しいが何も感じていない様子だ。

「おはようございます。」

 私は恐る恐る訪ねてみた。

「あ、あのさぁ。兄弟とかいるの?」

 その瞬間わずかに色をまとう。その色はどす黒く仄かに赤が混じる。初めて見る色だ。明らかに気分を害している。それでも彼は表情ひとつ変えない。それがさらに恐かった。

 無意識に私は一歩後ずさる。それは本能がそうさせたのだろう。

「三原さんでしたっけ?貴方には何かが見えているんですね。だとしたら尚更僕には関わらないでもらいたい。特に家族のことは話したくないのです。すみません。」

 仮面のような乾いた笑みを浮かべそう言った。目的のフロアに着くとまた薄っぺらい笑顔で会釈をして出ていった。


 このときから私は彼が気になって仕方がなかった。飲み会の席で上司に冗談ぽく聞き出すが、事情を知る者は皆、同じように困惑の色が浮かび上がる。そして適当に話を濁されるのであった。


 絶対彼にはなにかある。それでも全く核心にたどり着けないまま年の瀬を迎えてしまった。

 

 忘年会の席で彼と隣になってしまう。席順は偶然そうなったので驚きつつも動揺は悟られないように気を付ける。

 いつものように彼は無色だった。

 宴会は進み、大騒ぎだ。そんな中、小声で話をかけられた。

「俺のこと探ってるんだって?何かわかった?」

 いきなりで驚いたがお酒が回っていたおかげで平常心を保つことができた。

「全然。そこまで把握してるなんてよっぽど知られたくないのね。まぁそのうちつきとめるけどね。」

 チラリと盗み見るが色を帯びない。

「それを知ったところで誰も得しないよ。」

「そんなのわかんないじゃん。」

 だってあたしは知りたいんだもの。

「真実が分かってそれでもし…俺が人を殺してたらどうする?」

 冷たい目が私を覗く。

「殺したの?」

「さあね。」

 長い沈黙が流れる。

「少しだけ教えてあげるよ。俺は人を殺してない。でも俺以外の家族は皆もうこの世にいないんだ。ある日から俺は何も感じなくなった。俺は生きてていいのかもわからない。弟に…いや、何でもない。」

 少しだけ青が滲む。悲しみの青…

 彼は何も感じないと言ったがそれは嘘だ。やはり普通の人間だった。他人より感情を押さえ込むことに長けているのだろう。そうさせたのは彼が今、口にしかけた家族ことが深く関係しているはずだ。

 彼を助けたい。彼にもっと笑って欲しかった。一歩踏み込んでしまったらもう引き返せない。彼をもうほっとけない。

「日曜日空いてる?」

「たぶんあいてるかな。なんで?」

 彼は怪訝な表情を浮かべる。

「デートしましょう。」

「なんでそうなるのさ?」

 彼は呆れている。

「あんたさっき何も感じないって言ったでしょ?でもそれは嘘。だって弟さんのこと話そうとしてたときあんた悲しんでたもん。」

「いや、そんな言い切られても悲しいかどうかは本人にしかわからんでしょ。」

「分かるのよ。エレベーターで最初に話したときも貴方の感情が見えたわ。私には感情が色で見えるの。理解できた?」

 少し考えて彼は再び口を開く。

「なるほどね。勘が良いだけじゃなかったんだ。まぁそれはそれとして、デートするって話は関係あるの?」

 食い付いてきたな。

 私はある決心をした。自信もある。

「私があんたに感情ってものを教えてあげるわ。ついでだから初恋ってやつも教えてあげる。だからデートするのよ。」

「あんたちょっと、いやだいぶ頭おかしいな。あんたみたいな人は初めてだよ。面白い。俺があんたを好きになるかは知んないけどよっぽどの自信があるみたいだな。わかった。日曜日は空けておくよ。」

 彼は気づいていないだろう。自分の中に既に喜びや希望に満ちた感情が沸き上がっていることに。

 鮮やかに色めく彼のわずかなオーラが揺らめく。それだけで私は幸せな気持ちになる。

 私自身彼を好きになるかはわからない。それでも私たちは深く関わるべきだと思った。

 私にこの力が芽生えたのは、もしかすると彼と出会うためだったのかも知れない。


 

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