VIII; Strength



<正位置; 勇気 強い意志の力 危険を伴う決断>



 たぶん、もともと遠藤正孝にはキミヤに対する強いライバル心のようなものがあって、その対抗意識だか競争心だかは、たとえばふたりで協力して藤崎五郎を撃退するとか、あるいはもっとずっと平和的にふたりでサッカーかなにかそういうスポーツに打ち込むだとか、そういう関係性に収まることができれば、むしろお互いに切磋琢磨して高め合える理想的な関係を築くこともできたのかもしれないけれど、ほんのすこし物事の因果や運命みたいなものが違っていれば、ひょっとしたらそういう世界線もあり得たのかもしれないけれど、でも、現実のわたしたちの世界においてはふたりは嶋中優子を真ん中に置いて殺そうとする側と守ろうとする側で対立することになって、遠藤正孝は一度キミヤに退けられてしまったことでキミヤに対するライバル心が最悪の形で発露してしまって、それは木曜日のジンクスも嶋中優子の生死もムルムクスもどうでもよくなるくらいに、とにかくキミヤをコテンパンにやっつけたいって欲求に結実したみたいで、遠藤正孝は逃げるわたしと嶋中優子には目もくれずに、バットを振りかぶってキミヤに襲いかかった。


 あれはたぶん、そういうことだったんだと思う。


 キミヤが心配だけれど、でも、あの現場にわたしや嶋中優子が戻ったりしたら、ますますキミヤが自由に動けなくなるだけだろうし、そういう現実的で具体的な暴力沙汰でわたしが役に立てることなんかなにもないから、わたしは110番通報をして公園で喧嘩が起こっているっていうことだけを伝えて、家に戻る。


 たぶん、嶋中優子の家に火をつけたのも遠藤正孝か、もしくは遠藤正孝周辺の男子の誰かだろうし、そうでなくても棒とか持って襲い掛かってくるのは普通に傷害とか暴行とかの犯罪行為だし、そもそも殺人事件とか襲撃事件とかが立て続けに起きているこの町ではあちこちに警察官が立っているんだから、早いところ駆けつけて、もうすっかり頭がおかしくなってしまっている遠藤正孝を速やかに捕まえて牢屋にブチ込んでおいてほしい。


「久保塚くん、大丈夫かな……?」って、嶋中優子が心配そうな声を出すけれど、わたしは「大丈夫だよ」と、自信満々に返事をする。自分の心配を棚上げにして、なるべく自信満々に見えるように、そう返事をする。


「いつだったか遠藤自身も言っていたように、キミヤってほどんどゴリラみたいなものだから、単純な腕力とか体力とかなら、そのへんの男子中学生が何人束になったところで、絶対に勝てないから」


 わたしはそう言ってみるけれど、でも実際のところ、キミヤは本来の性格てきに寡黙で大人しいタイプで、殴り合いの喧嘩をすることなんかそうそうなくて、というか、たぶんこれまで一度もなくて、一連のこの事態が始まって以降、否応なく腕力を発揮する機会が増えてしまっているだけだから、キミヤが棒とかを装備した男子中学生六人と喧嘩をしたらどんな結果になるのかなんて、想像がつかない。


 でも、悪いように考えてしまうことが悪いことを引き寄せてしまうのかもしれないから、わたしは無根拠に「キミヤは大丈夫だよ」と、確信に満ちた声で断定する。祈りのように、断言する。


 玄関に鍵をかけて、嶋中優子とふたりで二階のわたしの部屋に上がる。わたしはひっきりなしに自分のスマホになにか通知が来てないか、窓の外にキミヤの姿が見えないかと気にして落ち着かなくて、ときどき嶋中優子が「ねえ、佐鳥さん」と喋りかけてくる。


「あ、佐鳥さん、陰陽師のシリーズ好きなんだ?」

「え?」

「あの……なんかほら、本棚にシリーズぜんぶ揃ってるから。陰陽師、好きなのかなと思って」

「ああ、うん。好きかも。いちおう、ぜんぶ読んでるのは読んでる」

「そうなんだ……」


 わたしは窓の外を気にしながら、嶋中優子がするそんなどうでもいい話に、どうでもいい返事をする。


「あの……わたしも好きなんだよね、陰陽師のシリーズ」

「そう。読んでてもいいよ」

「あ……うん、大丈夫。わたしももう、全部読んだから」

「うん。でも別に、何度読んでも面白いよ」

「そう……。そうだね……ちょっと、また読んでみようかな」


 なんでこの、キミヤの安否を心配している、とてつもなく緊迫した状況で嶋中優子がそんな話を始めたのか、意味はまったく分からなかったけれど、本棚の陰陽師を読み始めて静かになったから、わたしはあまり気にしないことにする。


「あの、ねえ佐鳥さん」

「なに?」


 陰陽師を読み始めたおかげで、しばらく静かにしていたような気がしたけれど、時計を見るとまだ十五分くらいしか経ってなくて、え? 嶋中優子ぜんぜん集中力ないな? って、わたしは思う。十五分じゃ、まだ何ページも読んでないだろう。


 時計の針が全然進まない。キミヤの姿は見えないし、連絡もこない。


「その……外に出たし、走ったりもしたし、汗かいたじゃない? シャワーを浴びたかったり、しない?」

「え? そう? シャワーくらい勝手に使っていいよ。バスタオルは洗面所の棚に入ってるから」

「あ……うん」


 嶋中優子はシャワーを浴びに行かない。また陰陽師に戻ったらしい。キミヤの姿は見えない。スマホに通知もこない。時計の針はなかなか進まない。


「あの……やっぱり、シャワー借りてこようかな」

「うん、いいよ。ごゆっくり」


 嶋中優子が部屋から出て行って、なんとなくささくれだっていたわたしの心の表面もすこし落ち着く。わたしはもう部屋の中をウロウロするのもやめて、ただジッと壁のアナログ時計の秒針が進むのを見つめている。秒針が十五回転しても、嶋中優子はシャワーから上がってこなくて、インターホンが鳴る。わたしは一階に駆け下りて、モニターも確認せずに玄関の扉を開ける。


 キミヤって言おうとして、「キ……」だけ言ったところで、玄関の外に立っている男子を見て、誰だこいつ? ってなる。

 知らない男子だ。

 いや、どっかで見たことあるような顔はしていて、知らないことはない気もするんだけど、でもたぶん、別に覚える必要もないようなどうでもいいようなポジションの子で、なんとなく見たことがある気がするな? とは思うけれど、全然誰だか分からない。


 その誰だか知らない男子は「佐鳥さん」と、わたしの名前を呼ぶから、やっぱり全然知らない相手じゃなくて、わたしがまったく覚えてないだけで、きっと同級生かなにかなのだろう。ちょうど、同じ中学二年生くらいの男子で、どこかで見たことはあるはずで。


 えっと、なんだっけ? 誰だっけ?


「話があるんだ」


 そいつが誰なのかをわたしが把握する前に、その男子はわたしが自分を知っていて当然っていう前提で、名乗りもせずに一方的に勝手に話を始める。


「え、ちょっと、なに?」

「重要な話なんだ。たぶん、佐鳥さんの命に係わることで」


 知らない男子はなんか知らないけど、喋りながらだんだんこっちににじり寄ってくる。わたしは近づかれたぶん、きっちり後退して距離をとる。え? ちょっとマジでなに? 怖い。超怖いんだけど。


「ごめん! また今度!」と叫んで、わたしが玄関の扉を引くと、戸が閉まりきるまえに男子がつま先を突っ込んできて、思いっきりドアにバーンッ! と、挟まれる。男子は「痛っ!!」と、声を上げるけれども、つま先は引っ込めないし、むしろ身体を斜めにして玄関の隙間に押し込んでくる。


「大事なことなんだ。聞いてほしい」

「嫌だ! わたしは君から聞きたいような話なんか別にないってば!」


 わたしはそう言い返して全力でドアノブを引きながら、必死で頭をフル回転している。隙間に半身をねじ込んでくる男子の顔がめちゃくちゃ近くて、わたしはこの異常な距離の近さに、なにかデジャヴュを感じる。


 えっと? なんだっけ? なんだっけ?

 なんかわりと最近、これくらいの至近距離でこんな風な男子の顔を見る機会があったような気がしなくもない。え~っと!! え~~~~っと!!!


幸田義男こうだ よしお!?」と、わたしは叫ぶ。

 呼ばれたそいつは「そうだ。幸田義男だ」と、返事をするから、幸田義男で合っているっぽい。


 幸田義男は七月十三日の期末考査の初日に心不全を起こして死にかけた男子生徒で、ミスター河野を押しのけてリヒトがAEDを使って、キミヤが胸骨圧迫をして、わたしがマウストゥマウス人工呼吸をして蘇生させてあげたやつで、こいつの代わりとばかりにその日の夜にリオンは頭のおかしい通り魔に拉致されてぐちゃぐちゃにレイプされて殺されてしまったのだ。


 入院してたかなにかで修了式にも顔を見せていなかったはずで、わたしの中ではとっくに物語の舞台から退場したつもりの人物で、こんな風にいきなり再登場するまで一度も思い出すこともなかった心底どうでもいいやつで、その幸田義男が、なんでいきなりわたしの家の玄関先で扉の隙間に身体を無理矢理ねじ込んでこようとしているんだ!?


「待ってくれ。話を聞いてくれ。僕は佐鳥さんに話を聞いてほしいだけなんだ」

「だから! わたしは君から聞きたい話なんかなにもないってば! 怖いから!! 超怖いって!! 帰ってよ!!!!」


 つま先と片腕を肩のあたりまでねじ込んで、その隙間からこちらを覗き込んでくる幸田義男は完全にシャイニングのジャケット写真のあの感じで、目が完璧になにかヤバい。いきなりここで幸田義男が出てくる意味も、幸田義男がわたしにしたい話の中身も皆目見当がつかないけれど、とにかく中に入れたらヤバいっていう、それだけは確信できる。


 で、わたしが必死にドアノブを引いていると、後ろから嶋中優子がシャワーから上がったらしい音が聞こえてきて、そういえば今、わたしの家にはわたしだけじゃなくて嶋中優子もいるんだったということを思い出す。


 ここでいつまでもドアノブを引いてたって、所詮は女子と男子の力比べだし、いつかはわたしが体力負けしてしまうだろうし、そうなったら家の中は袋小路だから、わたしだけじゃなくて嶋中優子までもが危ない。


 なんか知らないけれど、たぶん嶋中優子は今、他の人よりも死にやすいし、殺されてしまいやすいポテンシャルになっている思う。いろんな意図が、因果が、悪い流れが、寄ってたかって嶋中優子を殺そうとしている。ムルムクスに選ばれてしまっている。今、この明らかにヤバそうな幸田義男を嶋中優子に近づけてしまうのは、物語の筋として非常に良くないような気がする。


 わたしは全力でドアノブを引いて、引いて、引いて。

 一瞬で力を反転させて、一気に押し返す。


 不意を突かれた幸田義男はドアの角をおもいっきりおでこに食らって、すこしよろめく。その隙を見逃さずに、わたしは玄関の扉を押し開けて、幸田義男のすぐ横を駆け抜けて外に出る。


「待って! 佐鳥さん!」と叫ぶ幸田義男の声が聞こえるけれど、わたしはもちろん一瞬たりとも待たない。全力で走って、通りに飛び出す。とにかく、このあからさまにヤバそうなこいつを、嶋中優子から引き離さないといけない。


 でも、やっとキミヤが戻ってきたんだと期待してモニターを確認もせずに玄関の三和土におりたわたしは、気が急きすぎて、靴も履いてなくて裸足のままだから、全力で走って逃げようにも道路のアスファルトは足の裏が痛いし熱いしで、後ろから追いかけてきた幸田義男にすぐ捕まって、引っ張られて、そのまま家と家の隙間の狭い路地に押し込まれてしまう。


「待ってよ、佐鳥さん! 話を聞いてくれ! 重要なことなんだ!」

 ふぅ~っ! ふぅ~っ! と、明らかに平常でない荒い呼吸をしながら幸田義男が相変わらずそんなことを言っているけれど、片手はわたしの襟首を締め付けていて、もう片手にはいつのまにか包丁が握られている。


 そんな、人に刃物を突き付けながら、話を聞いてくれもクソもないだろうって思うけれど、完全に取り押さえられてしまっていて抵抗のしようもないし、声も出せないから、わたしは首を縦に振って「わかった、わかった」の意志を示す。


 幸田義男がわたしの襟首を締め付けていた手を緩めて、でも包丁は引っ込めない。


 わたしは二度、大きく咳き込んだ後で、深呼吸をしてから幸田義男に「で、なに? 話って?」と、訊いてみる。


「佐鳥さんは、処女だろう?」


 前置きもなにもなく、いきなり幸田義男の口から出てきた質問の意味が全く分からなくて、いや、質問の意味は分かるけど、いきなり現れて押さえつけて包丁を突きつけてしてくる質問としては意味というか、意図がまったく分からなくて、わたしは素で「は?」と、言ってしまう。「は?」と言われた幸田義男は、聞き取りやすいように、今度はゆっくりとした口調で、一音ずつ正確に「佐鳥さんは、処女だろう?」と言い直す。


 おかげさまで、わたしのなんらかの聞き間違いという線は完全になくなったと思うけれど、相変わらず質問の意図は1ミリたりとも分からない。


 それで、わたしが答えないでいると、幸田義男は「どうなんだ!?」と、また興奮して首を締め上げてくるから、わたしはその手をタップして「そう! そう! 処女! 処女! まだ処女だよ! でもそれがなんだっていうの!?」と、言い返す。


「それじゃダメだ。それじゃたぶん、危険なんだ」と、幸田義男が答える。「その状態は、あまりよくない。死んでしまうかもしれない」


「は? 処女だから死ぬとか、なに意味分かんないこと言ってんの? 頭がおかしいんじゃないの?」と、わたしは言うけれど、幸田義男は表情だけは大真面目なままで「いや、俺も真剣に考えたんだ」と、異常なことを言い始める。


「佐々木も園田も百瀬も死んだけど、でも、西山と俺は生き返っただろう? 死んでしまった佐々木や園田や百瀬と、西山と俺の違いについて、真剣に考えてみたんだ」


 そんなの、佐々木葉子と園田友加里と百瀬琢磨はAEDによる蘇生措置が受けられなかったけれど、西山香織と幸田義男はAEDによる蘇生が間に合って、なんだったら幸田義男に関してはリヒトとキミヤとわたしでやった甦生措置が間に合って、それで生き返っただけのことで、それ以外に、条件の違いなんてなにもない。


 要するに、運が良かっただけだ。

 

 わたしはそう思うけれど、どう見てもマトモな状態じゃない幸田義男は、どう考えてもマトモじゃない思考回路でどう考えてもマトモじゃない結論に辿り着くみたいで、いきなり「西山香織は処女じゃなかった」と、言い始める。わたしは思わず、また「はあ!?」と、声をあげる。


「それに、俺も童貞じゃない」


 それはそれは、この広い世の中においても最も興味がなく一切の価値のない情報をわざわざどうも。で、だからなんだっていうんだ? わりとマジで。


「これは、子供が大人になるためのイニシエーションなんだよ。子供だけが死んで、ちゃんと大人になった人間は生き残るんだ。そういう選別が行われているんだよ。だから、子供のままじゃ、選ばれてしまったら生き残れない。生き残るためには、大人にならないといけないんだ」


 幸田義男は、そんな意味の分からないことを喚きながら、片手でわたしに包丁を突きつけて、もう片方の手でズボンのベルトをガチャガチャガチャガチャとやっている。慌てているのか、そもそも片手では難しいものなのか、幸田義男のベルトのバックルはなかなか外れない。


「ちょっと! ちょっとマジでなにしてんの!? なにをしようとしているんだお前は!!!!」

「うるさい!!!!」


 バチーンッ!! と、幸田義男に平手で頬を張られて、わたしは耳がキーンとなってしまう。痛い。ここ一か月くらい、いろんな怖い目には遭ってきたけれど、こんな風に直接的に痛いのは初めてのことで、どれだけ気を張ってみても痛いっていうのは本当に痛い。気持ちでどうにかなるものじゃない。超痛い。


「好きだ! 佐鳥さん! 俺は、君のことが好きで! 助けたいんだ! だから言うことを聞いてくれよ!!!」

「は? マジで意味分かんない!? え? なに?」

「佐鳥さんだって、俺のことが好きなんだろう!? 俺のことが好きだから、マウストゥマウスで人工呼吸してまで、俺のことを助けてくれたんだろう!?」


 え? ちがう。全然ちがう。そんなんじゃない。わたしはお前のことなんか全然、認識すらしていなかったし、マウストゥマウスをしたのはただ必死だったからで、別にお前だから助けたかったわけじゃない。


 わたしはたんに、リヒトとキミヤのことを手伝いたかっただけだ。リヒトとキミヤと、呪いを分け合いたかっただけだったのだ。分け合って、背負いたかったのだ。


「俺は佐鳥さんのおかげで助かったから、今度は俺が佐鳥さんを助けてあげる番なんだ!」


 こいつの頭は、おかしい。完全におかしくなってしまっている。


 リヒトが覚悟を決めて、キミヤとわたしで分け合って、みんなで力を合わせて救った幸田義男が、いま完全に頭のおかしい狂人になって、狂人の理屈を喚きながら、わたしを押し倒して包丁を突きつけてベルトをガチャガチャガチャガチャとやっている。


 こんなやつのために。

 こんなやつのために?

 こんなやつの命を助けた、その代償に、リオンは殺されてしまったというのだろうか?


 そんな救いのない話が……ある?


 そう思ってしまったわたしの全身からは、急にすべての力が抜け去ってしまって、もうすこしも幸田義男に抵抗することができない。自分の家のすぐ脇の、家と家の隙間の狭くて暗い路地で、ぐったりと幸田義男にされるがままになってしまっている。


 ああ……なんか、いろいろと疲れたな。


 もう目を閉じてしまおうかと思ったところで、唐突にバコンッ! と、幸田義男の身体が横に吹っ飛ぶ。


「なにをやってんだよお前」


 キミヤの声が聞こえる。わたしはそちらに目を向ける。暗い路地に転がっている状態から見上げると、キミヤは通りからさしこむ光を背負って、完全に逆光で、いつも以上に大きく見える。


 ああ……キミヤ、無事だったんだなって、わたしは思う。わたしはそのことに安心している。


「なにをやっているんだって、きいているんだ」

 キミヤが、吹っ飛んで地面に伸びている幸田義男の脇に屈み込み、髪の毛をガシッと掴んで、無理矢理顔を上げさせている。

「聞こえたか? お前は、むっちゃんに、いったいなにをしていたんだ?」


 カ……カ……と、幸田義男の口からなにか奇妙な音がする。血で喉が詰まっているのかもしれない。


「おれ……は、ただ、佐鳥さんを助けたいと……思って……」と、幸田義男はまだ、同じ理屈を続けるつもりらしい。

 キミヤは幸田義男に「むっちゃんを助けたくて? それで?」と、訊く。


「これ……は……子供を選別する儀式だから、大人にならないと生き残れない……処女……の、ままでは」


 ガンッ!!!! と、キミヤが幸田義男の顔をアスファルトの地面に全力で叩きつける。幸田義男の前歯が数本まとめて、ぴょんぴょんと軽快に飛ぶ。キミヤはまた髪の毛を引っ張って、幸田義男に顔を上げさせる。


「で? お前はむっちゃんに、なにをするつもりだったって?」

「……セッ」


 ガコンッ!!!!

 キミヤが幸田義男の顔面をアスファルトの地面に叩きつける。髪の毛を引っ張って、顔を上げさせる。「で?」と、質問する。幸田義男はかすかにヒューヒューと息を漏らしているだけで、もう質問に答えない。

 ガコンッ!!!! と、キミヤが幸田義男の顔面をアスファルトの地面に叩きつける。「で?」 ガコンッ!!! 引っ張る。「で?」 ガコンッ!!! 引っ張る。


「で?」


 幸田義男に、無限に「で?」と、問い続けるキミヤの頭の後ろに、あの黒い影がグルグルと渦を巻いている。そいつはいま、キミヤに憑りついて、キミヤの頭の後ろで楽しそうにグルグルと渦を巻きながら、キミヤが幸田義男の顔面をガコンッ!!! と、するたびに、すこしずつ大きくなっていっている。そいつは人の悪意を吸収して、どんどん成長していっている。


「おい!! 君たち!! そこでなにをやっているんだ!?」


 最後に、誰か大人のものっぽい、そんな声が聞こえて。わたしはスッと、闇に呑まれるように意識を失う。



 キミヤに顔面を何度も何度もアスファルトの地面に叩きつけられた幸田義男は、前歯を全部失ったうえに鼻と頬の骨も粉々に砕けてしまっていて、救急車で病院に緊急搬送されて手術を受ける。キミヤは傷害罪で警察に身柄を確保されることになる。



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