REVOLVER

はとぬこ

No.1



それは、幸せな記憶のはずだった。


いつも遊んでいる公園で、たんぽぽが咲いている上を踏みながらブランコに乗る私と、隣のに腰掛ける母。私のブランコを揺らす父。

どこにでもある、ありふれた日常の一コマ。


「海に行きたいな」


「山でも良いんじゃないか」


「でも、やっぱり家が一番かしら」


ブランコに乗って上下する視界の後ろで、微笑みながら話す両親にぽかぽかとした温かいものが心に響いていく。きっと、次の休みに出かける場所でも話してるんだろう。


「優はどこがいいかい?」


一番高いところへとブランコに連れていかれながら、父が私に聞いた。ふわりと、宙に浮いた足に風が吹く。


「うーん。…どこでも良いの!?」


「もちろんさ」


「ええ、優の行きたいところで良いのよ。」


大好きな母の優しい声に胸がはずんで、嬉々としてブランコから勢いよく飛び降りる。慌てる父になんか目もくれず、両手をいっぱい空へとひろげた。


「優ね!!」


大きく、大きくその手で丸を描く。


「お月様に行きたい!!」


目をきらきらと輝かせて、その日一番の元気な声をあげた私に、両親は目を丸くして、やがて二人で見合わせてくすりと笑いあった。なんだか、今日の2人はいつもと違う気がする。いつもは、2人とももっと──


「優は本当に楽しい子ね。」


母が寄り添って、私のことをぎゅっと抱きしめた。大好きなママの匂い。でも、どうして肩が震えているの。微かに揺れるその振動が、日常と異なるその部分がなんともいえなくて怖い。


「…ママ?」


訪ねれば、母のかわりに父が私の頭をそっと撫でた。


「大丈夫だよ」


いつもは厳しい父の朗らかな声。

その声にうん、と頷いて、母を抱きしめ返す。母の肩がより一層震えた気がした。


「優、」


母が、わなわなと唇を震わせて、私の耳元に頭を寄せる。


「…優、ママとパパはね、優のことを愛しているからね。」



──本当は、幼いながらにどこかで、私は2人の異変に気づいていたのかもしれない──



だけど。


「うん!私もママとパパがだーいすき!!」


無邪気だった私は、思いっきり両親に抱きついて、えへへ、と頬を染めただけだった。


もし、この時何か違うことが言えていたら。

もし、何か出来ていたら──。


鼻歌を歌いながら、片方ずつ繋いだ手を揺らして歩く帰り道に、当然のように私は、幸せな日常が、未来が続いていくのだと信じてやまなかった。





***




「ゆう!! ─優ッ!!」



ハッと気づいたとき、ひどく大きな声が聞こえた。なぜだろう、うまく呼吸が出来ない。喉が苦しい。なんで? 手が震えてる。身体中が痛い。暑い。苦しい。


どうしようもなくなって、胸元をおさえると、その手が勢いよくごつごつとした大きな手に奪われた。呼吸音が頭に響く中、ただかすかに低い声が聞こえる。


「優ッ!大丈夫だから!!ゆっくり息しろって!!」


「ハアッ…うう…はあっ、」


大粒の涙でゆれる視界を必死に動かして、その人のもとへあげると、ひどく頬が紅潮していた。額に汗が光り、何度も何度も私の手をゆすっては同じ言葉を繰り返してる。

朦朧とする視界の中で、ぼんやりと、その手には安心感があった。


「ううッ…はあっ、はあっ、」


「ほら、俺がいるから!」


「はあっ…はあっ…」


「ずっとそばにいるから!大丈夫だよ、優ッ!」


辛い。苦しい。息できない。

でも、彼の声は聞き覚えがある。安心、する。ひどく震えているその声に、かすかな力で手を握り返すと、彼は唇をぎゅっと結んで、大げさになんども頷いた。だんだん、呼吸の間で、現実が少しずつ開けていく。



──ああ、そうか。

私、またあの頃の夢を見ていたのか。



夢が夢だと気づいた瞬間、溢れた涙が頬をつたった。



「すぐ…る…」


発作のなか、乾ききった喉で名を呼べば、彼は涙を流して私のことを引き寄せる。大好きな、大好きなかけがえのない人。強かった力が次第にやわらいでいくと同様に、少しずつ呼吸も楽になってきた。

抱きしめられたまま、比較的鮮やかになった視界で辺りを見まわせば、そこはつい最近転院してきた病院のベッドで。傑の着ているシャツはぐっしょりと汗に濡れていた。


「…ごめんね」


ぼーっとした頭のまま紡いだ言葉に、彼はただ首を横にふる。少しずつ動かせるようになった腕をどうにか彼の頭へ持っていけば、腕につながれていたらしい、点滴のチューブが揺れた。そのまま、再び抱きしめられる力が強くなる。ぽんぽん、と控えめに頭を撫でれば、察したように体温はゆっくりと離れていく。

よれよれの髪に、下手くそな笑顔。目にくまが出来てるよ。いったい何時から、私のそばにいてくれたの。


「また、ご両親の夢か?」


近くにあった椅子に倒れ込むように座ると、彼は緊張が溶けたのか深く息を吐き出した。


「…うん。」

「そうか。」


そう言ったっきり、彼はナースに私が落ち着いたことを伝えるために病室を去っていった。





静寂の訪れた部屋に、やけに煌々と電灯だけが輝いてる。襲いかかってくる現実に目を向けたくなくて、現実から逃げ出したくてベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめた。

今でもまだ、手が震えてる。




末期ガンを告げられたのは、傑と婚約して1ヶ月経った頃だった。24歳の春。

…ちょうど、両親の享年と同じ歳。


そっと、目を閉じれば今でも思い出せる、幸せなあの春の夢。そして、悲痛に変わる悪夢のような全て。

あの日の晩、満月の夜に両親は私を置いて近所の展望台から飛び降りた。目が覚めたら誰もいない恐怖、不安。信じ難い現実。聞かされたのは、母は重度の心臓病で残りわずかな命だったらしいこと。そして、多分─あの日の会話は、心中場所を決めるための会話だったこと。私がお月様に行きたいって言ったから、2人は──。


「どうして一緒に連れてってくれなかったの。」


枕によってくぐもった私の声は、空には届かない。“ママ、パパ”と何日も泣き続けたあの頃と同じ。しっとりと濡れた枕を置いて起き上がる。どうしても胸が痛かった。




「優。」

数回のノックのあとに入ってきた彼は、主治医を連れて私のもとへ近づく。彼の震えている膝と、一向に目を合わせようとしない主治医の姿に嫌でも察してしまえば、あとはもう笑うしかなかった。


「佐藤さん、残念ですが─」


硬い主治医の声を聞いて、かわいた笑みを止めた。もともと覚悟はしていたけれど、すくんでしまう私の肩を支えて、眉をひそめたままの傑が口を開ける。


「自宅療養に切り替えよう、優。主治医と話し合って決めたんだ。…もし、優が望むのなら俺と一緒に暮らしてくれませんか。」


無理矢理笑顔を作ってる彼にまた、止まっていた温かいものが目から次々とこぼれ落ちる。ゆっくり、ゆっくりと頷けば、主治医は首をかいたあと、一礼して去っていった。



私の余命は、もうほんの少ししか残ってないらしい。



「…ごめんね、傑」


本当は貴方ともっと一緒に生きていたかった。



やっと出てきた声は、愛しい彼の涙と混ざりあって、落ちていった。



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