第199話 なお、机は軽く拉げたとする

 私達は絶句していた。家森さんが勝手に二人の相性を抜群にしてしまったんだから無理もない。菜華は目だけをぎょろりと動かして知恵を見ていた。知恵は菜華と目が合うと、「なんだよ」と普通に受け答えをする。


「知恵は……普通っぽいな」

「なんだったの? 今の」

「なんだー。ちぇっ、つまんないのー」


 イタズラを働いた張本人は頭の後ろで手を組みながらぶーぶーと文句を言っている。つまんないじゃないわ。こっちは息が詰まったわ。

 私は井森さんを見た。彼女の様子も変わらないのであれば、今のは何もなかったって、こと、で……。


「い、井森さん?」

「ねぇ知恵。こっち来ない?」


 解凍されつつあった空気が再び凍った。菜華が殺意を隠さずに井森さんを見るけど、彼女は全く意に介さない様子で知恵だけを見つめている。


「いいぞ」

「いいの!? 知恵? よく考えて!?」


 何故か色好い返事をして見せると、知恵は立ち上がって井森さんの膝の上に座った。静止する私の声なんて全く耳に入っていない。無邪気に井森さんにくっついている。


「知恵……?」


 イチャつく二人を眺めて、菜華は呟いた。志音が慌てて何かをしようとしているけど、私達にできることなんて何もない。見ると、菜華はさらさらと涙を流して知恵を見つめていた。

 怖い。いや、ちょっと可哀想。いや、やっぱり怖い。私の感情が渋滞を起こしかけている。

 火に油を注ぐように、知恵は井森さんの首に腕を回しながら、「菜華? 呼んだか?」と振り返った。


「どう、して……?」

「どうしてって……なんか変か?」

「いや変の極みだよ。やめたげてよ、あんた菜華にすらそんなことしないでしょ」


 居ても立っても居られなくなって、私は助け舟を出してみる。志音も人前ではしたないとかなんとか、ちょっと的外れな指摘をして、とりあえず二人を離れさせようと頑張っていた。


 ——成功したみたいだね!


「成功したみたいだね! じゃないわ! 二人の様子が明らかにおかしくなっちゃったでしょうが!」


 私は天井に向かって怒鳴りつけた。一刻も早くこの状況をどうにかしないと血を見ることになる。私に続いて発言したのは、他でもない菜華だった。


「早く解除ボタンを出して」


 ——あっ。そうだよね。そのボタン、実装するの忘れてた……ちょっと作ってくるから、しばらく待っててくれる?


「は?」


 菜華はクールな横顔にバキバキの青筋を立てるという芸当をやってのけながら、夜野さんを声で恫喝する。だけど実装に時間がかかるのは仕方がない。私達が菜華の気を逸らしながらその時間を稼ぐしかない、ということになる。


 その間にも二人のスキンシップは続く。耐えきれなくなったらしい菜華は、使わないだろうと言われていたアームズを召還し、見慣れたギターのネックを持って振り上げていた。


「血走った目でギターで上段の構えするのやめて」

「こんなになってるのにやめないって……。ちょっとヤバいんじゃないか?」

「あはは。二人とも何のんびりし過ぎじゃない?」


 菜華の素振りが井森さんの前髪を揺らす。しかし、当人はそれを無視していた。視界に入っていない様子だけど、そんなことある? 殺意むき出しでギターを振り下ろそうとしてる人が真横に居て無視って、人類にできるもんなの? 知恵のことしか見てなさすぎで怖いんだけど?


「解除ボタンが無いなら排除ボタンでも構わない」

「いや構うから! ここでの診断は持ち越さないって約束したでしょうが!」


 志音はビクビクしてて使い物にならないし、家森さんは傍観者に徹するつもりみたいなので、私が止めに入るしかない。ただし、ギターと井森さんの間には入らない。私は迷うことなく、菜華を後ろから羽交い締めにする。前に出ると、私までついでにブン殴られそうだから。


「離して夢幻。リアルには持ち越さない。ここで決着を付ける」

「そんなことしたらリアルにも影響出るわ!」


 私は家森さんを見た。彼女はバーをスライドさせてからすぐに、ベッドへと戻っている。こちらに来るように指示をして、菜華を二人掛かりでやっと座らせることに成功した。

 二人で菜華を挟むように座る。また何かやらかそうとしたら私達が止めるしかない。家森さんは文句を言ってたけど、そもそもアンタが元凶なんだからそれくらいしろ。


「いやー、面白いね。井森さんって彼女の前だとこんな感じなんだ」

「その憶測はおかしい。知恵は私と二人きりのときもあんな風にはならない」

「それは菜華にまだ100%の心を開いてなかったんじゃない?」

「家森さんちょっともう黙ってて」


 私は手を伸ばして彼女の口を手で塞ぐ。なんでただでさえ極限状態にある菜華を煽るの? 頭大丈夫? いや、この人元々頭大丈夫じゃないんだった……。

 この状況で頼れるのは自分しかいない。志音は菜華の圧に怯えっぱなしだし、家森さんは周囲を引っ掻き回して大笑いしてるし。知恵と井森さんはなんかイチャイチャしてるし。あんたらがやめれば済む話なんだからもう止めなさいよ、マジで。


 追い詰められた私はぱっと閃いた。そうだ、解除ボタンが実装されていなかった、ということは解除しなきゃいけないことを想定されていなかったということ。それ自体大分イカれてるんだけど、まぁ夜野さんの考えることだし。

 つまり、そのまま重複で診断すれば。私は知恵と井森さんにもう一度そこに手を置けと言いつけた。机の上は診断前の、白い枠が二つ表示されている状態にいつの間にか戻っている。

 これで二人の相性を30%にバーで戻せば、あるいは……。

 知恵は手を置いたけど、井森さんが手を差し出す様子は一向に無い。私が「は?」と呟くと、彼女は「知恵に触れるので忙しい」なんて宣って、知恵の制服の中に手を滑り込ませようとしていた。


「待っっっっっっっ!!!!!」


 て。私は言葉にならない悲鳴を上げながら、立ち上がってテーブルの向こうにいる井森さんの手首を掴んだ。それ以上はいけない。本当に。死ぬぞアンタ。振り返ると、菜華が鬼の形相で私達を睨みつけている。いやおかしいでしょ、なんで私までその顔で見るの。

 込み上げる尿意を我慢しつつ井森さんを止めていると、菜華が無言でもう一つの枠に手を置いた。


「なっ」


 こいつらなんでこんな面倒くさくなることしかしないの? 面倒くさ検定1級とか持ってる?


 テーブルの画面がゆらゆらと変わると、二人の診断結果が出た。しかし、その文字は先ほどとは違い、真っ赤なものだった。しかも大きい。何これ怖い。


【抜群】


 手抜きか。つっこまずにはいられないわ。

 そしてバーが現れたが、それは既にマックスの状態だった。これ以上動かしようがない。すると、志音がばっと膝立ちの姿勢になって、そのつまみを0%まで下げた。


「はぁ!? あんた何やってんの!?」

「こ、こうするしか!」


 あんたも面倒くさ検定1級の持ち主かよ、いやもう初段だな。

 もう展開についていけない。私は震えながら、ぺたんと座りこんだ。家森さんは腕を組みながら「なるほどー」なんて言っている。


「志音、考えたね」

「これで、とりあえず菜華の暴走は避けられるかなって」


 志音はもじもじとしながら、私達に奇行に走った訳を説明する。そうか、菜華の知恵へのそれを消してしまえば、とりあえずは問題が解決するんだ。


「はぁー……」


 菜華は先ほどまでの様子が嘘のように、視界に入れるのも嫌という感じでそっぽ向いている。こいつ、嫌いな人にはこんな態度取るんだ……。

 対して知恵の拒絶反応もすごかった。井森さんの手を引いて「あっち行こうぜ」なんて言って出来るだけ離れようとしている。ちなみにあっちというのはベッドで、井森さんは喜んで付いていった。いやダメだから。あんたらその状態でそんなとこに行ったら絶対ヤバいでしょ。

 私は志音の背中を押して、「行ってこい」とベッドに送り出した。不安そうに何度も振り返る志音に、顎で「とっとと行け」と示すと、彼女はそっとベッドの縁に座った。当然二人に邪魔だなぁという顔をされているけど、あの状態の志音を無下にすることも出来ないのだろう。三人がベッドの上で気まずそうにしている。ちょっと面白い。


「あの空間ヤバいね。さっきまで私がのんびりしてただけの場所だったのに……」

「元はと言えば、こうなったのは家森さんのせいなんだから反省してね」

「だってあんなの見たらいじりたくなるじゃーん」


 大して反省はしていないらしい。分かりきったことだったけど。そもそも反省しろなんて言われてすぐにできる人は、あんな悪魔のようなイタズラを働かないのだ。


「あのクソチビに絡まれている碧が可哀想。早く救ってあげた方がいい」

「菜華が知恵に向かってクソチビなんて言うのを見る日が来るなんて思ってなかったわ」

「もう、志音さんが邪魔するっていうなら、あなたも混ざる?」

「なんであたし以外の人にそんなこと言うんだよ……」

「いやっ、あたしは、ちょっ」


 もうイヤ。この間の任務以上の地獄絵図が広がっている。

 その時だった。夜野さんが「できたからすぐにそっちに表示させるね!」と言って、テーブルの表示を切り替えたのだ。


 「まだもうちょっとほっとこうよ」なんて言う家森さんを無視しまくって、私は拳を振り下ろすようにそのボタンをドンと押した。

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