傾国狐、異世界に召喚される。

清水裕

第1話 はじまりはじまり。

 光さえ届かない暗い、暗黒とも呼ぶべき空間。

 その空間にポツンと鈍いけれど弱い光を放つ存在がいた。

 暗闇の中の小さな星、その正体。


 それは……一頭の狐だった。


 元は綺麗な毛並みをしていたであろうその狐は、今はこの暗黒空間の影響を受けてなのか所々黒ずんでいた。

 元は凛々しいと感じられた表情も何処と無く張りつめた様でいて……同時に疲れている様にも見える。

 その狐は座りこみながら揺ら揺らと九つの尻尾を揺らし、虚空を見つめていた。


 ――傾国狐。


 それがこの狐の通称であり、知っている者はもう居ないほど過去の存在であった。

 白金の毛並みと九つの尾が大陸の空を流星の如く駆ける。

 それは一種の災厄であると大陸中の者達は言い、同時に吉兆の印とも言われていた。

 そんなある日、狐は自らの退屈を紛らわす為と、人を化かすという本能に耐え切れず……人へと化け、当時の大陸一の大国へと訪れた。

 その時に変化した姿。その姿は……。


 ――出るところが出て引っ込むところが引っ込んでいる男ならば一度は味わってみたいと思ってしまう魅惑的な身体つき。


 ――国一番の銀細工職人が創る銀細工よりも煌びやかで細く陽の光りによって輝くサラサラとした白金の長い髪。


 ――貿易品である南海で獲れる黒蝶真珠のように美しく、相手の全てを見通すかのような黒い瞳。


 ――更に彼女の身を包む衣装は豪華絢爛で、美しすぎる彼女の容姿を損なう事無く……より彼女の魅力を格上げする物であった。


 そんな狐が変化した人間の姿に国中の男は骨抜きにされ、遂にはこの大国の主である皇帝さえも魅了させた。

 そこで「人間どもを化かした化かした!」と楽しく笑いながら変化を解いてこの場を離れたならば……良かっただろう。しかし、狐は調子に乗ってしまったのだ。

 ……調子に乗って、国を傾けてしまった。

 経済的にも、物理的にも傾けてしまったのだ。

 皇帝の寵愛を受ける位置に立ってしまった狐のお願いに皇帝は嫌がること無く笑顔で頷き、いくらでも願いを叶えた。

 その為に国庫に蓄えられた大量の資金と財宝は使われ、湯水の如く国の財産は減っていった。

 民を魅了する狐のお願いに平民等の男達は従い、彼女が望む建物等を一心不乱に腕を振るい建物や彼女が欲しがった物を創り上げた。

 例えそれが自分達の体を壊してしまったとしてもだ……。


 そんな男達を心配し、男達の家族や恋人が国に陳情を行い、数少ない女の文官や未だ魅了を受けていない男の武官が皇帝へと報告が行ったけれど……皇帝は聞く事はなかった。

 しかも魅了されていなかった武官達は骨抜きとされて、魅了されてしまったという厄介すぎるオマケつきだ。

 国中の男達が狐に魅了され、全てが成り立たなくなっていく。

 労働をする男が居なくなり、女だけでは成り立たず……畑は枯れ果て、水は濁り、国は腐り始めていった。

 結果、やがて作物不足や国は疲弊し……自国の食料は不足し、それを補充すべく貿易を行うはずがそれを行う為の資金もない。

 そして疲弊しきった大国を見て今が好機とばかりに周辺国の侵略も始まり、国は更に混乱した。

 その混乱を抑える為に、兵士や民の男達は剣や農具を手に戦に駆り出され……死に体となっても戦い続けた。

 戦い続ける男達へと狐は応援の声をかけると、傷付いた男達は更に頑張った。……最悪な循環だ。

 そんな疲弊し傾いていく大国、いや、沈みきった大国……。

 あとはもう自滅しか無いのだろうか? そう思われていた時、一人の商人が王の前へと現れた。

 その商人は狐に負けず劣らずの見目麗しい女性で、遠くの地からやって来たのか金色の髪をしていた。


「王よ、この度はお会いくださりありがとうございます。これはそちらの王妃様への贈り物でございます」


 商人は跪き、皇帝へと狐に似合いそうな首飾りを差し出した。

 その美しい首飾りに、皇帝は胸をときめかせ……それを従者越しに受け取ると狐を見る。


「この素晴らしい首飾り、お主に着ければさぞ美しいだろう。着けても良いだろうか?」


 皇帝がそう言うと、狐は躊躇いながら……いや、やんわりと拒絶するように皇帝から距離を取り始める。

 ……狐はその首飾りから発せられる異様な力に気づいていたのだろう。

 それは呪いの道具であり、かけたらどうなるかは分からない。だから狐は着けないようにその場から離れ寝室へと逃げようとした。

 だが、商人の『動くな』と言う言葉。それを聞いた瞬間、狐の体は石の様に固まった。

 そして、狐はようやく気づいた。商人が人ではなく……、自分と同じような狐でもなく……、天上の存在である『神』であることに。

 『神』が来た事に、自身がやりすぎてしまったことに狐は気づいた。けれどもう遅い。

 首飾りが狐の首に掛けられた瞬間――、狐は人の姿を保つことが出来なくなった。

 メキメキと周囲に音が響き、化けていた人の姿が元の九つの尾を持つ狐の姿へと戻った。


『クオオオオォォォォォォォォンンンッ!!』

「ひ、ひぃ!? な、なんだこれはっ!?」

「「ば、化け物っ!!」」


 変化を強制的に解かされた狐は雄叫びを上げ、急いでこの場を脱出する為に宙を駆け始める。

 だがそんな狐へと、自身を人間と偽る『神』は叫ぶ。


「ようやく正体を表したな狐よ! 虐げられた民の怒りを知るが良い!! はああああっ!!」

『グ――――ゥオオオオオオォォォォォォンンンッ!?』


 『神』は狐に向けて手を振り翳し叫ぶ、すると狐の首に掛けられた首飾りから呪いが発せられ――狐の力を奪い去っていく。

 このままでは駄目だ。そう理解し、狐は必死に逃げた。

 その姿を嘲笑うかの様に『神』は狐へと手を振り翳したまま去って行く姿を見て行く。

 そして、狐は大国から逃げる事が出来た。だが、『神』が振り翳した呪いは収まる事は無かった。

 呪いは狐の力を奪い、その奪った力を元にその体を石へと変化させていく。

 徐々に失われていく体の感覚、段々と広がっていく石の体。

 それに恐怖し、必死に叫ぶ。

 狐は大国を離れ小さな島国へと飛んでいく。その姿を人々は恐怖に怯えながら見つめ、ある山の山頂付近で遂に狐は空を駆ける為の力さえも失い……地上へと落ちた。


『口惜しい、口惜しいのう……。じゃが、じゃが妾はこの呪いを解き、再び、再び……この地に……舞い戻……り…………』


 そう呟きながら狐は完全に石となった。

 そして、島国ではその狐が変化した石から毒が撒き散らされる呪われた忌み地とされ、人々は寄りつかなくなっていった。

 ……けれど千年の時が流れると、忌み地は霊場とされ……修験者達の修行の場とされた。

 それから数百年経つと、修行の場から観光地へと変わり……インスタ栄えするパワースポットとされてしまっていたのだった。

 土地を所有する県も市もそのパワースポットを名所として観光目的にしようと乗り気である。

 そんな様々な移り変わる時代、そんな中で狐は石の中で再び現世へと出る機会を窺っていた。


 ――プツン。


『くぅ! また、また今回も駄目じゃった……!!』


 虚空を見つめていた狐が悔しそうにそう言いながら、地団駄を踏む。

 暗黒空間であるはずなのに、地団駄を踏んだ箇所からはタシタシと音が聞こえている様に思える。

 どうやら暗黒空間には壁もないし床もない。けれど同時に壁もあって床もあるようだ。

 だから、狐は今床に座って、地団駄を踏んでいたのだ。

 暫く地団駄を踏み……、機嫌悪そうにその場に寝そべると狐はいつもの如く唸った。


『クゥルルル……。また力を蓄えねばならぬのか……。今度は一年後か』


 そう呟きながら、狐は先ほどまで見ていた虚空を見る。

 そこには無数の蜘蛛の巣のような結界が張られており、その一番先に薄っすらと現世の様子が見えていた。

 薄っすらと見える現世では、どこぞのアホそうな女達がカメラを使って撮影をしていたり……チャラい馬鹿が石の上に乗っていたりしていた。


『クゥゥゥ……! 妾の上に乗るでない! 聞いておるのか、この阿呆共がっ!!』


 聞こえているはずがない。それは分かっている。分かっているけれど、石となっても狐にとっては自分の体なのだ。

 だから、必死に叫ぶ。しかし声は届くはずがない。……なので、結界を破って再び現世に現れる為に頑張っている。

 しかし良い所まで何時も結界を解除する事が出来ている。だが、後一歩。後一歩という所で結界の解除は失敗していたのだ。

 何が原因なのかは分かるはずがない。けれど、いい加減外の空気も吸いたいし、青空の上を飛びたい。

 それが狐の心を動かし、諦めると言う選択をさせなかった。


『…………こう、手っ取り早く脱出できる方法が無いものじゃろうか……ん?』


 簡単な方法――そんな事あるわけがない。それは分かっている。けれど、千数百年も同じ事をし続けていたらそんな事をつい呟きたくなってしまう。

 そんな時、狐はある物を感じ取った。

 それは小さく、微弱ながらも…………見慣れぬ感覚だった。


『これは……、大国よりも西の方で流行っていた召喚に近いものじゃな……。じゃが、細い。このままじゃと何も召喚されぬぞ? じゃが、関係は無いから、放っておいても良いじゃろう』


 感じたそれに狐は感想を呟きながら、見て見ぬ振りをしようと考える。

 …………が、暇だったから少し気になりこの召喚が何処からされているのか見た。

 すると面白い事が分かった。


『…………ほう、この召喚はこの世界とは違う世界。異世界という物からの召喚か。異界から召喚という物はあったらしいが逆というのは珍しいのう』


 揺ら揺ら、揺ら揺らと尾を揺らしながら狐は召喚先を見ながら少しばかり驚く。

 だが、それは狐には関係無い事だ。

 見る物を見終えた狐は召喚から視線を外す。このまま放置しておけば召喚は消えるだろう。

 …………が、ふと狐は思った。


(……む? そういえば、このまま異世界に行ったならば封印を無視して出る事が出来るのでは無いじゃろうか?)


 ある意味裏技に近いそれに気づいた狐は消え駆けている召喚先を見る。

 異世界はどんな場所なのかは分からない。

 けれど、緑もあるだろう。空もあるだろう。風もあるだろう。狐が失ってしまった物があるだろう。


『妾が察知した。それはきっと運命じゃろう。そういう事にしておこう。じゃから、楽しい世界であっておくれよ』


 そう言って、狐は消えかけていた召喚に応じた。

 すると、狐の足元に召喚の道ができ、狐は迷わず飛び込んだ。

 そして暗黒空間には、何も残ることはなかった……。


 こうして、傾国狐と呼ばれた狐はこの世界から完全にいなくなり……、異世界へと旅立ったのだった。

 ……が、召喚先でどうなるのかは今は誰も知る事はなかったのだった。

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