18 原子力村と反原子力村
2038年、全発電所の廃止計画が閣議決定された。原子力のみならず、天然ガス・石油・石炭炊き火力、水力、地熱、メガソーラー、メガ風力のすべての発電所である。これによってエネルギー政策の転換は完成した。
原子力発電所の全廃は脱原発派(反原子力村)の悲願だった。火力発電所の全廃は地球温暖化問題対策の至上命題だった。大規模な多目的ダムが地震を誘発しているという隠蔽された真実もついに暴かれた。水力発電所の全廃は自然保護団体やナチュラリストの念願だった。地熱発電所はそもそも採算性が全くなかった。メガソーラーは強引な地上げによる農林地コミュニティ破壊、屋根貸し詐欺(借り逃げ)、使用済セルの廃棄処分方法(アモルファス汚染)が問題となっていた。メガ風力はバードストライク、低周波騒音、景観破壊から批判が大きかった。
発電所に代わる電力源はオンサイト電力センターである。その多くは溶融炭酸塩形燃料電池(MCFC)か固体酸化物形燃料電池(SOFC)を採用していた。しかし、燃料電池だけでは完全に発電所の電力を代替するには至らなかった。
現在、オンサイト電力センターの主流となっているのは5S方式である。5Sとはスーパーセーフ・スモール・シンプル&サステナブルの略である。これは旧東芝が開発した小型ナトリウム冷却高速炉4Sの改良型で、100年間燃料交換がいらない原子力電池である。5Sの完成で全発電所廃止の見通しが立つと同時に、5Sは日本の重要な輸出商品になると期待されていた。5Sは1基百億円であり、100基で1兆円の契約になるのである。虎の子の半導体事業を売却してまで守り抜いた新東芝の原子力事業の起死回生でもあった。
しかし5Sは紛れもなく原子炉である。しかも原発と違って都心に設置される。いかに超安全とはいえ、工場やマンションや駅の地下に原子炉が設置されることに反原子力村が黙っているはずがなかった。
だが原発廃止にもかかわらす、原子力村はますます意気軒昂である。5Sよりもコンパクトな電源として、核ダイヤモンド電池(ラジオアイソトープ・ダイヤモンド・バッテリー)の普及も始まっている。これは放射性炭素14をダイヤモンドに加工して安定させ、そこから放出される放射線を電気エネルギーに変換する電子力電池である。ダイヤモンドのかわりにカーボンナノチューブを使った積層式超高密度超高出力電池もある。放射性炭素14もまた核廃棄物を再処理して抽出される。半減期は5730年であり、今後1万年以上エネルギーを安定供給できるとされている。
さらに核ケミカル電池(ヌークリア・ケミカル・フュージョン・バッテリー)の研究も継続されている。これは低温核融合電池(コールド・フュージョン・バッテリー)ともいい、化学的に常温核融合を起こして放出されるエネルギーを電気エネルギーに転換する原子力電池である。
原子力発電所は全廃されても、原子力エネルギーの時代は続くことになる。そこで全原発廃止を実現した反原子力村の今を取材してみた。
原子力村が原子力開発にかかわる政官民学の揶揄であるのに対して、反原子力村とは文字通りに原子力開発に反対する人の住む村である。原子力発電所の電力を使用しないため、電力会社の電力を一切使用していない。電力会社は相互に電力を融通しているため、原発がない(全原発停止中の)電力会社の電力にも原子力発電所の電力が供給されている。また、原子力発電所の電力で製造した工業製品を使用しないため、すべての工業製品を使用しない。従って自家発電装置もない。
食料は自給している。なぜなら食料品店は照明や冷蔵庫に電力会社の電力を使用しているし、商品の製造も同様だからである。農業はすべて人力による有機農法によって行われている。農業機械はもとより、市販の肥料や農薬は使用しない。これらは機械工場や化学工場で製造されており、原子力発電の電力が使用されているからである。食料を調理する火力は薪を使用し、調理道具や食器は自製の土器を用いている。
石油もガスも燃料にも暖房にも使用しない。原油や天然ガスを運搬するタンカーの製造にも、石油やガスの精製にも原子力発電所の電力を使用しているからである。またパイプラインを建設する資材や重機や重機の燃料もNGである。食用油は植物から人力で絞っている。
住宅は建材の切り出しから製材、建築まですべて人力によって行っている。また市販の大工道具は使用できないので、鋳造から自力で行っている。衣料や寝具も手作りである。
すなわち反原子力村は完全自給自足の村である。
決定的な問題は、この村には情報がないことである。パソコンもスマホも充電できない。ソーラーパネルの製造にも原子力発電所の電力を使用しているから、ソーラー式充電器すら設置できない。そもそもパソコンもスマホも工業製品であり、原発のない国のメーカー製でないと使えないのだが、部品まですべて原発のない国のメーカー製か調べるのは難しい。同様にしてテレビもラジオもない。新聞も雑誌もない。これらの配達にはガソリンを使用するからである。書物もない。印刷にも電力が必要だからである。
この村には子どもがいない。学校がないからである。学校には情報が必要である。教育が必要な子供に犠牲は強いられない。子供は短期間の自然教室に参加させるのみである。
この村には病人がいない。病院がないからである。急病人が出ても救急車が乗り入れることもできないし、救急車を呼ぼうにも電話がない。従って高齢者もいないし、障碍者もいない。
反原子力村の住民は、遅ればせながらもようやく日本政府が軽水炉型(加圧水型又は沸騰水型)原子力発電所の全廃を決めたことは評価していた。しかしこれにかわって5Sの普及が推進されることにも、数十年にわたる軽水炉の運転によって蓄積されてしまった莫大な核廃棄物が5Sの燃料として再処理されることにも反対していた。結局の所、昭和の時代に計画された核燃料サイクルの延長線上に5Sはあるのだ。
しかし現実論者もいた。核廃棄物をそのまま貯蔵しているだけでは10万年経っても放射能は消えない。ところが5Sの燃料にすれば100年で放射性物質を使い切ってしまい、核廃棄物はほとんど出ない。全国に1万基の5Sを設置したとすると、すべての核廃棄物を1000年で使い切ってしまう計算になる。10万年という天文学的数字よりはずっとイメージしやすい数字である。しかも今後1000年間、日本はエネルギーを輸入する必要がなくなる。もっともそのためには再処理工場の能力を1000倍に増強しなければならない。再処理工場の安全性も5Sの安全性も、反原子力村の人々からみれば怪しいものだった。ナインナイン(99.9999999%)の安全性でも彼らは満足しない。いや9が100個連らなったとしても安心しない。
それでもあきらかに反原発村の人々は動揺していた。5Sは地域のオンサイトエネルギー源として導入されるのだから、5Sのない地域の電力なら原発の電力を使っていることにはならないのではないかとこじつけて、燃料電池式オンサイト電力センターを当面温存することが約束されている地域に移住する者も現れた。
それでも反原子力村は健在である。原子力村があるかぎり、反原子力村を離れない人も必ずいる。なぜ無電力生活をしてまで原子力に反対しなければならないのだろうか。それはもはやハラール(宗教的な禁忌)なのだとしか言いようがない。
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