箱庭ロマンチック

無限ユウキ

第1話(1/2)「確信する阿部くんと、」

 最近、好きな人ができた。かもしれない。


 名前は伊藤いとう芽衣めいと言う。


 彼女はなんと言うか、割と地味めな女子だ。一人でいることが多いし、友達と楽しく喋っているところなんかは見たことがない。無口で、無表情で、正直なにを考えているのかわからない。


 そんな女子だ。


 もちろん俺が知らないだけで友達だっているだろう。女子のコミュニティはハッキリ言って影がありそうでなんだか怖いので、意図的に気にしないようにしてる。

 それに家とかではたくさん喋ってよく笑っているかもしれないし。


 俺がそんな伊藤を気にするようになったきっかけは、なんてことないものだった。


 日直の当番で、授業に使うプリントを運んでいるときに廊下の窓が開いていて、吹き込んできた風にプリントを飛ばされてしまったのだ。そのとき、たまたま通りがかった伊藤が手伝ってくれた。


「ありがとう」


 形式的にそう言うと、


「どういたしまして」


 と向こうも形式的な、平坦な口調で言った。多分、そのとき初めて伊藤の声を聞いたと思う。抑揚は少ないし、無表情も手伝ってまるで感情のこもっていないように聞こえた。


 けど、


 ――とても綺麗な声だった。


 それからだ。気が付けば、なぜか伊藤のことを目で追うようになったのは。自覚したのはつい最近のこと。自覚してからは、さらに加速した。


 おかげでわかったことがいくつかある。

 伊藤は、とても心の優しい子だということ。


 プリントを拾ってくれたこともそうだし、授業の合間の休み時間にしれっと机の位置を正していたり、ゴミが落ちていたら捨てていたし、教室にある花瓶の水を変えたりカメに餌をやったりもしていた。そういう係がちゃんとあるのに、だ。


 でも誰も、伊藤に感謝の言葉を送る人はいなかった。


 それもそうだ。すべて人知れず行っていたのだから。もしかしたら、俺だけが伊藤の善行を知っているのかもしれない。

 なんて思うのは、ちょっと思い上がっているかもしれないけど。


「さてっと」


 それはさておきいい加減部活に行かないと。今日は雨が降ってるからちょっと憂鬱だけど、一年が文句を言えるわけもなく。


 カバンを担いだとき、教室のドアが開かれた。クラスは違うけど、同じ部活の男子だ。


「おーい阿部あべ! 今日の部活雨で中止だってさ」


「え、中止? 室内で筋トレとかじゃないのか?」


 運動部の宿敵とも言える雨天時の部活動。中学のときは室内でガッツリ筋トレやって、翌日筋肉痛で呻き声をあげるのはもはや通過儀礼となっていたのだが。


「どの運動部もそれだから場所がなくなっちゃったんだよ。うちのテニス部弱小だから」


「あー」


 あまり納得したくない理由だけど、納得した。


 確かにいい成績を残しているとは言いづらいかもしれないけど、決して弱くはないはずだ。サッカー部とか野球部とかが強くてそっちばっか注目されているだけで、テニス部だって負けてないはず。


 多分。


「じゃそういうことだから、おれはさっさと帰るわー。じゃな!」


「ああ、またな」


 軽く手を振って別れた。


 妙に嬉しそうだったな、あいつ。気持ちはわからなくもないけど。

 誰もいない静かな教室を何気なく眺めてからつくため息は、雨音なんかよりもやけに大きく聞こえた。


「……俺も帰るか」


 じきにこの教室もどこかの部活で使われる。

 このまま学校にいたところでやることなんかないし、さっさと家に帰って、めんどくさい宿題を先に片付けてから読みかけの漫画の続きといこう。


 帰ってからの予定を簡単に組みながら昇降口へと向かう。


 学校に来るときに雨は降ってなかったけど、天気予報では雨になると言っていた。


 ばっちり折り畳み傘は持ってきた――、


「……あれ」


 はずなんだけど、カバンの中を漁ってみても折り畳み傘は頼もしいその顔を見せてはくれなかった。お気に入りだった自動開閉機能付きの折り畳み傘……どうしてカバンに入ってないんだ?


 しばし目を瞑って記憶を遡ってみた。


「玄関に置きっぱなしだ……」


 家から出る前、母親に持って行けと持たされた折り畳み傘を脇に置いて、靴を履いて、そのまま出てきてしまったのか。


 淡墨うすずみを混ぜたような重苦しい空模様を眺めてみる。


「すぐには止みそうもないな。帰れないこともないけど……」


 雨足が弱くなる気配は今のところない。勘だけどこれ以上強くなることもないだろうから、カバンを盾にして走って帰れば、それほど被害も出ないはず。


「うーん、どうするか……」


「傘、忘れたの?」


 カバンを盾にしようか、上着を盾にしようか悩んでいると、すぐ隣から声がかかった。

 思わずドキッとしてしまうような、綺麗な声。俺はこの声を知っている。


「伊藤さん。帰ってなかったんだ?」


「うん。花田先生につかまっちゃって」


 部活の人は部活だし、帰宅部の人はとっくに帰っている時間。まさか伊藤とこんなとこで会うとは思ってもいなかった。


 ぜんっぜん気配がなくて焦ったけど、勤めて平静に対応する。


「おしゃべり花田か。それは災難だったね」


「私は嫌いじゃないけど」


「どうせまたノロケ話だったんじゃないの?」


「……まあ」


 花田先生。通称「おしゃべり花田」とは、説明の必要もないくらいあだ名が体を表しているが、とんでもないおしゃべり大好きな先生だ。学校に一人くらいはいると思う。


 授業中におしゃべりが始まると、終業のチャイムが遮ってくれない限り止まることを知らない暴走列車だ。

 それだけで授業が終わることもあるから、そういう意味では嫌いじゃないけど。


「これ」


 おもむろに渡されたのは、女子らしいピンク色の折り畳み傘。差し出されたからつい反射的に受け取ってしまったけど、これはどういう意味だ?


 俺の中で答えが出る前に、「それじゃ」と言って、伊藤は雨が降りしきる空の下を歩き始めてしまった。


「いやいやいやいや!」


 慌てて伊藤の制服を掴んで引き止めて、軒下まで引っ張った。


 なんで? ホワイ? 女子って雨の中ずぶ濡れになって帰るの当たり前なの?? 俺の認識間違ってる???


 引き止められた伊藤は首を傾げて、不思議そうな反応をしていた。相変わらず表情からは何を考えているのか読み取れない。


「傘はありがたいけど、それで伊藤さんが濡れちゃ意味ないよ」


「私は気にしないけど」


「俺が気にするから!」


 女子から傘を借りて、傘を貸してくれた女子は雨に打たれて帰るとか、それは男子の風上にも置けないダメ野郎のすることだから!

 それに女子的にも、濡れると透けるからって雨は警戒するものじゃないのか?


「だからこれは返すよ。気持ちだけ受け取っとく。ありがとな」


「…………」


 今度は俺がピンク色の折り畳み傘を伊藤へ渡した。男子がピンク色の傘を差すってのもなんか恥ずかしいし、そういう意味でも、今日は濡れて帰ったほうがよさそうだ。


 雨も滴るいい男って言うし? なーんて。


 カバンだとガード範囲が狭いから、上着を頭からかぶって走ることにしよう。


「じゃあ、また明日」


 上着を脱いで襟部分を両手で持って頭にかぶる。テニス部で鍛えた足で走ればマントみたいにはためいて、ガード範囲も広がるはず。


「それっ! ――ってあらぁ?!」


 無意味に勢いをつけて駆け出した俺だったが、しっかりと握っていた上着がダッシュについてこなくて、後ろへすっぽ抜けてしまった。

 振り返ってみれば、なんと伊藤が俺の上着をにぎっている。どうやら駆け出す瞬間に上着を掴んだらしい。


「ちょっと伊藤さん?! なに考えてるの?!」


 それがわかれば苦労しないわけだが、そう言わずにはいられなかった。せっかくカッコつけて帰ろうと思っていたのに、これじゃ台無しだ。


「阿部くんが濡れるし」


 いや、もともとそのつもりだったんだけど。

 だけど伊藤は、思いもよらない発言をした。


「二人で使えばいいよね」


「…………は?」


「だから、二人で傘使えば問題ないよね」


「大ありでしょ!!」


「あ、そっか。私なんかと噂にでもなったら嫌だもんね」


「い……ぃやじゃ……ないけど……」


「え? なに?」


「いや?! なんでもないから!」


 雨音でよく聞こえなかったのかもしれない。今日ばっかりは雨に感謝。


 そんなことよりも、え? 二人で傘を使えば問題ないよね?? それはつまり相合傘ということで……。


「伊藤さんこそいいの? そういうの気にしないの?」


「いや全然」


「あ、そっすか……」


 なんか、全然脈がないって意図しないところで唐突にわかってしまって一気にテンションが下がってしまった。

 いやでも、考えようによってはこれは、伊藤と相合傘をするチャンスということで、こんなチャンスはもう二度と巡ってこないかもしれない。


 ならばこのチャンスボールはしっかりとスマッシュで相手コートに叩き込むべきだろう。


「なら、お邪魔させてもらおうカナ」


 変に緊張して声が若干裏返ってしまったような気がするけど、これもきっと雨音がかき消してくれたはずだ。


「大丈夫? 風邪?」


 雨音仕事してくれぇ~!!


「ぁ、ああ、大丈夫! ちょっとたんが絡んだだけだから!」


「そう。ちょっとこれ持ってて」


 個人的にはかなり苦し紛れの言い訳だったけど、特に気にしてはいないのか、変わらずの無表情。

 そして渡される伊藤の荷物。傘を借りる立場なわけだし、荷物持ちくらいは喜んで引き受けるけども。


 両手をフリーにした伊藤は、制服の内側から両腕を自分の背中側に回してモゾモゾとし始めた。


 チラチラと白い肌が見え隠れして、どこを見ればいいのか、視線が彷徨う。

 ……綺麗なおへそだった。


「い、伊藤さん? なにしてんの?」


「さっき阿部くんが背中掴んだときにブラのホック外れちゃって」


「ハァ?!?! え、えぇ?! なんかゴメン!!!」


 言われてみれば指先に何か引っかかるような感覚があったようななかったような。女子に触るっていうのはなんとなく抵抗があるというか、触ってもいいものか心配になるから、腕とか肩とかじゃなくて制服を掴んだつもりだったんだけど、まさかその拍子にブラのホックにまで指をかけていたとは……。


「別に平気。湿気で蒸れてたからちょっと助かったくらい」


「へ、へェ、ナラヨカッタ」


 全然よくない! 全然よくないよ俺! ブラホックを外してしまうのはもはや罪だから! ブラホック罪だから!


 気が動転している間にも、伊藤はブラのホックを付け直した。最初から最後まで、伊藤は無表情だ。


 俺がこれだけ慌てているのに、全くもって対象的だった。


「お待たせ。荷物ありがとう」


 手を差し出してくる伊藤だけど、俺はこれを軽く拒否。


「持つよ、これくらい」


「え、でも……」


「いいから。傘に入れてくれるお礼ってことで」


「……わかった」


 パッと広がる明るいピンク色の折り畳み傘は、折り畳みなだけあって少しばかり小さい。一人で使うぶんには問題ないけど、二人となるとさすがに窮屈か。


「どうぞ」


「し、失礼しまーす」


 どぎまぎしているのはこっちだけのようで、伊藤はいつも通り平然としている。身長差があるから傘を高めに持つのが少し辛そうだけど、荷物を持つよりは楽だろう。


 というか、伊藤の荷物メッチャ重い。カバンの中にはいったい何が入ってるんだ? まるで鉄板でも入ってるみたいだ。

 気になるけど、女子の持ち物を覗くような男では決してない。伊藤にもそんな目で見られたくないし、ここは我慢だ。


「…………」


「…………」


 雨の中、相合傘で歩くこと数分。お互いに無言の時間が続く。


 ツライ。


 いや、こうして伊藤と相合傘できるのは正直嬉しい。メッチャ嬉しい。


 でも伊藤とはどんな話をすれば盛り上がれるのか皆目見当もつかない。ヘタな話題を振って引かれるくらいならこのまま黙っていた方がいいんだろうけど、そんなに保守的になってていいのか、俺?

 さっきも思ったじゃないか。これはチャンスボールで、スマッシュで決める場面だと。


 少なくとも得点を稼ぐ絶好の機会じゃないか。

 どうしよう。何を話そう。何を聞こう。

 聞きたいことは、ある。


 ――伊藤さんって、好きな人いるの?


 聞きたい。聞きたい、けど……!


「あ、肩濡れちゃってる。ゴメン気付かなくて」


 人知れず悶々としていると、俺の肩が傘の防御範囲からはみ出していることに気がついたらしく、そう言ってきた。


「お、おおう! これくらい、全然、平気だから! もーまんたい!」


 最初の段階からとっくにはみ出してたし!


 気にする必要はないとサムズアップ。


「でも風邪引いちゃうかもしれないし、もっと寄って」


「ホント、これくらい平気だから!」


 しかし伊藤は、あろうことか向こうから密着してきた。俺から近寄らないなら自分から近寄ってしまえ、の精神か。


 相合傘をしているわけだし、離れたら濡れるから近寄るってのは道理なんだけども……!


 これはもう、役得、とか、ラッキー、とか思って受け入れたほうが楽か? 楽になれるのか?


 もうどうすればいいのか、どうするのが正解なのかわからなくなって俺の脳みそがオーバーフローしそうになっていると、伊藤が急に立ち止まった。

 傘を持っているのは伊藤なので、当然俺も立ち止まる。


「なんかゴメンね。嫌な思いさせちゃって」


 伊藤が真剣なトーンで言う。いや、いつもみたいに抑揚の少ないそれだけど、重苦しい空が雰囲気まで重くしてしまっているからに違いない。


「……え? な、なんで?」


 むしろこれでも喜んでるくらいなんだけど。その喜びを素直に受け入れたとしても、伊藤の前であからさまに喜ぶような姿を見せるわけにもいかないくて強がっているだけなんだけども。


「だって阿部くん、ずっと困った顔してる。阿部くん優しいから。私のことなんか気にしないで、嫌なことは嫌って言っていいんだよ」


「嫌じゃない!」


「え」


 俺は即答していた。無表情な伊藤が、目を少し丸くするくらいには。


「嫌じゃ、ない、から。むしろ伊藤のほうが優しいだろ」


「私なんか、別に優しくないよ」


「……その『私なんか』っての、やめたほうがいいよ。さっきからちょいちょい言ってるけど、伊藤さんはもっと自分に自信を持っていいと思う」


 きっと伊藤が無表情で、あまり喋ったりしないのは、自分に自信がないから。こうして話してみて、よくわかった。


 伊藤は別に無口なんじゃない。相手を不快にさせてしまうんじゃないかって、遠慮してるだけなんだ。


「傘に入れてくれた。風邪引くって心配してくれた。いつも机を直してくれてる。花の世話も、カメの世話も、全部伊藤さんがやってくれてるって、俺は知ってるよ。優しくないわけがない。伊藤さんのそういうとこ――俺は好きだよ」


 まくしたてるように言ってから、完全に勢いで告白めいたことを言っていることに気がついた。全部が全部本音だから……嘘じゃないから、後悔はない。


 ただ、言ってしまった以上もう後戻りはできない。

 これを告白と受け取ってくれたなら、そのときは腹を決めよう。


 でも、そうじゃなかったら――?


「ありがとう。やっぱり阿部くんは優しいね」


「え?」


「慰めてくれたんだよね。私のこと」


「――。そ、そうそう! だから、伊藤さんは――」


 俺のバッキャロウ! 俺の意気地なしィ!


「あ。バスきた」


 伊藤の言葉に目を向けてみれば、確かにバスが近づいてきていた。というか、俺たちはバス停に立っていた。伊藤は急に立ち止まったわけではなくて、バスを利用するためにバス停に止まっただけだったのか。


 こんなことにも気付けないなんて、よっぽど俺はテンパっていたらしい。


「荷物ありがとう」


「あ、おう」


 重いということすらすっかり忘れていた伊藤の荷物を手渡した。


 止まったバスからプシューー、という空気が抜ける音が響く。

 扉が開くと、伊藤は乗り込む前にピンクの折り畳み傘を俺に押し付けて来た。


「また明日」


 言ってからそのままバスに乗り込んでしまって、立ち尽くす俺をあざ笑うかのように今一度プシューーという音がこだまする。

 向こう側に座ってしまったのか、バスの外から伊藤の姿を確認することはできなかった。


 走り去っていくバスを見送る俺。


「また、明日……」


 曇天の空に明るいピンクの傘は、神様から見たらどのように映るのだろうか。


 そんなこと、わかるわけがないけど。


 俺にとっては、いまいち自信のなかった恋が、確信に変わった瞬間に思えた。

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