第248話 なお、ニコニコ☆ルンルン♪とする
私は生まれてこの方、通報という行為をしたことがない。それなりに平和に生きてきた。たまに菜華の言動を危険に感じることはあっても、「もしもしポリスメン?」というセリフは、未だに口にしたことがない。
生まれて初めて、強く通報したいと思った。何故ならば、戦場でぷかぷかとシャボン玉で遊ぶ女は不審だからだ。明らかに。平時であれば武器を持っている方が危険人物として見なされることだろうけど。武器を持っている存在が危険なのではなく、TPOに適していない物を持っている存在が危険なんだ。私は知りたくもない一つの結論に辿り着いた。
「何あいつ……」
通報、したい……。しかしここがVP空間であるが故に、端末が手元にない。というか警察がいない。というか、かなりの高確率であれが私達のパーティーメンバーだ。
屋根の上という周囲をよく見渡せるスポットは、逆に言うと標的にもなりやすい。そんなことを自覚させてくれたのはバグではなく、なんか吹くやつを片手に持った女だ。
「あっ! っおーい! そこで、何してるのー!?」
こっちが聞きたいわ。ここでなんでシャボン玉吹いてるのって。きっとあれが彼女のアームズなのだろうということは分かる、それにしてもシャボン玉って絶対に頭おかしい。
リンクが強くなって今は何かしらの使い道があるんだろうけど、初期の頃はマジでただのシャボン玉だったはず。私は想像した。入学してしばらくの間、ずっとシャボン玉ぷかぷかさせて遊んでるだけの女がいたとしたら。いや絶対引く。実習も何もかも放り出して「みんな大変そー」という顔で呑気に遊んでる奴、想像するのが難しいくらい有り得ない。
「あっ……えーと」
近いとはいえ、地上と屋根の上では距離がある。言い淀んだ私の声が彼女の耳に届いているかどうかも分からない。もっとはっきり言わないと。でも、何を?
「聞こえないよー! そっちいくね!」
「へっ」
どうやって。私が問うよりも早く、シャボン玉を膨らませた。みるみる大きくなっていくそれは、あっという間に人一人分くらいの大きさになって、どういう原理か彼女はその中に足を踏み入れた。
いや肺活量狂ってるでしょ。何? それ。人一人分の空気があの子の中に入ってたってこと? 新手の手品か?
私が困惑している間にもシャボン玉は上昇を続け、見事に屋根へ、私の目の前へと到達する。ちょうどいいところで内側から彼女が指でツンとすると、普通に弾けて消えた。腕時計が漫画の目覚ましかってくらい元気に震えている。
「……っ」
「ねぇねぇ! 何番!?」
「へっ……? あ、あぁ。6って書いてあるけど」
なんの話かと思ったけど、おそらくは合流に使用するナンバーだろう。腕時計にそう表示されているので、そのまま伝えた。この子が6じゃなかったらいいな、なんて思いながら。
「やっぱり! るうも6番なんだー!」
「あ、そう……」
「るうはね!
「あっ、えっと札井、夢幻」
「かっこいい名前だねー!」
変人かと思ったけど、この子、悪い子ではないのでは? 私の名前を褒める女は賢くて素敵だと大体相場が決まっている。
ぽやぽやとした表情を浮かべる彼女は、シャボン玉の液と、ふーって吹くヤツを持ってニコニコしている。垂れ気味の眉から発せられる人畜無害感がすごい。うん、分かる分かる。私の名前を褒める女って基本的に人格者であることが多いからね。きっと彼女もその一人で、滅多に怒ったりしないのだろう。
「早めに合流できてよかったよー! 夢幻ちゃんって呼んでいい!?」
「う、うん。えっと、潤葉さん?」
「なんで!? 名前で呼んでよ!?」
「あー、うん。るうちゃん」
「もう一声!」
あ、私この子苦手だわ。距離無し過ぎる。
私が陰キャとかではないんだけどね。ただ私は距離感を大事にする派っていうか。陰って言葉とは無縁なんだけど。身体だけじゃなくて、心のパーソナルスペースもちゃんと確保したいタイプの人間ってだけで。陰キャじゃないから。やめろ。
小さい声で「るう」と呼んでやると、彼女は嬉しそうに笑った。元々微笑むような表情だったのに、そこから更に破顔してみせたのだ。私は苦手だけど、率直に言って、色んな人に愛されそうな子だと思った。
「で、これからどうする!? あと二人、探さなきゃね!」
「そうだね。混戦してるところは危ないから避けたいんだけど、潤葉さ、るうさ、るうちゃ……るうはどう思う?」
「訂正に訂正を重ねないと呼び捨てにできないんだなって思ったー!」
うるせぇ、今そういう話してなかったろうが。
話題を戻したくて辺りをキョロキョロと見回していると、小さな公園が見えた。あそこなら、住宅よりかはマシだろう。さっきみたいに一本道で戦闘にもつれ込むのは勘弁したい。いつどの家からバグが飛び出してくるか、気が気じゃないし。
「公園ってどう思う? 広くていいかなって思うんだけど」
「うんうん! みんな目印になりそうなところに集まりそうだもんね!」
あぁ、言われてみればそうだ。私は彼女の言葉に少し感心した。私は戦いやすそうなところにとりあえず移動したいとしか考えていなかったけど、本来の目的を考えても、公園みたいな目立つ場所は有用だろう。
「でも、ちょっと遠いよねー」
「それはそうだけど」
私も思ったけど、他に目立つものは戦闘の痕跡くらいのものだ。元は閑静な住宅街だったことが窺える。
「いい考えがあるよ!」
「え、何?」
「目立つ場所が無いなら作っちゃえばいいんだよ!」
「え?」
どういうこと? そう訊こうと思ったけど、黙った。そうか。この子のアームズなら。シャボン玉が浮いてるなんて、おかしいから目立つよね。でも、遠くから見て分かるかな。視認できるくらいの位置に来る頃には、合流用の腕時計が振動を始めてそうだけど。
「うぅん。あと、公園は広い所っていうのも魅力だったっていうか」
「なるほどね!」
いいからとっとと公園行くぞ、と言いたいのをぐっと我慢して彼女を誘導してみる。だから、ね? 公園行こ? 私が屋根を下りる素振りを見せると、彼女は私の横にぴったりとくっついて、手にしていた道具でシャボン玉を作った。
「え」
めちゃめちゃデカいシャボン玉ができあがると、彼女は私の肩を掴んで、一緒にその中へと飛び込む。ほよほよする……酔いそう……。そしてそれはふわふわと高度を上げて、屋根が遠く離れていく。
「ちょっとぉ!?」
いや目立つ場所って私達のことだったんかい。そりゃ人が二人ぷかぷか浮いてたら目立つわ。なんならチームのメンバーじゃなくても見に来るわ。
「じゃ、いくよー!」
「へ?」
るうは液体をたっぷりとつけたふーってやつをシャボン玉に刺す。割れる!! と思ったけど、それは都合良く先っちょだけ外気に晒される形になった。
え、何すんの?
息を吹き込まれたシャボン玉が、それまで私達が立っていた屋根を目指して下っていく。シャボン玉は屋根よりも低く、地上を目指して降下し、ちょうど玄関くらいまで降りたところで弾けた。もとい、爆発した。
「!!?!?」
「あはは!」
「『あはは』!?!?」
バラバラと音を立てて、シャボン玉に近かったところを中心に崩れていく。家はほぼ全壊で、ふわふわとしていた私達も衝撃で揺れる。本当に酔いそう。シャボン玉酔いとか言って伝わるかな。液体飲んだヤベェ奴だと思われそうで説明が難しいんだけど、中に入って揺れで酔ったって言ったらもっと引かれそう。
「……るう、これは?」
「こうしたらさ! 目立つよね!」
「……」
「今度はあっちで「おーい! ここだよー!」ってやろうね!」
「……」
私は完全に理解した。
いや、確信したと言った方が正しいかもしれない。
あ、こいつポジティブなことしか言わないタイプのサイコパスだ、と。
Lily paTch nns @cid3115
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