IX; The Hermit



<正位置; 助言 英知 見えないものを探す>



 うちに来て以来、嶋中優子は夜はわたしの部屋の床に布団を敷いて寝ていたのだけれど、そろそろ滞在も長くなってきたから、昼間のうちに物置になっていまっていた畳敷きの客間を整理して布団を敷けるようにして、その部屋を嶋中優子に使ってもらうことにする。仕舞いきれない荷物が部屋の半分くらいを埋めているけれど、それでもわたしの部屋をふたりで使うよりは広くなるし、なによりお互いのプライベートは確保できたほうがいいと思う。


「ちょっと物が多くて狭くて悪いけど、でも嶋中さんもわたしの部屋に間借りしているより、自分の部屋があったほうが落ち着くでしょ?」と、わたしが言うと、嶋中優子は「うん……、そうだね。そうかも。ありがとう、睦深ちゃん」と、なんだか浮かない顔で答える。


 嶋中優子を部屋から追い出して、わたしは久しぶりにひとりきりの自分の部屋で伸び伸びと寛ぐ。カーペットに寝転がって、もう何度も読んだライトノベルを読み流していると、いつの間にかうたた寝をしてしまっていたみたいで、真っ暗な部屋にまたリオンがやってくる。


「物語を終わらせるためには、象徴的な死が必要なの」と、リオンが言う。


 象徴的な死? と、わたしは訊く。相変わらず、リオンが部屋にやってくるときはわたしは金縛りにあっていて、そちらを見ることができない。


「そう。大アルカナにおいては、死とは物事の終わりであると同時に、膠着した状況の打破と、変化と再生も意味する。物語を終わらせるためには、なにかが死ななければならない。なにかを殺さなければならない」


 なにかって、なにを? なにを殺せば、この馬鹿げた物語は終わるのだろう。


「それを、むっちゃんが決めるのよ」と、また託宣のように、リオンが告げる。


「未だ、この物語がなんなのかは明らかになっていない。ここからでも、物語はどの方向にでも、どのようにでも転びうる。この物語がなんなのかは、むっちゃんがなにを選び、なにを殺すのかに依って変わる」


 いずれにせよ、むっちゃんはなにかを殺さなければならない。

 この物語を終わらせるために。


 わたしが誰かを殺すということだろうか? たとえば、幸田義男を殺したキミヤのように。あるいは、藤崎五郎を殺した遠藤正孝のように。


「もちろん、そういった物語の終わりもあり得るのかもしれない。けれど、それが具体的で現実的な死である必要はないの。物語の終わりに必要なのは、飽くまで象徴としての死。むっちゃんは、なにかを選び、なにかを決断し、行動することになるわ。この物語の主人公として」


 わたしが、この物語の主人公? そんなはずはないと思う。わたしは終始、この一連の出来事をただ傍で眺めていただけだ。物語には、参加していない。


「物語に参加していない、取り込まれていないむっちゃんだからこそ、この物語を終わらせることができるのよ。けれど、気を付けて。も、この物語の主人公がむっちゃんであることに気づき始めている。むっちゃんがこの物語を終わらせる存在だということを知ってしまっている。次はむっちゃんを直接に狙ってくるかもしれない」


 注意を怠らないで、というリオンの言葉に、けたたましい電話の着信音が重なって、わたしは目を覚ます。目を開くと窓の外はまだまだ明るくて、あれ? さっきまで部屋が真っ暗だった気がしたけれど、なんだろう? と思う。まあ、普通に考えれば、うたた寝をしている間に夢を見たのだろう。リオンはもう死んでしまったのだから、わたしの部屋にリオンがやってくるのは眠っているわたしが見ている夢だと解釈するのが一番妥当だし、夢なら昼間なのに部屋が真っ暗だったとしてもなにも不思議じゃない。


 で、電話に出てみると相手はリヒトで、開口一番に「ちょっと状況が変わった」と伝えられる。「今はたぶん、嶋中よりも、むっちゃんのほうが危ない」


 学校裏サイトでは次に死ぬべきは嶋中優子だという流れは下火になって、かわりに佐鳥睦深を殺してやるという話になっているらしい。わたしもブラウザでひさびさに学校裏サイト(わらう)を確認してみる。


>今週の木曜日に佐鳥睦深を殺す。

>ムルムクスは佐鳥睦深に怒っている。ムルムクスは馬鹿にされるのが嫌いだ。

>久保塚の陰に隠れてムルムクスを侮辱した佐鳥睦深には制裁が必要だ。


 死ぬべきだ、じゃなくて、殺すだったし、ムルムクスという語で指示されているのは、たぶんムルムクスじゃなくて遠藤正孝のことだった。わたしに馬鹿にされて怒っているのはムルムクスじゃなくて遠藤正孝だし、わたしを殺したがっているのもムルムクスじゃなく遠藤正孝で、書き込んでいるのも明らかに遠藤正孝本人だ。遠藤正孝はムルムクスに仮託しすぎて、もはやムルムクスと自分の区別も曖昧になってしまっているのだろうか。


 けれど、なぜか掲示板の流れは遠藤正孝(だと思われる)書き込みに同調するものばかりで、その判断に疑問を呈したり諫めたりするレスポンスはない。


 その他大勢の彼らは、要するに自分が対象でさえなければなんでもいいのだろう。矛先が自分に向いていないのならば、別に誰が生贄に選ばれようと問題ないのだ。


「自分じゃなければ別に誰でもいい、というのは、生贄の選定という権限を追認することになる。権力は原初の段階では誰かから付与されるものじゃなく、無根拠に行使される。権力というのは本質的には虚構だ。最初は無根拠に権力の行使があって、それが追認されることで権限が生まれる。生贄の選定という圧倒的な権力が、遠藤に与えられつつある。遠藤は、今まさにプリミティブなシャーマニズムを興しているところなんだよ」


 死ぬべき人間を選定し、対象に死を与える存在がムルムクスだというのなら、今や、遠藤正孝こそがムルムクスそのものだ。


 公園で六人がかりで棒とか棒とかバットとかでキミヤに襲い掛かった遠藤正孝は、キミヤに返り討ちにあったものの大した怪我はしてなくて、警察の取り調べも受けたらしいけれど、どちらかと言えばキミヤに暴行を受けた被害者という扱いになっていて、長く身柄を拘束されることもなくすぐに戻ってきて、今も元気に学校裏サイトとかで活動している。


 物事の流れが、雰囲気が、遠藤正孝に味方している。

 ムルムクスが、遠藤正孝を守っている。


「しかし、なんだって急にむっちゃんなんだろうな? むっちゃん、なにか遠藤に恨まれるような覚えがある?」と、リヒトに訊かれるけれど、そんなのはわたしにだって分からない。頭がおかしくなってしまった人間の考えることなんて、誰にも分からない。


「たぶんだけど、嶋中さんの家の前でわたしが遠藤くんのことを煽ったのを、ずっと根に持ってるんじゃないのかな?」と、わたしは答えてみる。でも、それでわたしが遠藤正孝に嫌われるのは分かるとして、殺すにまでエスカレートしてしまうのがおかしいと思う。


 判断が極端になってしまっている。価値基準がバグっている。


 遠藤正孝にとっては、自分が死ぬかもしれないということよりも、自分のプライドが傷つけられることのほうがよほど許しがたいのだ。


「まあ、遠藤には元々そういう傾向がなかったわけじゃないけれど、つまり、体面とかを気にして虚勢を張るタイプではあったのだろうけれど、でもそれにしたって、侮辱されてプライドを傷つけられたから殺してやる! にすぐに発展するのは極端すぎるよな」と、リヒトは納得がいかなそうな声で応じる。


 遠藤正孝に限らず、誰も彼もが反応が極端になってしまっている。思い詰めてひとりで盛り上がって自己犠牲の精神で自殺してしまう子もいるし、思い詰めて包丁片手に愛の告白をしにくるやつもいる。


「遠藤は死に慣れ過ぎてしまって、死を恐れなくなってしまったのかも。死は人間にとって最大のブレーキだ。法律だって、最終的には人に対して死を与えるからこそ、効力を担保されている。死を恐れない人間には、あらゆるルールは無意味になる」


 遠藤正孝は、死に慣れて、死に親しみすぎて、死を恐れなくなってしまったのだろうか。


 人間、なんにだって慣れてしまう。死だって、こうも毎週、当たり前のように続くと、いつまでも怖がっていることもできない。ずっとなにかを恐れ続けているのは、精神的にも疲れてしまう。自分の精神の安寧のために、死ぬことなんか大したことではないのだと合理化してしまう。


 人間はいつか死ぬ。それは避けられない。それを意識したときに、人間は自分の命よりも大事なものがなにかを考えるわけで、遠藤正孝にとってはそれは自分の名誉でありプライドで、かつ遠藤正孝の考える自分の名誉というのは、一般的な感覚ではずいぶんと幼く見えてしまうものだった。


 遠藤正孝は、自分を馬鹿にしたキミヤとわたしを許すことはできないけれど、キミヤは警察に拘束されてしまったことで逆に絶対に安全な場所で守られている状態でもあって、遠藤正孝では手出しができないから、代わりにわたしを殺すことで傷つけられた名誉を取り戻そうとしているのだろう。


「そういうわけで。むっちゃんはなるべく家から出ないようにして。遠藤たちが次になにをしてくるか、どこまでのことをしてくるのか、ちょっと予測がつかない」


 わたしはリヒトに言われた通り、なるべく家から出ないようにして、テレビを見たり少女漫画を読んだりして過ごしているけれど、つまり、大筋ではいつもと大差のない生活を続けているけれども、水曜日の夕方に嶋中優子が焦げ臭いにおいに気が付いて庭に出てみたら、ゴミ袋が投げ込まれていてそれがくすぶって黒い煙をあげている。


 サンダルで庭に出た嶋中優子が煙の出ているゴミ袋をバンバンと踏みつぶして火事になる前に消し止める。雑多なゴミが詰められた普通のゴミ袋の中に火の消えていない煙草があって、それがゴミ袋の中でじわじわとくすぶっていたのだ。もう少し放っておいたら家にも燃え移って火事になっていたかもしれない。確実性は低いけれど、時限発火装置のようなものだ。


「わたしの家も、これで燃やされたのかも」と、嶋中優子が震えた声を出す。警察に電話をして事情を説明する。警察は燃え残ったゴミを証拠として持ち帰るし、わたしの家の庭もあれこれと調べられるけれど、今後のことについては周囲のパトロールを増やします以上の対応をしてくれない。


 遠藤正孝はもう普通じゃないレベルで過激になっていて、確実にいつか大変なことをやらかすだろうと思うけれど、誰も止めないし、止めることができない。証拠もないし、流れが味方してしまっている。


 家に籠っていても安全ではないのかもしれない。


 このまま守りに徹していたのでは、ジリ貧な気もする。リオンが言うように、わたしは自ら決断し、行動し、物語を終わらせないといけないのかもしれない。


 それはつまり、わたしが遠藤正孝を殺すということだろうか? わたしが、化物に憑りつかれて自らも化物となってしまった遠藤正孝を殺す。それが、この物語の終わりだろうか?


「いや、むっちゃんはそんな物語の筋書きには呑まれるべきじゃない。いくら遠藤が権力を得つつあるとは言っても、本人は所詮はただの中学生に過ぎないんだ。どんな方法を使っても絶対に手を出せないくらいに守りを固めれば、凌ぎ切ることはできるはず」と、リヒトが電話口で言う。


 でも、そんな「どんな方法を使っても絶対に手を出せないくらいに守りを固める」なんていうことが、現実に可能だろうか? わたしたちだってただの中学二年生に過ぎなくて、物理的にも、経済的にも、現実的な中学二年生の防御力しか持ってはいないし、基本的にこういうのは防御側のほうが不利なのだ。


 わたしの疑問に、リヒトは「学校に立て籠もるのはどうかな」と、答える。


「学校なら鉄筋コンクリートだからそもそも燃えにくいし、防火構造もしっかりしているから、放火の危険は避けられる。夜になれば警報システムが作動するから滅多なことでは外部から侵入することもできない。遠藤も手の出しようがなくなるはずだ」

「警報システムが作動するなら、わたしたちも夜の学校には入れないんじゃないの?」

「警報は外からの侵入に対してのものだから、昼間のうちに学校に入って、校舎のどこかに夜まで隠れていればたぶん大丈夫だと思う。外部からの侵入を想定して窓や扉にはセンサーがつけられているけれど、普通教室の内側にはなにもなかったから、閉門前の最後の見回りさえ回避できれば、あとは教室の中でジッとしている限り捕捉されないはず」


 なるほど。一度侵入してしまえば、自動的に学校の警報システムが難攻不落の砦になってくれるわけだ。それなら、ただの中学二年生に過ぎないわたしたちでも、強固に防御を固めることができるかもしれない。


「でも、立て籠もるって言ったって、いつまでも学校に閉じこもっているわけにもいかないでしょう?」と、わたしが訊くと、リヒトは「いや、いつまでも閉じこもる必要はたぶんない」と答える。


「いま、遠藤の権力は生贄を選ぶという行為が追認されることで仮に成立している。それは、選ばれた対象が実際に死ぬことで完璧に成立して、実体化する。けれど、逆に言えばそこを阻止してしまえば、幻想の権力は霧散して失効するはずだ」


 そもそも、遠藤正孝の権力を「木曜日に誰か死ぬ」という前提に担保されているのだから、誰も死なないままに木曜日が終わってしまえば、生贄を選ぶという行為の妥当性そのものが消失するだろう。 


 学校に立て籠もって、放火とか襲撃とか、そういう想定できる危険をすべて遠ざけて木曜日を凌ぎ切る。そのアイデアは悪くないように思えたから、少なくとも「やられる前にやってやれ!」みたいな発想で無駄に攻撃的になるよりは悪くないように思えたから、わたしはリヒトの提案に乗る。


 嶋中優子に学校に忍び込んで立て籠もることにすると伝えると、嶋中優子は「それなら、わたしも睦深ちゃんと一緒に行く」と言い出す。


「でも、今はもう狙われているのは嶋中さんじゃなくてわたしみたいだから、嶋中さんが一緒についてくる必要はないんじゃない? 余計に危険な目に遭う危険性が上がるだけだと思うし、一度、ご両親と合流したほうがいいと思うけど」

 わたしがそう答えると、嶋中優子は「そうかな……」と、一度は納得しそうになるけれど、しばらく考え込んだ後で「やっぱり、わたしも一緒に行く」と、言う。決然とした表情で、そんなことを言う。


「わたし、自分が危ないときには睦深ちゃんに守ってもらったんだもの。こんどは睦深ちゃんが危ないっていうなら、わたしが睦深ちゃんを助けたい」


 そんなことを言っても現実的に、嶋中優子が一緒にいることでわたしが助かることって何もないんじゃないだろうか。不確定要素とウィークポイントが増えるぶんだけ、より不利になるだけだと思う。


 けれど、なんだか言い返すのもめんどくさくて、結局わたしは嶋中優子が同行することを許してしまう。


 木曜日の朝のうちに食べ物とか飲み物とかを買い込んで、わたしと嶋中優子はそれをリュックに詰めて学校に立て籠もる準備をする。昼過ぎにリヒトが迎えにきて、三人で学校に向かう。


「なんだか、遠足みたいだね」と、嶋中優子が呑気なことを言っていて、実際にこの状況をちょっと楽しんでいるように見える。わたしは、そんなことで大丈夫かな? とか思うけれど、リヒトも「まあ、過度にピリピリするよりもリラックスしてたほうがいいんじゃないか」みたいな感じだし、そういうものなのかなと思う。


 普段なら夏休みでも部活をする生徒なんかで日中は活気があるはずの中学校も、立て続けに色々なことが起こり過ぎたせいか人気がなくて、一時は校門前に陣取っていたマスコミの取材の人たちも今はもう見当たらない。


 忍び込むといっても、校門も開いているし正面玄関も普通に開いているしで、昼間のうちに学校に入ることじたいはなにも難しない。でも、校舎に入ってみたところで普通教室の扉は施錠されていて開かない。ここから先はどうやって侵入するつもりなのかと思ったら、リヒトがポケットから2Bの鍵を出す。どうやら、あらかじめ複製していたようだ。「こんなこともあろうかと思ってね」と言っていたけれど、どんなことがあると思っていたのだろう?


 普通教室は終日施錠されているという前提があるから、閉門前の最後の見回りも廊下をざっと見回るだけで教室の中まで確認しにくるということはなくて、内側から鍵をかけて机の陰に身体を隠して息を潜めていたら、簡単にやり過ごすことができた。


「行ったみたいだな。これであとは、赤外線センサーに触れない限りは大丈夫なはずだ」


 逆に、いざとなればそこら中に張り巡らされた赤外線センサーに触れさえすれば、あっという間に警備会社に連絡がいって警備員が駆け付けてくれるはずだから、防御だけを考えた場合は相当に強力な穴熊だと思う。


 これなら、遠藤正孝たちもそうそうのことでは手出しできないだろう。


 教室に隠れている間、なにしろ扇風機を回すわけにも窓を開けるわけにもいかないから、暑いのだけが難儀だったのだけれど、リヒトが三階の普通教室の窓には赤外線センサーはついてないと言うから、最後の見回りをやり過ごした後で、静かに窓を開けてみる。警報も鳴らないし、しばらく様子を見ても警備員は来ないから、大丈夫っぽい。ずっと暑いのを我慢していたのもあって、窓を開けるだけでも夜風がすごく気持ちいい。


「こういうことを言うと、ちょっと不謹慎なのかもしれないけど、でもやっぱり、わたしいまちょっと楽しいな。夜の学校に侵入するのって、なんとなく青春って感じがするよね」と、また嶋中優子が気楽なことを言う。わたしも、強固な穴熊が完成して、あとはこのまま何事もなく朝まで待つだけでいいという安心感で「そうだね。なんだかんだ言って、ちょっとはワクワクしてるかも」と、言ってみる。


 教室の中で息を潜めて見回りをやり過ごしているときはドキドキしてしまったし、終わってしまえばそれほど悪いドキドキでもなかったなっていう感じがする。


「これで、あとはこのまま朝までやり過ごせばいいだけなんだけど、でも、朝までって長いなぁ」と、わたしが呟くと、嶋中優子が「あ、じゃあ怖い話とかする?」なんてことを言い始める。この状況で怖い話って、肝が据わり過ぎなんじゃないだろうか。


「うーん、じゃあ恋の話とか?」

「ちょっと、いくらなんでもリラックスし過ぎなんじゃない? いちおう、いま命を狙われているっぽいから、すこしは緊張感があったほうがいいと思うよ」

「あ……うん、そうだね。ごめんね睦深ちゃん」


 相変わらず、わたしがすこしでも発言に非難の色を込めると、嶋中優子はすぐに同調してくるし、そういうところがやりにくいなぁと思う。リヒトまで「むっちゃん、あんまり嶋中をいじめるなよ」とか言って、笑う。


 スマホのブラウザで学校裏サイトを覗いてみると、遠藤正孝たちはわたしの居場所を把握できていないみたいで、苛立っている。このまま学校で隠れていれば、たぶん遠藤正孝たちにわたしを見つけ出すことはできないだろうし、よしんば学校にいると分かったところで、外から侵入しようとすればセンサーに引っかかるし、遠藤正孝がこの教室に辿り着く前に警備員が駆け付けてくれるだろう。穴熊は完成したのだ。自分から外に出なければ安心だ。


 持ってきたお菓子を食べたりジュースを飲んだりしながら、夜の学校で、ただお喋りをして過ごすのは、やっぱり少しは楽しくて、ああ本当にこのまま何事もなく全部が終わって、元通りの日常が戻ってくればいいのになと思う。


 死んでしまった人は死んでしまって、もう戻らないのだから、全部が元通りっていうわけにはいかないのだろうけれど、それでも少なくとも、毎週のように誰かが死んだり、誰かが誰かを襲撃したり、殺してしまったり、そういう殺伐とした出来事のない、普通の日常が戻ってきたらいいのになと、心から思う。


 わたしはそう願う。わたしはそのように、祈る。



 けれど、もちろん物語はそんな風にアンチクライマックスてきに曖昧には終わってくれたりはしなくて、日付けがかわって金曜日になるすこし前に、鉄パイプに包丁を括りつけたお手製の槍を持って、菊池重徳が黒いステップワゴンで学校の正面玄関を突き破って侵入してくる。


 菊池重徳はリオンを家の玄関先から連れ去って、めちゃくちゃにレイプした挙句に殺して農道の脇に捨てた気の狂った異常者だ。


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